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■昨年末から、旅暮らしが続いている。12月25日に東京を離れて九州のウィークリーマンション暮らし。その根城から中部、関西に4泊ほどの出張。九州を引き払ってからすでに山陰、再び九州と2カ所の旅を終えて、久しぶりに東京の我が家へ帰ってきた。12月以来、我が家に滞在するのは3日目だ。それも次の仕事の準備に戻っているのだから、何というワーカホリックぶりだろう。でも、我が仕事のよいところは、うまくいっていればいるほど、自分の食い扶持のために働いているのだということを忘れてしまうほど、感動的で楽しいということだ。
■年頭、波乱含みで初日を開けてから、どれだけ仕事仲間たちや観客に感動させてもらったことだろう。もちろん、率いる自分が頑張ったご褒美と考えてよいのだけれど、それにしても、ずっとずっと人間に感動している。 人生や世界が嫌になる時も、人生や世界が愛しくてたまらなくなる時も、すべてすべて、人間のせい、人間のおかげ。わたしは、その人間たちの、世界の、ひな形を拵えるのを仕事にしているわけだ。ずっと、ずっと、この嫌気と感動を行き来しながら、生きていくのだなあ。
周囲の人々を懸命に愛して仕事していると、その人たちから、ものすごい愛情が返ってきたりする。時に泣きそうになるほどの人生の指針を先輩方に与えられたりもする。若い奴らからはちきれんばかりの愛情エネルギーをお見舞いされたりする。 旅先ではお酒も食べ物も美味しく、先輩方にお招ばれしたり仲間と酌み交わしあったりで、すっかり体重も増えてしまった。でも、このところのわたしは、誰からも「活力みなぎる人間」とみなされていて、今はとにかく、生きる力がとっても充実しているのだろう。
■仕事でも人間とディープに対峙し、プライベートでは恋人とディープに対峙する。恋人の精神はこのところ荒れ模様が続いて、わたしは睡眠時間を削って泣くこともしばしばだが、ひたすらに対峙し続けると、彼からこの上なく純粋な愛情の結晶がぽろぽろとわたしに降りかかってきたりする。仕事浸けになっていると、つい自分が女であることを忘れてしまうものだが、彼といる限り、そんなことありえない。体力の限界に挑戦するみたいにして、わたしは仕事と恋愛の綱渡りで暮らしている。
■こんなことを書いてしまうのは、ずっとこのいい状態が続くはずもないことを、自分で知っているからだ。これから先、また気詰まりにならざるをえない仕事が待っているし、恋人との関係だって、これから先どれだけ続くか分からない。 ただ。すべては自分から派生していることなのだから。 この暮らしがどう動いていこうが、良いも悪いも、みな自分から端を発することに違いないのだから。
目の前の仕事と恋愛に没頭する現在のわたしに、致命的に欠けていることは、将来の自分に積み立てる勉強だ。自分発信でよい仕事、よい現場を生むための勉強の時間が、ちっとも持てない。 反省しながら、明日あさっては次の仕事の準備。あさって夜には雪深き北陸の現場に向かう。
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