サミー前田 ●心の窓に灯火を●

2008年02月13日(水) 生きていた男 ノンフィクション

 2006年11月くらいのこの日記で死去した男のことを書いたが、その男、実は生きていた。唐突に3年ぶりくらいに高円寺の稲生座に現れたのだ。
 府中の実家で亡くなったとまことしやかにいわれており、いつか実家を探して、線香でも上げに行こうと思っていたのだが(笑)。みんな死んでいたもんだとおもっていたので、関係者はちょっとしたパニックになっていた。いったいなんだったんだ?実刑くらっていたのか?

 その男、もともとは、ヒッピーというかフーテンで、多分1950年生まれ。風月堂、天井桟敷などにも出入りし、舞踏もやっていた。昔の連れ合いと組んで、SM金粉ショーみたいな巡業もやっていたという。一応、パフォーマーまたはダンサーだといえるが、根っからのアルコール中毒で、酒を飲むと常識はずれのめちゃくちゃなことをやるので、杉並や国立あたりの警察にはおなじみの顔。
 酒を飲まなくても、電車の網棚に乗ったり、駅前の噴水で泳いだりするのは当たり前。いつも無一文だが、キセルやヒッチハイクで関西方面にも気軽に行く。

 俺がはじめてあったのはちょうど25年前。福生のライブハウスに行ったらスリーピースのスーツを着ていた男がステージ上の山口冨士夫さんに汚い野次を飛ばしていた。男が「なんだお前まだ生きていたのか?表へ出ろ」というせりふをはいても冨士夫さんは黙っているし、お店の人も無視しているので、何も知らない俺は「地元のヤクザなんで誰も止められないんだ」と勝手に思い込んでしまった。しばらくしたら男の姿は見えなくなったので、ライブは無事進行していった。
 しかしライブが終わり外へ出ると、ライブハウスの前の畑で、スリーピースの男がクロールで泳いでいるのだ!泥まみれである。今思えばパフォーマンスだったのだが、本当に衝撃であった(笑)。2回目にあった時はスーツではなく、素肌の上に、みかんやたまねぎを入れる赤い網に穴をあけて着ていた。

 ちなみに、このころ冨士夫さんは新バンドのスタートの時期だったので、この男をボーカリストに誘っていた。これほんと。でも結局、冨士夫さんは誘ったことは誘ったのだが相手にしなかった。
 この男は、元キャンディ〜シャープホークスの島津さん(故人)とバンドを結成しかけたこともあるが、練習スタジオで「ホール・ロッタ・ラブ」のイントロを50回くらいやって解散した(笑)これもほんと。
 俺は、この出会いを機に数年間、この変な男との深い付き合いが始まってしまうのであった(笑)。
 (続くか?)


 


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サミー前田 [MAIL]

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