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■ 離婚後の面接
モラと別居して2年余り。 離婚して10か月。 離婚成立するまで、モラと子どもの接触はありませんでした。 裁判では子どもの面接については触れられませんでした。 モラが子どもに会いたいだの会わせろだのと騒がなかったからです。 ですから、面接の取り決めは一切しなかった。 私は子どもが会いたければ会えばよいという考えでした。 しかし、子どももお父さんに会いたいと言わなかった。 「片親引き離し症候群」というDV加害者が飛びついてきそうな言葉がありますが、私は子どもに父親の悪口を一切言いません。 ただし、事実は言います。 子どもはいまだに父親にゲームを故意に壊されたことを恨んでいますから。 そういう事実を「なかったこと」にはしません。
今までモラと子どもの面接は4回しました。 うちの場合は、モラが遠方に住んでいて、何度か転勤もしているので、引越したたびに子どもがモラの住んでいるところへいくという形でした。 1回目の面接のときは、モラが当地へやってきました。 私も不安でデパスを飲んで乗り切りました。 2回目の面接は、モラの住む関西へ子どもを連れて行きました。 駅で子どもの引き渡しと受け取りをしました。 モラは子どもの交通費は出しましたが、私の交通費と宿泊費は出しませんでした。 3回目の面接は、モラの引越先の関東でした。 やはり私が子どもを連れて行き、駅で子どもの引渡しと受け取りをしました。 その間、モラの親が会いたいとか言ってくることは一切ありませんでした。 会いたかったようだけど、あえて黙っていたようです。 面接が順調に進んでいたせいか、この夏、モラと離れてから初めて祖父母と面接することになりました。 子どもはお父さんと会いたいとは言わないけれど、祖父母のところには行きたいと言うことはありました。 モラの親も遠方に住んでいますが、私はとても子どもの付き添いで行く暇もお金もありませんので、子どもを一人で飛行機に乗せて、空港でモラに迎えに来てもらいました。 モラとのやり取りも必要最低限で済み、子どもは無事に帰ってきました。 私が支払った飛行機の運賃も、ちゃんと私が指定した銀行口座に振り込んでくれていました。
モラ実家で子どもが混乱していなければよいなと心配でしたが、まあ大丈夫なようでした。 子どもは2年前に逃げるとき持ってこられなかった自分の持ち物を持ち帰ってきて、満足そうでした。
面接もモラに振り回されず、距離を置けば、何とかなるかなと思います。 境界線は大事です。 境界線を守れる面接なら、子どもに害はないでしょう。
2005年08月11日(木)
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