2007年03月09日(金) |
死んだのはロックという音楽ではなくて業界である |
今年も早いもので3月である。確定申告の時期であるが、毎年このあたりは何故か仕事が忙しくなり、いつも申告が遅れてしまうのだ。さらに1月に亡くなった愛猫の四十九日が終わり、納骨の段取りまでしなくてはいけない。
騒音寺の新作のライナーを前作に引き続き書きました。やっぱりCDというアーティストの「作品」に掲載する文章はなかなかうまく書けないよね。もちろん音楽の方はね、またもや最高傑作のできばえ、ロックンロール。騒音寺のライナーノーツは今度は中村とうよう先生に頼みましょうよ。本当にいい音楽に俺の駄文はいらないよな。 しかし音楽雑誌を見てもちゃんとした音楽評論なんてほんと少なくなったよね。とにかくレベルが低い。自分の自慢話とか、詳しくもないのに急いでネットで調べて急造した文章とかさ、ありがちなちょうちん記事とかさ。これじゃ誰も金出して音楽雑誌買わないよ。無料で配布してる音楽情報誌なんてたくさんあるじゃない。あれでいいでしょう。みんな知ってると思うけど、無料ってことは全面広告なんだから、いくら取材記事が掲載されても、それは広告なんだからね。もちろん辛口なことは書けないし、編集者もそうゆうことになれているから、例えば、アルバムのサンプルとか持っていくと「では広告の予算はいかほど?」みたいな会話になったりすることもあるのだ。単純に「聴いて良かったから記事やりましょう」でないからね。まずは「いくら出せそう?」だから。もちろん親しくしてもらってるところで、お金なんか払ったことないのに応援してくれるメディアもあるけど、ほとんどがこんなノリです。 かつてのニューミュージック・マガジンみたいに突然知らない土地の音楽を紹介してくれるおもしろさって今はないし、例えば78年の時点でフリクションみたいなバンドをいち早く大きく取り上げたりするって言うような記事には、レコード会社の広告は無関係なわけだ。純粋な意味で、現代の編集者は自分自身で音楽の情報を探すということをしなくなったのではないだろうか? とにかくページを作るのに広告と連動させるのが常識というバンドブーム以降のあり方は、日本の音楽状況を確実に悪くしたと思う。それを最初に始めたのはロッキング・オン・ジャパンだろうな。辛口のジャーナリズムのようなイメージをうまく作っている雑誌だけど・・・。
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