サミー前田 ●心の窓に灯火を●

2007年08月13日(月) NO MORE HEROES

 夜、新宿タワーレコードに行ってぶらぶらしていた。書籍売り場に行き、最近出ている「ローリングストーン日本版」、一応手に取ってめくってみたりするのだが、70年代に一時期出版されたそれと違って非常につまらない。まだ月刊プレイボーイの方がマシ。今月号の「日本のロックベスト100」みたいな特集なんか、音楽誌とは思えないほどどうしようもなさすぎて絶望的・・・
 とか思いつつフロアを移ったら「まもなくストラングラーズのジャン・ジャック・バーネルのインストアライブが開催されます」とのアナウンスが聞こえてきた。なんという偶然と幸運。 
 以下、回想。

 ストラングラーズといえば、初期パンク・バンドの中でも当時の日本では人気が高く、15歳の時に来日公演を観に行って大いに影響を受けたものである。アルバム「ノーモアヒーローズ」とか「ブラック&ホワイト」あたりはほんとよく聴いた。
 79年2月、後楽園ホールでの初の来日公演。当時の外タレは座席指定のホールコンサートというものが通常であった。この時にストラングラーズは、大人しく座って鑑賞している煮え切らない日本の観客を煽動し、コンサートではなくギグっていうものを教えてくれたと思う。ギグって言葉が日本に入って来たのもこの頃だろう。「サムシングベターチェンジ」を3回やったり、ジャンが客席に降りて来てもシラケテ座ってるカップルを帰したりした。因にそのカップルの男は今井アレキサンドルっていう、ロンドン帰りが自慢のハーフで、今はなんかオブジェとかを作ってるアーティストになった奴だった。確か今井俊満画伯の息子だっだよな。(画伯は5年前に亡くなったがキャンティの最も古い常連だったという)
 2回目の来日公演は同年の12月に行われ、後楽園球場に設置した特設テントで、当時では珍しい座席が無いスタンディング公演であった。これはメンバーの強い要望であったと聞くが、それまでは座席から離れてはいけないなどという非常に規制の厳しい外タレの来日コンサートの在り方を大きく変えた画期的な公演だった。俺は一番前で観ていたのだが、ラスト近くに観客が興奮して前に押し寄せ、次々とステージに上がってしまった。俺も客に押しつぶされないようにと、ステージの端に登った時に、スタッフに突き飛ばされて、すぐに客席に落ちてしまった。その時に、ジャンが叫んだのが聴こえた。
   
 「WE ARE NOT BAY CITY ROLLERS!!」

 初来日ではなかなか椅子から立てなかったのに、10ヶ月後の公演では椅子をとってスタンディングにしたとたんステージにあがってしまう日本の観客。まだパンクのライブ、あ、ギグの楽しみ方を知らなかったのだ。現代みたいにスポーツ感覚で楽しむだけみたいな、モッシュとかダイブなんてのもなかったし、ストラングラーズも「俺たちのギグを体験して何か考えて欲しい」的なポリティカルな姿勢が常にあった。とにかく、当時のストラングラーズには人生が変わってしまうほどショックを受けた日本人は多かったんじゃないかな。なのに近年の評価が低いのも変な話だよなあ。
 以上、回想終わり。

 まあそんなことを断片的に思い出しながら、初来日からは別人のように太ってしまったジャンを見つめていた。空手の型を披露してくれたり、2曲下手なギター弾き語りをしてくれて、やっぱり本物のジャンがいるんだなあ、と思いつつ、そういや、初代ギター&ボーカルのヒュー・コーンウェルってどうしてるんだっけ?。結局、プロモーションで来日して、インストアまでやっているのに新作は買わずに帰ってしまった。あんなに好きだったのに、もうしわけない。


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