見つめる日々

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2006年05月03日(水) 
 確か昨日の朝、そう、昨日は娘の遠足の日だったから昨日の朝で間違いない、登校の時間になって雨が降り出した。その雨は驚くほど早く激しくなり、私は一人部屋の中、娘のことを想った。今頃何しているんだろう、と。
 アネモネもラナンキュラスも、もう命の終わりが近づいている。開ききった花びらは、指で触れるとはらりと堕ちてゆく。はらり、と。あっけなく。私がサヨナラとアリガトウと言う暇も与えずに。そして、同じベランダの端、白薔薇の樹たちがうどんこ病と闘いながら、一刻一刻、枝の先に湛えた蕾を、膨らましてゆく。命はあっけなく終わる。けれど、ひとたびこの世に生まれ堕ちると、これでもかというほどしぶとく必死に生き抜いてゆく。
 ママともっと一緒にべたべたしたい、と、唐突に娘が言った。最近のことだったと思う。でも、確かに彼女はそう言った。学童にも早く迎えに来て、と。だからその日、私はいつもより二時間以上早く彼女を学童に迎えに行った。でも、自分で早く迎えに来てと言ったことなど彼女はすっかり忘れており、雨の中公園で遊んでいると言う。苦笑し、彼女が戻るのを待って、手を繋いで家に帰った。
 これでもかというほど彼女とじゃれあって、これでもかというほど私の手は彼女をくすぐって、重たいよーと笑う彼女の身体の上に私の足をふざけて乗せたまま寝たふりをして。そうやってどのくらい過ごしたのか覚えていない。突然彼女が、ママお仕事しないのと尋ねてきた。だから、だってママともっとべたこんしたいって言ってたからママ今日はこのままべたこんしてるよ、あ、そろそろ寝る時間だけどね。私がそう言うと、彼女は私に、仕事してくれ、と言う。
 後のことは。あまり覚えていない。

 今日、散歩に行って、その後種まきをする約束をしていたのに、彼女はじじばばの家に一人で行ってくる、と唐突に言い出す。自分のお財布を出してきて、切符も自分で買う、ポカリスエットも自分で買うから、ママはついてこないで、と。
 悩んだが、私も決心してみることにした。入場券を買いホームへ。やってきた電車に一度は一人で乗せたものの私は思わず飛び込んでしまう。娘はそれでも言い張る。結局、一駅だけ乗って、私は電車を降りる。
 電車が視界から消えるまで私は見送った。心臓が、鷲掴みにされたような痛みが胸の真ん中に生じ、私は思わずしゃがみこむ。だらしがない。この頃、椅子に座っていても貧血を起こし上体がふらついて思わず床に倒れこむことが多くなった。このどうしようもない身体を何とかしたいから、まずは食事と思い食べると、あっけなく吐いてしまう。その繰り返し。嘔吐はそのたびに脳細胞を百億個以上破壊してゆくのだと言っていた人がいた。もしそれが本当なんだとしたら、今、私の脳細胞は、幾つ残っているんだろう。
 夕方には娘は帰ってくるものだと私は信じていたのだが、実家に電話をすると、今日はお泊りするんだよ、とあっけらかんと娘が言う。参った。娘の方が私なんかより、自立してる。
 おなかはすく。だから食事をしてみる。するとまた吐き気に襲われる。量を少なめにしてまた食事をしてみる。しかしまた吐き気に襲われ、私は便器の中に全てを堕としてしまう。そうだ、アイスクリームなら食べられるかもしれない、と食べてみる。でも。結局アイスクリームは、他の食材たちと同じ運命を辿ることになる。もう今日は食べることを諦めようとわり切って、私は、トイレを掃除する。

 日中、遠くの街で生きている友が電話をくれる。私は彼女の声をたいてい受話器を通して聴くのだけれども、彼女の声はいつでも真摯だ。どういう話の内容であったとしても、また、その内容を私が記憶から失っても、彼女がそのときどれほど真摯に私と向き合ってくれたか、また、どれほど真摯に私に声を届けようとしてくれているか、そのことだけは、私の中に刻まれている。

 記憶って何だろう、とふと思った。
 記憶が私を作っている。そのことだけははっきりと分かった。
 その記憶が、ひとつ、またひとつ失われることは、どういう結果をもたらすのだろう。
 忘れるという術を人間が持っていなかったら、人間はこの世界で生きていくことなどできなかっただろうと昔の学者が記していた。それを最初に読んだ頃、私は、忘れるという術が下手で荷物ばかりを引きずって足掻いていた。だから、忘れる術をうまく使えるようになれたらどんなに生き易いだろうと思った。
 今も、そう思わないことがないわけでもない。けれど。
 もうこれ以上、時間を失いたくない。もうこれ以上記憶を失いたくない。もうこれ以上、自分を失いたくない。

 私は何処まで、私として歩いてゆけるだろう。
 今私の前には、水平線も地平線も、ない。


遠藤みちる HOMEMAIL

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