見つめる日々

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2003年08月31日(日) 
 こんな夏の終わりに。
 とろんと澱んだ池を覆うようにして木々の枝葉が茂っている。そのうちの一本を何となく見上げ、見つけた。
 蝉の幼虫が今、羽化しようとしているところを。
 茶色い殻を割って、徐々に真っ白な体が現れてくる。ゆっくりゆっくり。
 私は息を止めて見守る。
 そうして彼の体の殆どが茶色い殻からぶら下がるようにして現れたところで。彼の動きは突然止まる。
 私はいっそう息を殺し、ひたすらに見つめる。
 そうしてどのくらい時間が経ったのだろう。
 じっと動かない彼を、私はどのくらい見つめていたのだろう。
 真っ白な、それでいて透明な彼の体は、今、ばっさばっさと飛んで来た烏の嘴にあっけなく連れ去られ。
 私の視界にはもう、彼の姿はなく。
 気がつけば、太陽が私の首筋をちりちりと焦がす頃。
 とぼとぼと歩き出す。
 蝉になるために生まれ、蝉になるためにここまで生きた彼は、とうとう蝉になることは叶わなかった。
 目の前を、一匹の野良猫がのたりのたりと横切ってゆく。今あった出来事など、露ほども気に掛けぬ様子で。
 私はとぼとぼと歩き続ける、そんな私に覆い被さるように、幾つもの蝉の声がじんじんと私の鼓膜を震わす。私の目の中にはまだ、彼の白く透明な体が、くっきりと残っている。

 こんな夏の終わりに。


2003年08月29日(金) 
 その日。
 このところ心に余裕をもてないせいで先延ばしにしていた幾つかの用事を何とか済ませ、肌に突き刺さるような陽射の下ひとり、とぼとぼと歩いていた。自然に前屈みになってしまうくらいのこの急坂をあがれば、ほんの僅かだけれども銀杏の木や欅の木の木陰の下を歩くことができる、と、ここからではまだ見えぬ、その先に在る筈の木陰を頼りに、私は足を前に前に進める。イチ、ニ、イチ、ニ…。歩を進めながら私はふっと顔を上げ、そして。
 まさに目が覚めるような心地。その一瞬、私の体はまるで時間の流れからまるっきり切り離された空間に置かれたようで。そこらじゅうに溢れていた蝉の声も眩むほどの陽射も、まるっきり別世界になる。そこに在るのはただ、私と、あの大樹と。
 あの大樹の包帯が、すっかり解かれていた。適当なところで切り落とされた太い枝々はもちろん切り落とされたまま、ひどく不自然な彼の姿に変わりはないけれど。でも。
 大樹は在った。そこに在った。あの幅広の包帯を解かれて今、以前と姿形は変われど、でも、やはりそこに在った。

 こんな時、どんな言葉を用いればいいのだろう。どんな言葉を用いれば誰かにこの思いを伝えることができるのだろう。
 ただ、嬉しかった。それはもう、ただただ、まっすぐに。そう、嬉しかった。
 ある日突然立ち枯れたあの大樹が今、病を乗り越え、私の目の前に在る。確かに在る。そのことが。
 ただ、嬉しかった。

 全身ぐるぐる巻きにされていた包帯を解かれ、一度は病に侵されたその身体を肌を風に晒す、それは一体どんな心地なのだろう。幾重にも切り刻んだ腕の傷を隠すために巻いていた布を外すときって、そういえばどんな心地だったろうか。自分の腕にびっしり刻まれた傷痕を何となく眺め、そして再び大樹を見上げ、私は、誰に言うでもなくひとり呟いてみる。
 まだやれる。まだまだやれる。
 そう、いつだって、やり直せる、歩き出せる。生きてさえいれば、いつだって。この大樹が瀕死の淵から再生したように、私だって。全身傷だらけになってもそんなの大丈夫。生きてさえいれば、いくらでも。

 私はまだやれる。


2003年08月28日(木) 
 娘の隣で眠る。うつらうつらと。
 突然襲ってくる金縛り。まただ、どうしよう、まただ、無駄だと知りながらそれでも体を動かそうと試みる、試みるほどに金縛りはきつく、私を雁字搦めにする。すると耳の奥の奥から響いてくる靴音。足音。
 コツ、コツ、コツ。徐々に徐々に大きくなり。私の息は荒くなる。来ないで、やめて、来ないで。コツ、コツ、コツ。大きくなる、近づいて来る、ほらもうすぐ後ろに。
 いや、玄関の鍵は閉めた、窓だってちゃんと閉めた、だから大丈夫、誰かがこの部屋に入ってくるなんてあり得ない、そんなのあり得ない。大丈夫、大丈夫なんだったら。
 いくらいいきかせても無駄。靴音は足音は大きくなり、もう私の心臓ははちきれんばかりにばくばくと鳴る。
 あぁもう駄目だ、もう捕まってしまう、私はまた。
 叫ぼうとしても声が出ない、喉がつまる、なんとかそれでも絞り出そうとするのだけれども、それでも声は。失われて。
 あぁ駄目だ、もう駄目だ、私はまた。
 その時、娘が寝返りを打つ。金縛りで身動きならない私の体を勢い良く蹴る。
 その途端、私の体はふっと解け。

 辺りは真夜中。誰もいない、私と娘の他には誰もいない、薄暗い部屋の中。それはいつもと何の変わりもなく。そう、ここには私たちがいるだけ。
 まだ残響の残る頭を軽く振って、私はなんとか身を起こす。そう、あれは幻聴。分かってる、ただの幻。
 布団の上、大の字に転がる娘に、布団を掛け直す。そして私はまだ痺れが残っているように感じられる体を撫でさすりながら立ち上がり、換気扇の下、煙草を一本吸ってみる。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 頬を伝って落ちる涙。
 ぽた、ぽた、ぽた。

 何度でも私はそうやって、あの日あの時に呼び戻される。そのたびに私は死ぬ。生きながら死ぬ。記憶とはなんて残酷なもの。

 気づけば煙草はもう手元で灰になっており。
 もう一度眠ろう。そうすればきっとまた今日が始まる。


2003年08月26日(火) 
 花を買う。
 別に何でもない日。誰のお祝いがあるわけでもなく、誰の命日だというわけでもなく、ただ花屋の前を通りかかった、それだけの。
 花を買う。
 誰の為でもなく何の為でもない。部屋に花があったなら、と、ただそう思っただけの。
 「150円です」。適当に目に付いた、ばらばらの色の花を三本。白くて薄い紙にくるりと包まれただけの花を。
 花を買う。
 惜しげもなく長い余分な枝をざくざく切り落とし、小さな小さな花瓶ふたつに花を差し込む。それはもう無造作に。

 花を飾る。
 テーブルの上に。てん、てん、と、テーブルの上に。
 花を飾る。
 そうして頬杖ついて私は。

 真夜中、いつものように目を覚まし、ぼんやりと外を眺める。音もなく外灯が、こうこうと点っており。
 振り返ればテーブルの上、花が黙ってそこに在る。


2003年08月22日(金) 
 このところ、玄関を出ると、いつでも廊下のそこここに、蝉がひっくり返っている。まだかろうじて生きている者もいれば、もうしんとして動かなくなった者もいる。耳を澄まさなくともまだまだ辺りは一面蝉の声に押し包まれているのだけれども、でも、もうこうやって、蝉の落ちる季節になったのかと、改めて知る。私は娘の手を引きながら、ひっくり返った蝉の横を、毎朝そっと通り過ぎる。
 この一日二日、急に陽射が強くなる。いや、強烈になる。路を往く人々の足元からは、濃いくっきりとした影がゆらゆらと伸び揺れている。

 この数ヶ月、心の中にどんどん溜まる一方だった不安を、思い切って日記帳に書き出してみる。気がつけば十頁近くが埋まっており、右腕がぱんぱんに膨れるほどになっていることに我ながら驚く。こんなになるほど、私は不安を貯め込んでいたのか、と。苦笑いが漏れる。
 それは、私にとって大きな決心だった。これまで自分が大切に築いてきた生活を全部捨てることになる程の大きな決心だった。でも、それをしてでも決心しようと思った。大切だと思ったから。だから、頑張ろうと思った、踏ん張ろうと思った、多少のことでは挫けるものかと思った。少しずつ心の奥底に増えてゆく不安に本当は気づいていたけれども、それでも、それも含めて乗り越えてゆこうと思った。
 けれど。
 ノートにそうやって自分の不安をあるがままに書き出してみて。気づいた。私は、今ここで、立ち止まらなくちゃいけない、と。このままこの道をこれ以上突っ走ってゆくことは、できないんだ、と。
 多分、十年前の私なら、突っ走っていってしまっただろう。それがなんだ、と突っぱねて、突っ走ったことだろう。捨て身になって。でも。
 私はもう知っている。私には、十年後も二十年後もあるのだ、ということを。そりゃぁもちろん、たとえば明日事故に遭って、私は突然死ぬかもしれない。こうしている間に地震が起きて、明日も待たずに私は死ぬかもしれない。それでも。私という人間は、死ぬその時が来るまで生き続けてゆく者なのだということを、私はもう知っている。そう、今は突っ走ってやり過ごすことができるかもしれないけれども、この膨大な不安を抱えたまま、このままこの道を走ってゆくことは、死ぬまで走り続けることは、私には、もう、できない。それがどんなに辛く悲しいことであっても、失いたくない緒を手放すことになっても、これからも生き続ける自分の為に、自ら進路を変えるという選択をする勇気を持たなければならないことを、私はもう、知っている。

 娘を寝かしつけ、ぼうっとしながら煙草をくゆらしていたところに電話のベルがなる。出ると、もう十年来の友人から。今回の私の一大決心にまつわるあれこれを知っている数少ない友人の一人。「今すぐ近くに来てるんだけど」と言う。驚いて玄関を開けると、にかっと笑ってその友人が立っている。
 麦茶をちびちびと飲みながら、あれこれと話す。じゃぁそろそろ帰るよと言って立ち上がった友人が、くるりと振り返って、こんなことを言った。
 「今回のことについて、君の周囲にいる人間たちは、君がどれだけ頑張っていたか知ってる。踏ん張ってたかも知ってる。だから心配しなくていい。自分が思ったようにやればいい。
 だから。このことで自分を責めたりするな。自分に自信をもっていい」。

 友人が帰った後、テーブルに並んだ二つのグラスをぼんやり眺めながら、思わずふぅっと息が漏れる。あぁ、奴は、この言葉を言うためだけに今夜ここまで車を走らせてくれたんだな。この野郎。なんて奴だよ、まったく。

 窓の外からまだ響いてくる蝉の声に耳を傾けている私の脳裏を、幾つかの大切な友の顔が、まるで走馬灯のように走ってゆく。あぁやっぱり。
 友とは、私にとって、宝だ。

 それにしても。
 失ったり手放さなければならなかったり。大切で大切で仕方がないのに、本当に長いこと大切に心の中で育んできたものであったのに、それを無残に潰されてしまうような出来事に出会ったり。
 いろんなことがあるけれど。
 それでもやっぱり、生きてるってことは面白い。どきどきする。それが辛く悲しいことであっても、虚しくて虚しくて涙なんて出ないで笑うしかないようなことであっても、それでも。
 生きてるってことは、やっぱり面白い。


2003年08月05日(火) 
 娘と二人、祭りに出かける。闇夜に浮かぶ幾つもの提灯の波間で、ふと思った。去年はそう、二人じゃなかった。
 なのに何故だろう。今ここにこうして二人であることが、あまり不思議ではない。かつて三人であったことが何の不思議もないように。
 一つのイメージが浮かぶ。それは、育てている薔薇の樹の一本に重なる。枝を伸ばし、葉を広げ、花を咲かせる、一本の薔薇の樹。そして、その樹はある時、根元からちょきんと切り落とされた。
 でも。根っこは。根っこは土の中、まだ生きており。しっかりと呼吸しており。
 次に伸ばすべき芽へのエネルギーを、今、黙々と貯め込んでいるのだ、その根っこに。
 私はやがて、また芽を出すだろう。それはまた、幾つもの時間をかけて、そうして大きく茂るだろう。いつかまた花を咲かせることだってあるかもしれない。
 その姿は、営みは、かつてそうであった姿とそっくりかもしれない。いやきっと、そっくりだ。
 けれど。
 そこにかつてと同じものは一つとしてなく。
 そうして、私は、私という根っこをもって、何度でも営むのだ、私の毎日を。外から見たらもう枯れたか果てたかというような時を何度でもかいくぐりながら。生きている限り。

 そろそろ帰ろうか、と、遊びまわる娘に声をかける。結んだ手と手を軽く振りながら私たちは歩き出す。祭りの灯りが少しずつ、後ろへ流れてゆく。その灯りはでも、私の目の奥にぼんやりと残り。
 何とはなしに見上げた夜空に、今、細い月が浮かんでいる。


2003年08月04日(月) 
 たとえばここに、私と父と母と三人がいたとして。
 その三つの点は逆三角形を描くようにそこに在ったとして。
 その二つの点は、いつだって私の前を塞いでいた。それが苦しくて辛くて重たくて、私はかつて声なき悲鳴を上げたこともあった。光は常にその二つの点の向こうから射しており。だから私は私に覆い被さるようにして伸びてくる影に怯えた。逃げ惑ったりもした。この構図は、永遠に続いてしまうかのように思え、私は絶望した。
 けれど、その点の在り処、光の在り処も決して、不変ではなかったのだなと、今は分かる。
 気づいたら、光は私の前に在った。影は向こうから伸びて襲ってくるものではなく、私の足元からも伸びていた。むしろ、光も影も、外にあったのではなく、私がすでに、そして両方とも、私自身が内包していたのだと知った。
 そして振り返れば、そこには二つの点が、変わらずに在り。けれどそれはもう、かつて私を怯えさせたようにそこに在るのではなく、私の礎のようにして、そこにじっと在るのだった。
 何かが変わった、のではなく。世界そのものが、いつだって少しずつ変化しているのだった。
 その中に、私はいる。私たちは在る。自らその変化の只中にあって。世界を描く一本の糸なのだ、私たちは。
 どんなにそれがちっぽけであっても。か細くとも。


2003年08月03日(日) 
 あの大樹は、日々新しい緑を芽吹かせている。まだ全身はぐるぐると大きな包帯で巻かれているのだけれども、その割れ目から、緑はぐいぐいと頭をもたげ、そして辺りに降り注ぐ陽光を深く胸いっぱい吸い込まんと手を広げる。
 あぁ、今、彼は変化してゆこうとしているのだな、と、私は、その姿を見ながら思う。
 もしこの緑がいつか、昔のように大枝になって、ゆっさゆっさと風に揺れる日が来たとして。
 それはでも、もうかつて私が愛してやまなかったあの大樹ではない。どんなに同じように姿が重なって見えたとしても、それは、同じではない。
 大樹は変化してゆく。この、今私の目の前でちろちろ揺れる緑の葉から始まって、彼は再生するのだ。同じ場所で同じ根をもちながら、それでも一歩一歩、新しい姿へと。
 連綿と続く命。その命という一本の糸が織り成すのは、一つの模様だけではないのだな。たとえばこの緑が、赤子のような手の姿から若枝へ、そしてやがて大枝へと変化してゆくように、命はいつだって、少しずつの変化を孕んでいる。
 決して同じではない。いつだって唯一の、模様を編み出し続けている。そしてそれは、命果てるまで連なり。
 その命はまた、どこかで誰かに引き継がれてゆくのだ、きっと。
 そうしてどこまでもどこまでも連なってゆくのだ。ありとあらゆる想いをそこに孕みながら。
 私はきっと、そんなこの大樹を愛し続けるんだろう。姿形を、時とともに変化させながらそれでも生き続ける大樹を。その想いはまるで私の内奥の、底の底に、黙って朗々と流れ続ける水流のように。


2003年08月02日(土) 
「ほら、このパターンは明らかに変化している。原始的なたくましい勢いこそそがれているけれど、より洗練されて、穏やかな調和を保っている。ねえ、大事なのは、このパターンが変わるときだわ。どんなに複雑なパターンでも連続している間は楽なのよ。なぞればいいんだから。変わる前も、変わったあとも、続いている間は、楽。本当に苦しいのは、変わる瞬間。根っこごと掘り起こすような作業をしないといけない。かといってその根っこを捨ててしまうわけにはいかない。根無し草になってしまう。前からの流れの中で、変わらないといけないから」
「唐草の概念はただひとつ、連続することです」


「ねえ、これからきっと、僕たちも、何度も何度も、国境線が変わるようなつらい思いをするよ。何かを探り当てるはめになって、墓を暴くような思いもする。向かっていくんだ、何かに。きっと。小さな分裂や統合を繰り返して大きな大きな、穏やかな統合のような流れに。草や、木や、虫や蝶のレベルから、人と人、国と国のレベルまで、それから意識の深いところも浅いところも。連続している、唐草のように。一枚の、織物のように。光の角度によって様々に変化する。風が吹いてはためく。でも、それはきっと一枚の織物なんだ」

 呪いであると同時に祈り。憎悪と同じくらい深い慈愛。怨念と祝福。同じ深さの思い。媒染次第で変わっていく色。経糸。緯糸。リバーシブルの布。
 一枚の布。
 一つの世界。
 私たちの世界。

(梨木香歩著「からくりからくさ」より)


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