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■事故を思い返して空恐ろしくなるのは、あまりにも突然、記憶が途切れていること。眠りが足りていた時にもかかわらず、起こされても起きない深い眠りに墜ちていたこと。痛みや気丈な会話を織り交ぜながらも、眠り続けたこと。記憶のないところで暴れていたこと。
時間がたってみると、わたしは誰かに強引に眠らされていたような気がしてくる。 つまりは、現在を許容して生きる自分自身に業を煮やした、わたしの本体が、駄目なわたしを眠らせて暴れて、「目を覚ませよ」と迫ったのではないかと。 これはくだらない想像だろうか?
■でも、わたしは、強引にそう思いこむ。その凶暴なわたしを鎮める方法は、表現という仕事の中にあると思うから。そうして、自分にはっぱをかける。
■休日の半日を、恋人と過ごした。 事故が起こって、わたしが危険な状態にあっても、この人はすぐには来てくれないのだということを認識した。そしてまた、そういう人だとわかっていて一緒にいるのだと認識した。それでも一緒にいたいのだと認識した。休日を一緒に過ごすと、やっぱり幸せだった。
自分に何か起こっても、かつてのように母に電話して泣きつくことはできないのだということも認識した。母は、病気を越えてから、かつての母ではない。わたしの頼る母から、わたしを頼る母に変わってしまったので、心配をかけるわけにいかないのだ。
如何せん、わたしは今、どこまでも一人なのだ。 世界に向かって自分の存在を表現に置き換える仕事をしない限り、生きていることも、死んでいることも同じくらい、一人なんだっていうことを、認識した。もとい。他者が認めてくれる仕事を出来たとしても、それでも一人なんだってことを、認識した。
■そして、偶々死ななかったわたしは、偶々生きているのだという、妙な感覚も覚えた。偶々生きてるだけなんだから、何を恐れることもないだろう、という、長らく同じところで仕事してきてがんじがらめになっていた自分が、ちょっと楽になった感じ。
■ちょっと哀しいこと。 外傷は大したことないと思っていたのに、5センチ直径の血だまりが後頭部に出来ており、まだ熱を持って炎症を起こしており、医者が言うには、いつかこの部分の毛根がやられてしまうかもしれない、ということ。 5センチのはげが出来るってこと? これは痛くわたしを傷つけた。かなりかなり滅入った。 死んでもおかしくなかったところを生き延びて、生きてるんだからそんなことくらい何てことない、なんて思えないってことを、認識した。 生きてるってこと自体が、あらゆる欲を身にまとうことなんだって、認識した。
■さて。また一週間が始まる。仕事に関して言えば、まったく同じことの繰り返しのルーティーンな生活だ。その中で、ささやかな認識とともに、わたしは少しでも違う精神を持ち続けることができるだろうか? わたし本体の反乱に、立ち向かう人になれるだろうか?

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