見つめる日々

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2006年03月18日(土) 
 娘が留守の夜。一人、浴室で、現像液を作る。やがて独特な匂いが浴室に充満し、でもそれは、もう私が慣れ親しんだ、そして、何処か寄りかかりたくなるような、そんな、匂い。
 フラッシュバックに絶叫し抱えた頭を床に何度も叩きつけ、それでも必死に夜を越えようと噛み締めた唇は突然ぐさりと破れ、血が垂れる。その紅色の滴が私の理性の糸を、ぴんと張り詰めた糸をぷっつりと切り。気付けば腕を幾重にも裂いている。テーブルに散らかった薬を鷲掴み、口に放り込む。でもそんなもの、何の足しにもならないのだ。そして、私はふらふらと立ち上がり、当時窓のない真っ暗な浴室を暗室の代わりにし、気付けば写真の現像を始める。黙々と、黙々と焼く。もし一瞬でも油断して手を止めたのなら、私の手は再び刃を握るだろう。そしてまた腕を痛めつけるのだ。だから私は一心不乱に、印画紙に光を照射する。光を照射する数秒。ネガを通って光は、印画紙に堕ちる。
 現像液停止液定着液水洗。ぐるぐる、ぐるぐる回る。そして。
 薄く赤い灯りの中、浮かび上がる像たち。夥しい針の先ほどの点たちが作り出す世界は、一心不乱に焼き殴ったのにも関わらず、間違いなく折々の私の内奥を映し出し。そして私は、ようやくひとつ、深く息を吸い、そして吐く。暗い暗い暗い部屋から出た私の目に映るのは、いつだって一筋の、青く白い、朝陽だった。
 そんな、あの頃のことが、不意に私の脳裏を駆け巡る。懐かしいようなこそばゆいような、そんな感じである。今、私が同じ行為をしても、あの頃とは違う。無心になることに変わりはないが、それは何処か穏やかな、しんとした行為だ。でも、途中の経過はそうやって、違ってきているけれども、そこから生まれ堕ち私の前に並ぶ印画紙たちはいつだって、新しい。私はその印画紙と見つめあい、教えられるのだ、また今日も、新しい何かを。それはたとえば、私が無意識に探すなにかだったり、たとえば私の深層に長いこと眠っていたなにかだったり。まだ意識にのぼり私が言語化する以前のモノたちが、いつだって浮かび上がっているのだ。
 だから私は、この術が捨てられないのだと思う。

 それにしても。髪が伸びた。或る時、パニックを起こした折に、十代からずっと長く垂らしていた髪をざくざくと鋏で切り落としてしまったことがあった。腰近くまであった髪はその瞬間、私の顎の辺りまでになり、以来、肩のあたりでふわふわ揺れていた。
 今気づけば、小さく鄙びた乳房を隠すほどに伸び。面倒ではあるけれども、この感触はとても、懐かしく。編み込みをしようか、それとも変形ポニーテールにしようか、それとも、なんて、鏡とにらめっこしながら毎日髪型をいじることが好きだった昔々の自分を、おぼろげに思い出す。
 そういえばあの頃のように鏡とにらめっこして一時間も二時間も時を過ごすことなんて、今の私には在り得ない。私はなんであの頃、あんなにも鏡とにらめっこしていたのだろう。見つめればこうやって凝視して凝視して穴が開くほど凝視したならば何かが見出せるんじゃないか答えの一つでも見出せるんじゃないかと、飢えた野良犬のように目を血走らせ、鏡と対峙していたあの頃。今それを思い出すと、よく鏡が耐えてくれたものだと苦笑してしまう。あんなにも凝視され、四六時中睨みつけられていたら、私なら粉々に割れてその場を逃げ出していたかもしれない。でも。
 答えはいつだって自分の中にある。そう信じてたんだ。あの頃。他人の答えじゃない、教科書の答えじゃない、私が私の中に生み出すものしかもう、信じられなかった。いや、自分の中に生まれたものさえ、あの頃の私は信じることができなかった。だから、あれほど死に物狂いだった。これでもか、これでもか、と、自分の心を抉って抉って、抉り続けるしか、術がなかった。
 でも多分。
 それでよかったんだと思う。でなけりゃ、私は納得できなかったろう。いずれ一歩も進めなくなっていただろう。ああした時間を潜ってきたから、今私は、ここに在る。

 もうじき娘が帰ってくる。そしてわたしたちは、明日から数日旅に出る。
 窓の外、黒々ぬめぬめと横たわる闇。明日の出発時、同じこの空は、どんな色に染まっているのだろう。


2006年03月15日(水) 
 昨日たった一日水をやり忘れたせいで、再びアネモネとラナンキュラスがくてんと倒れ臥している早朝。眠り損ねて窓を開けた私は、植物に頭を下げながら、何度も如雨露いっぱいの水を汲んで、ベランダと水場を往復する。先日ようやく現れた二つの水仙の蕾。考えてみたら、レプリートというこの二株のみ、自分で新たに買い足したものだった。その他の水仙の球根はじゃぁどうして手に入れたかといったら、マンション一階で店を開いている美容院の入口に「貰ってください」と書かれた札と共にダンボールに入っていて、それを私も頂いたという次第。あぁ、じゃぁ、去年まで、よそのおうちでいっぱいいっぱい労働してきたのだろうなぁと改めて思う。頬杖をつきながら、水仙を植えた幾つかのプランターの前で、ご苦労様と小さく声に出してみる。それじゃぁ今年は咲く気力はないかもなぁ、来年だね、来年、楽しみにしてるよ、と、話しかけながら、伸びすぎた水仙の葉たちをひとつずつ撫でてゆく。私の脳裏には、去年どこかのお宅でこんもりと咲いていた小さな水仙の花たちの姿が浮かぶ。もちろんそれは私の勝手な空想だけれども。
 今日は娘の卒園遠足だ。早朝五時、私は窓を半分開けたまま、お弁当用に唐揚げやおにぎりを作る。時々窓から首を出し、空を見上げ、風に腕を伸ばす。水曜日まで寒いかもしれないと言っていた月曜日の天気予報。昨夕の天気予報では、その寒さも水曜日朝までになりそうだと告げており、娘と二人、思わずやったと手を叩いた。
 保育園というものがなかったら、この私たちの二人暮らしなど、成立しなかっただろう。娘の通う保育園は、この市内で一番古い保育園で、駅前のごちゃごちゃした町並のど真ん中にある。実家の父母などはそんな、繁華街にたつこの保育園に眉をひそめるが、他に通える保育園は当時なかった。
 園庭などはもちろんなくて、唯一ある外遊びが可能な場所は屋上、そこにひっそりと滑り台が置いてある。それのみ。夏はこの屋上にビニールのプールを臨時に設置し、そこで子供らは水遊びをする。年長組がお泊り保育の折にちょっとした夜祭と盆踊りを催すのだが、それらもすべて、屋上だ。ゆえに、諸々の条件が重なって、この保育園は外遊びが非常に少ない。子供らは自然、家の中の遊びには慣れるが外遊びを率先してしないまま大きくなる。娘ももちろんその一人で、親としては少々心配になったりもするが、でも、逆に考えれば、家の中の遊びに彼女が長けていてくれるおかげで、休日でも、私はあれこれ用事を為すことができるのだと思う。
 寒い季節と幾つかの行事が重なって、この冬娘のクラスは殆ど外で遊ぶ機会がなかった。だから、この今日の遠足は、十日も前から娘が指折り数えている、楽しみな楽しみな行事。六時、七時と時間が進むにつれ、窓の外は光に溢れ、そして、温度も少しずつ確かに上ってきている。嬉しい。これなら、子供らが外で飛び跳ねて回るのもきっと、しやすいに違いない。

 娘を送り出し、少し横になる。横になりまもなく、どしんと堕ちてくる眠り。夢に揺られながらも、私はその眠りを貪る。
 夢の中に、ついさっき脇を通った公園の桜の樹々たちが黒々と現れる。もうかなりの老木である彼らはそれでも、今年も雄々しく花びらを散らすだろう。そして私たちはあの、花嵐のトンネルをゆっくりと歩くのだ。上からも下からも、右からも左からも舞い上がり舞い堕ちる花びらのトンネルを。
 どどどん、どどどん、どどどん。夢の奥の方から、地響きに似た音が一歩一歩こちらに近づいてくる。どどどん、どどどん、どどどん。音と共に浮かびくる桜樹は魑魅魍魎犇めく濃密な夜闇の中、徐々に徐々に現れ、そして今、私の視界の全てを覆う。
 梅は早朝、桜は夜闇。梅が雌女なら桜は雄男。咲き始めが梅ならば、散りゆくことこそ桜。私にとって、梅と桜はそんなふうに絡み合っている。

 今改めて、生活を見直す必要を感じる今日この頃。この生活は私一人をどうにかすればいいという無責任なものではなく、娘をいずれ世に送り出すのに必要な、責任ある生活だ。一年二年という単位ではなく、五年十年の単位でものを考えなければいけない。でも、今のままだと、私たちの生活は破綻する。破綻せざるを得ないだろう、いずれ。
 だから、時間を見つけては、思いつくまま心に付箋をはってゆく。あれこれメモした付箋たち。家賃、光熱費、食費、医療費、教育費…。実際的な事柄をちょっと挙げただけでも溜息が出る。が、それらは全部、生活の必需品。欠かしようがない代物。それらを土台に、生活がある。そしてさらに、私の場合付箋は増える。パニック、フラッシュバック、過呼吸発作、睡眠障害、諸々の薬、救急車のサイレン、いつ崩れてもおかしくはないこの肉体…。が、それらとどうしようもなく付き合いながら歩いていくしかないのが私たちの現実。
 あぁもういっそ何処かに逃げ込んでしまいたい、と、思わず弱音を漏らしたくなる。どうすることが私には娘には、一番いいのだろう。私には何ができなくて、そして何が、できるだろう。

 夕方、娘を迎えにゆく道筋でふと足を止める。店先の種コーナー、半額シールが新たに貼られたものたちのうちで気になるものを四つ、レジに持ってゆく。シノグロッサム、テディー・ベア、ブラキカム、スーペリオール。さぁ、何処に植えてゆこうか。
 そして娘と帰宅。階段をのぼりきったところで顔を上げると、目に飛び込んできた暗橙色の月。ママ、すごい。すごい、ほんとだ。怖いね、ちょっと。気持ち悪いよ。私と娘はすっかり目を奪われ、しばし立ち止まる。ほんと、すごいね、まん丸だね、大きすぎてしかもあんまりな色だよ。私は思わず、繰り返し同じことを言ってしまう。娘はそんな私の言葉を聴いているのかいないのか、突然言う。ね、ママ、今年も花火見れるかな。あぁ、今お月様がある場所と、もうひとつはあっち側とだよね。ね、見れる? うん、見れるよ。ここに椅子ならべて、おばちゃんたちと見るんだよね。うん。楽しみ! …玄関の鍵を開けると部屋に飛び込んでゆく娘の背中を見つめ、私は考え込む。やっぱり、もうしばらくここで暮らすための努力を、そのための方法を、今は考える方がいいのだろうか。娘にとってこの場所は…。答えはまだ当分、出せそうにない。
 気付けばすでに時計は真夜中を回っており。窓の外夜空を見上げれば、夕刻に見たあのでろりんとした月からは全くかけ離れたほどに真っ白くて丸い丸い澄月が、空の高みに浮かぶ。月が好きなんだと言っていた西の街の友はもう眠ったろうか。どうか少しでも深く長く、安らかに眠れますよう。


2006年03月14日(火) 
今日三月十四日、最高裁で、山口県光市の母子殺害事件について弁論を開く。

そのことを知って以来、心の奥底の痛い場所に、針が刺さっている。

今朝、横浜は晴れていた。
娘を保育園に送り、お金がお財布に一銭も残っていないこともあって銀行まで足をのばす。
その時、突然涙が零れ出した。
一度零れ出すと、拭っても拭っても、止まらなかった。

空を見上げれば、辺り一面、光が溢れているのだった。

その時立っている場所が、もしも、私にとって安全である場所だったなら、私は間違いなく、声を上げて泣き出していただろう。別に哀しいわけじゃない。ただ、胸がいっぱいなだけ。でも、声を上げて、思い切り、空に向かって泣きたかった。

たまらなくなって、Tに短い手紙を出す。

「確か今日、本村さんの事件の、最高裁での弁論が為されると聞いた。あの事件は当時私には衝撃で、見聞きするだけでも辛かった。今日横浜はひどく晴れていて、でも同じその空の下、あの事件が裁かれようとしているのかと思ったら、涙がこぼれてきました。哀しいとかつらいとかなんかじゃなく、ただもう、あの事件で踏みにじられた幾つもの生と性とに、今はひたすらこうべを垂れ、手を合わせていたい、そんな…」

最後は、文章にならず、言葉を締めることのできぬまま手紙を出す。

どうなったのだろう、その後。

いや、

知ったとて、私は何もできないのだ。
今私にできるのはただ、祈ること、それだけ。

殺されてもなお陵辱されることは、どれほどに。
自分が命を賭けてこの世に生み出した小さな命を守ること叶わずして殺され、陵辱されるというそのことはどれほどに。
生きてこうして陵辱されることだけでも、私にはこんなにも耐え難いのに。
死してもなお…それはどれほどに。
そして大切な存在の命を奪われ、その肉体までもがぼろぼろに引き裂かれているのを目の当たりにした者は、その後どうやって自分に折り合いをつけ生き延びてこなければならなかっただろう。

あぁ、どうして。世界はこんなにも…!!!



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◆弁護人不出廷、弁論開けず=直前に辞任「準備不足」−光市母子殺害・最高裁
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060314-00000072-jij-soci

 山口県光市で1999年、母子を殺害したとして殺人などの罪に問われ、一、二審の無期懲役判決に対し検察側が上告している当時18歳の少年の被告(24)の弁護人が14日、最高裁に出廷せず、弁論は開かれなかった。
 事件を審理する第3小法廷(浜田邦夫裁判長)は「正当な理由に基づかない不出頭で、極めて遺憾」とする見解を表明し、弁論期日を改めて4月18日に指定した。
 刑事訴訟法は、殺人などの重大事件は弁護人なしで審理できないとしている。検察側は「不出頭は裁判遅延目的が明らか」と述べ、審理の進行を求めたが、同小法廷は退けた。
 同小法廷は昨年12月に弁論期日を指定していたが、今月6日に2人の弁護人が辞任。前後して、オウム真理教元代表松本智津夫(麻原彰晃)被告(51)の一審で主任弁護人を務めた安田好弘弁護士らが就任した。
 安田弁護士らは「準備に時間が必要」と期日延期を申し立てたが、同小法廷は却下。13日午後に欠席届が提出された。 
(時事通信) - 3月14日19時0分更新

◆http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20060314/20060314-00000053-jnn-soci.html

◆http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060315k0000m040084000c.html


2006年03月13日(月) 
 咲き始めたアネモネは、あっという間に花びらを開げ、そして垂らす。ひらひらと風に揺れる柔らかな一重の花弁は、素直に重力に負けてまさしく「てろん」と。百八十度開いてしまったなと思うともうその次の日には、花びらは空に向かってではなく、地に向かって垂れ下がるのだ。そうやって百八十度以上に開き揺れる花、それでも数日は、夕方になるとまだ若い他の花たちと共に、蕾をちゃんと閉じてみせてくれる。その様を見るたび、なんて健気な花なのだろうとうっとりする。
 週末、朝一番に近所の病院へ。この土地で開業してもうかなり長いこの病院の先生、こちらも笑ってしまうほど子供の扱いが巧い。たとえば予防接種で訪れると、「はいこんにちわぁ」とにかっと子供に笑いかけ、椅子に座った子供に話しかける。「ほら、見て、この針、実は予防接種の中でも一番細い針なんだよねぇ、だから今日はちょちょっとやって終わっちゃうよ、はい見ててぇぇ(言うと同時に子供の腕にぷすっと針をさす先生、あっと思っている間にぴゅぴゅっと注射を終わらせてしまう。あまりの早業に、子供はうんともすんとも言わない)、ほおら、もう終わっちゃった、痛くなかったでしょ? じゃぁねぇ、あそこの箱の中のボール二つ持って帰っていいよ」。注射を打たれた直後だというのに、嬉々として箱に飛んでゆく娘、一生懸命二つを選び、先生にへへっと見せる。「いいよー、持って帰って。あ、じゃぁこれもあげよう、ほら」。と、先生が次に出すのはシール。この、スーパーボールとシールは子供らにとって、診察室での出来事を全部意識の外へ飛ばしてしまう魔法らしい。病院嫌いなんて言葉はだから、この近所の子供たちの間にはないんだろう。待合室で居合わせる子供たちの顔は、みんな、今日は何色のボールもらえるのかなぁとうきうきしている。もちろんうちの娘も、その一人だ。
 だからこの朝も、あの先生の病院に行くんだよと私が告げると、娘は転がるように走り出し、やったぁと喜んでいた。私より先に病院に駆け込み、看護婦さんたちににこにこ挨拶して回っている。私はというと、ふらつく足元を何とか立たせながら診察券を出すといった具合。
 長くその土地に根付いて営んでいる医者の存在というのは心強いものだ。その時期その時期、訪れる多くの患者の傾向を捉え、一人ひとりに的確なアドバイスをくれる。今回先生から告げられた病名に私は最初びっくりしたけれども、大きな総合病院では首を傾げられてばかりで不安を感じていた私には、或る意味とても心強かった。でも。こんなにも具合が悪くなるとは。私がそう愚痴ると、時間をさいて世話をしに来てくれた幼馴染も、「今までの無理のツケがここぞとばかりに全部出てるんじゃないの」と苦笑する。確かに。言われてみると、身体も心もここ数年、きりきりまいしてきたような気がしないでもない。でも。
 それが片親家庭の厳しさなんだよといわれれば、はい、まさしく、としか返答しようがない。そして、まだ母子家庭を数年しか経験していない私なんて、世の母子家庭父子家庭の方々からみればまだまだひよっ子。苦労の程度だって、きっとまだまだたいしたことはない。とりあえず、この体調が回復したら、私みたいな奴は体力づくりをするのが先決なのかもしれない、と、思ってみたりする。

 今夜もまた、娘が絵本を読んでくれる。ふと聞いてみる。ねぇ、この本とか新しく読んでみるってどう? だってねぇママ、それは漢字があるんだよ。え?ほんと? ほんとだよ、ほら、見て。あら、ほんとに漢字があった。だからね、まだ読めないの。そうかぁ、そうだよね、漢字があっちゃ読めないね。だからこっちの本。はい、了解。
 娘に言われて、自分が見落としていたものに改めて気づく。娘にと絵本を買うとき、その場で一通り目を通し、話の内容はもちろんだけれどもそれ以外に、カタカナの分量や漢字が使われていないか、もし使われていても仮名がちゃんとふられているか、などをチェックしていたはずだった。が、あまりに慣れ親しんだやさしい漢字たちを、私はこうして幾つか見落としていたわけだ。あらまぁ、と反省しつつ、でも、小学校で漢字をいずれ覚えるのだから、じゃぁこの絵本たちはそのときの楽しみにとっておこう、と思い直す。
 そんな私の傍らで、彼女は大きな声で、なかなか雰囲気を出しながら読んでくれる。三匹のヤギが怪物のいる橋を渡ってゆくシーンでは、ヤギごとに声色を変えたり、クレリアという芋虫の物語では、独特な節回しを披露してくれたり。おお、やってくれるじゃない、と思いながら耳を傾けつつ、でも何処かで覚えがあるような、と首を傾げ、気づいた。あぁ、私が何回も読んで聞かせた、そのときの口調そっくりなんだ。
 なるほどなぁと思う。物語は口承なんだなと、改めて実感しながら、動き続ける彼女の唇を眺める。ちょっと嬉しくて、でも同時にちょっと恥ずかしいような。そして、学生時代の一時期所属していた演劇部でのことを懐かしく思い出す。今こうやって私を真似て物語を読んでくれる娘は、将来、演劇部に所属することはあるんだろうか、なんて想像しながら。

 それにしても。体調を崩すといつも味わうのは、人がいてくれることのありがたみだ。この週末も、友人たちがそれぞれに、食事を作ってくれたり娘の遊び相手をしてくれたり、はては私の凝り固まった身体を一時間以上もかけて揉み解してくれたり。私は、親との関係には恵まれず、そこでの愛情にはさんざ飢えてきたけれども、でも、その穴ぼこを埋めても余りあるほど、友人たちからの愛情を頂いている。こんな幸せなことは他にはないと、心底思う。だから、こうやって助けてもらう時、いつも思うのだ。彼らに何かあったときには、何をおいても飛んでゆく、彼らが話をしてくれるその話には、いつだって耳をそばだてていよう、と。

 今、真夜中を過ぎた部屋の中には、小さな娘の寝息が木霊している。
 なぁ娘よ、学校に行ったら、友達を作れよ。別に勉強なんてある程度できりゃいい、生活が苦でない程度にできればいい、その代わり、友達を作れ。絡み合ってぶつかって、別れを経ることももちろんあるだろう、それは痛いけれど、そういった痛みも経て、痛いからこそ大切にしたいモノは自分にとって何であるのか、失っても切られても、持ち続ける人との緒がどれほど尊いものであるか、その身体でその心で、しかと味わって欲しい。情けなく頼りない母である私だけれども、その私が唯一あなたに誇れるものがあるとしたら、間違いなく、この、今私を囲んでいる人たちとの緒だ。私はそれらを誇張なくそして隠し立てもせず、これからも折々に君に見せてゆくから。だから、君はそれらから、できるなら感じて欲しい。そして、君は君の、大切な人との緒を、育んでいって欲しい。私はそのことを、君を孕みこの世に送り出して以来そのことを、じっと、まっすぐに、願っている。


2006年03月11日(土) 
 風呂上り。娘の長い髪をドライヤーでゆっくり乾かす。それが終わると今度は自分の番。そうして私が髪を乾かしていると、本を読むと言って娘が先に布団に入る。静かだなと思いちょろっと布団の方を見やると、娘は本棚の絵本の中から一冊選び出したところ。と同時に声がする。「ママ、本読んであげようか」「ん? 何読んでくれるの?」「アリクイのアーサー」「じゃあ読んで」。この頃、時々だけれど、こうして彼女から本を読んでくれることがある。そういう時は、それがどんな本でも、たとえ漫画であっても、読んでと言って黙って聞くことにしている。でも、不思議と、彼女はこの、アリクイのアーサーを数多く選び取る。今夜もそうらしい。
 「アリクイのアーサー…ときどきあーさーはかんがえこんでしまいます ぼくわかんない あーさーがそういったのでわたしはききました なにがわからないの? ありをたべるからありくいってよばれてるんだよね そうよ どうしてほかのなまえじゃないの? ありくいはむかしからありくいっていうなまえだもの ねこはさかなをたべるよね? そうよ とりはみみずをたべるよね? そうよ だけどねこはさかなくいじゃないしとりはみみずくいじゃないよね そうね だったらありくいだってほかのなまえでもいいとおもわない? じゃぁどんななまえでよんでもらいたいの?」
 たどたどしいながらも、彼女は必死に読んでくれる。ところどころ飛んでるな、と気づきつつ、まぁこの程度は許容範囲だろうと、私はフンフンと相槌をうちながら聞き耳を立てている。
 「ぶらいおんなんてどうかな でもおまえはぶらいおんじゃないでしょ じゃぁすくじら でもおまえはすくじらじゃないでしょ じゃぁぞうにしようかな でもおまえはぞうじゃないでしょ ぽうさぎってのはどう? でもおまえはぽうさぎじゃないでしょ じゃぁぼくなんてよんでもらえばいいの? おまえはありくいってよんでもらえばいいの ありくいのあーさーってね」。
 一話読み終えた彼女が本から目を上げてぷぷぷっと笑う。
「ありくいはありくいだよねぇ」
「そうだねぇ、アリクイはアリクイだね」
「すくじらなんて変じゃん」
「スクジラって言ったら、鯨の方を思い出すもんねぇ、やっぱ違うんじゃないの」
「アーサーって変なの!」
 そして彼女が待ち遠しそうに言う。
「ね、アーサー、忘れ物するんだよね」
「そうそう、いっぱい忘れ物するんだよね」
「それでね、すぐ戻ってくるんだよ」
「そうそう、で、続きは?」
 「あ、ええっと…ときどきアーサーはわすれものをします いってきます あーさーががっこうへでかけていきます いってらっしゃい ドアがしまりました とおもったらまたドアがあきました わすれもの? こくごののーとわすれちゃった あーさーはかいだんをいちだんぬかしでかけあがっていきました そしてのーとをもってかけおりてきました いってきます いってらっしゃい どあがしまりました またどあがあきました またわすれもの? うんどうぐつをわすれてた あーさーはかいだんをいちだんぬかしでかけあがりました いってきます いってらっしゃい どあがしまりましたまたどあがあきました まだわすれものがあるの? ふでばこをわすれてた ほかにわすれものがないかよくかんがえてごらん ぜんぶそろったの? うん ほんとに これっぽっちもまちがいなく、ぜったいにどんなわすれものもないわね? うんほんとにこれっぽっちもまちがいなくぜったいにどんなわすれものもないよ いってきますいってらっしゃい またどあがあきました まだわすれものがあったの? おかあさんにきすしてあげるのわすれてた いってきます いってらっしゃい どあがしまりました… ママ!」
「何?」
「男の子もキスするの?」
「するんじゃない? ママとみうがキスするみたいに」
「えー、男の子なのに変だよ」
「どうして?」
「だって男の子じゃんっ」
「そうなの? 男の子はチューしちゃだめなの?」
「んー…」
「じゃぁみうは、大きくなったら好きな男の子とチューしないんだ」
「えーっ!」
「ママするよ」
「えーっ!」
「ぶちゅーっ」(と、娘に襲い掛かってキスをする母)
「きゃーっ!」
「もうチューしちゃった! あ! 拭いたっ!」
「きゃー! ごしごし…」
「このー!」(と言って娘が息切れするほどくすぐる母)
「ぷーきゃーひー…」
「このっ、参ったか! 参ったって言わないと止めない!」
「ま、参ってない!」
「じゃ、やめない、やーいっ」
「ま、参った、参ったー!」
 彼女のその一言で、私は手を止める。笑い転げてひぃひぃ言っている娘は、目をらんらんに輝かせて次の一撃を待っている。待たれてるとつい裏切りたくなるもので、知らん顔をして私は彼女の隣にごろりと横になる。ママ、くすぐってよー、待ちきれなくて彼女が頼んでくる。やだよーん、と返事をすると、彼女は下唇をつきだしてぶぅたれる。その頬がひとしきり膨らんだところで、彼女の視界から外れた位置から手を伸ばし、彼女をくすぐってやる。
 一回、二回、三回。結局今夜も何回くすぐりと会話を繰り返したか覚えていない。「ほら、もういい加減寝なさいよー」「ママ先に寝ないでっ」「じゃぁ早く寝な」「…」。いい加減疲れたのかもしれない。言葉を交わしてまもなく、彼女の寝息が聞こえてくる。確かに彼女が眠ったことを確かめて、私はそっと布団から出る。

 本読んであげようか、なんて、そういう発想が何処から出てきたのか、私は知らない。自分が本を読んでもらったから、今度は自分が本を読んであげよう、その程度のことなのかもしれない。それでも最近時々彼女が言い出す、この、本を読んであげようかという言葉、耳にするたび、私はちょっとどきっとする。
 だから、私は彼女の本棚にある本は、彼女が留守の間に二度か三度は目を通しておく。でないと、彼女が読み飛ばしたりつっかえたりしたときに、フォローができないからだ。もちろんそんなこと、彼女には何処までも秘密なのだけれども。
 二人で暮らすようになった頃はまだ、ひとりで本を読むことなんてできなかった。それが、今、かなり不安定な日本語ではあるけれども、自ら私に読んでくれようと本を開く娘。来月には、この子がランドセルを背負って玄関を出てゆくのかと思うと、こそばゆいような歯がゆいような、何ともいえない気持ちになる。よくまぁこの頼りない母のもとでここまで無事に育ったもんだ、と、心の中、小さく拍手を送りたくなる。

 そんな頼りない無責任な母である私は、近頃どうも体調がおかしい。先日救急で再び病院に世話になった。その夜、たまたま救急で担ぎ込まれた人が多かったせいか、しばらく廊下で待たされたのだが、その間に私の手足の痺れは倍増し、処置室に運ばれる頃には痺れたまま手を開けないような具合になっていた。早速紙袋を渡され、さらに筋肉注射をされ、手の甲に点滴張りを刺され。私はもう、どうでもいいから放っておいてくれといいたくなる気持ちに陥った。どうしてこうも体調やら心調やら崩してばっかりいるのだろうと、それが何より嫌になる。が、一方で、どう足掻いても身体が言うことをきいてくれないのだからどうしようもないという惨めな気持ちにも陥る。どっちに転んでも、要するに、情けない。
 結局夜中を過ぎ、駆けつけてくれた友人の肩を借りて帰路につく。その夜初めて、娘を一人、部屋に残してきた。その事が四六時中気がかりで、彼女の顔を見るまで安心できなかった。けれど、玄関の鍵を開け、寝床を見れば、すぅすうと大の字になって眠る娘の姿。あぁ無事だ、よかった、と、ようやく肩の力が抜ける。
 いずれは、彼女は私の手を離れ、彼女ひとりで過ごす時間の方が格段に多くなる。それは分かっている。けれど、ニュースを見ればいつでも耳を疑うような出来事ばかりのこの世の中、一体どうやって安心すればいいのだろう、と、ふらふらと椅子にもたれかかりながら、改めて思う。三十数年生きている私が見渡しただけでも、今が一番、生きづらい世界のような気がしてならない。

 重だるい身体を横にし、うつらうつらしている最中、夢を見る。それはアネモネの夢で。アネモネが空を見上げながら、くしゃっと潰れている画が私の中で繰り返される。アネモネが死んでる、とその時思った。その画の印象があまりに鮮烈で。私の網膜にそれは焼きついた。だからその朝、ふらふらしながら窓を開ける。すると、アネモネは水不足でぐったりと倒れていた。慌てて水をやる。あの夢は、よほど喉が渇いたのだろうアネモネのSOSだったのだろうか。花がSOSを出すなんて話は、まだ聞いたことがないけれど。
 水を遣りながら、ふと、過ぎた日のことを思い出す。その朝、一番に窓を開けるとアネモネが咲いていた。「みう、来てご覧、アネモネが咲いてるよ」「え、どこどこ」「ほら、赤いの」「ほんとだー、青もある、ピンクもある」「ピンク?」「これ」「あ、違うよ、それはね、まだ蕾だからそう見えるだけで、咲くと赤くなるんだよ」「そうなの?」「うん、そう」「これ、色ないね」「それは多分、白い花が咲くんだよ」「ふぅーん」。窓枠のところでしゃがみこんだ彼女の背後から、私はひとつひとつ答えてゆく。彼女は果たして納得できたのかできないのか、最後のふぅーんという言葉は、句点が何処につくのか分からないほど延々と伸びていく。
 朝ごはんを食べながらさらに花の話。「ママ、みうのランナンキュラスはいつ咲くの?」「ランナンキュラスじゃなくてラナンキュラスね」「え、う、んー」「ラナンキュラスはね、もっとあったかくなってから咲くの」「水仙はいつ咲くの?」「水仙ねぇ、ちょっとおかしいねぇ、もしかしたら今年咲かないかもしれない」「え? 咲かないの?」「うん、もしかしたらね」「どうして?」「栄養不足、かなぁ」「じゃぁいつ咲くの?」「来年、また植えてからかなぁ、分からないけど」「…」「どうしたの?」「お花は植えたらちゃんと咲くんじゃないの?」「いや、咲かないことも、ある」「…」。多分、彼女の頭の中は今、ハテナがいっぱい浮かんでいるのだろう。私の手のひらより一回り大きいくらいの彼女の頭という海の中、ハテナ印がいっぱいぷかぷか…。そんな構図を思い描きながら、私は彼女に目ン玉焼きをすすめる。
 いっぱい水を汲んでいた如雨露がやがて空になり、私は娘を呼ぶ。「今日はママがお水やったから、明日はみうがお水あげてね」「はーい」。私は咄嗟に空を見上げ小さく唸る。明日は雨かもしれない。
 と、そこへ娘の声が予想通りに飛んでくる。「雨だったらどうするの、ママ?」「んー…」「明日が雨だったら、明後日お水あげるの?」「そういうことになるかな」。
 きっと、明後日になる頃には、私も娘も今の会話なんてすっかり忘れているに違いない。そして、きっとまた、同じ会話をするんだろう。「今日はママあげたから明日はみうだよ」「はーい」と。
 妙に彼女がいい返事をするときは何故か、雨が降る。
 そして翌日。予想通り。窓の外見やれば、通りには色とりどりの傘の花が咲いている。


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