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2003年07月30日(水) 地方都市にて。●向田邦子の恋文(向田和子)

●午後。恋人の現場を訪ねて、地方都市のホテルに向かう。16時到着。仕事の終わった彼と会えるのは、たぶん23時を過ぎてから。……せっせと仕事をする。すっきりと何もない環境で、仕事ははかどる。明日の東京での打ち合わせの段取りはほぼ終わり、読み始めていた丸谷才一を読み継ぐ。

 23時を過ぎて、恋人から電話あり、ホテルの前で待ち合わせて、前もって調べておいた店へ直行。さすが地方都市、雰囲気もへったくれもあったもんじゃないが、料理はひたすらに美味しい。1時までで食べ尽くし、バーでそれぞれスコッチとライウィスキーのロックをダブルで一杯ずつ飲み、おとなしくホテルへ。
 仕事で右手を手痛く傷つけている彼のことを考え、ツインの部屋をとっていた。彼は、連日の徹夜仕事の疲れで、倒れ込むように寝てしまう。

 別に金持ちでもなんでもないのに(言ってしまえば貧乏だ。)、たかだか5時間の邂逅のために4万ほども使ってやってきたわたし。

 考えることがあった。

 わたしは恋人を今でもまちがいなく愛している。そしてA氏も愛している。
 ただ、わたしは、恋人といる時のわたしが、どうしようもなく好きなのだ。A氏といる甘えの強い自分より、恋人といる時の、向かい風に我が身を晒して気丈に立っている自分が好きなのだ。そこで生まれる、穏やかな時間がとても好きなのだ。

 よくわかった。わたしは、いい歳をして、自分を愛する方策として恋をしているのだと。

 だからどうするのだと自分に問うても、答えは出ない。

 でも、そんなシンプルなことが分かっただけでも、来た意味はある。

●こうして毎日書き付けるのは、とても辛いことだったし、辛いなら書かない方がいいと、この日記を読み続けている友人に示唆されたりもした。
 でも、たぶん、書いていたほうがいい。
 人に読まれている限り、わたしは事実を書く。
 自分の日記だったら、事実なんて書かない。体のよい感傷を書くだろう。あるいは、体のよい、自分への責めか。
 どんな結末が待っていようと、こうして書いていくことは自分にとって意味のあることなのだと、今夜、強く思う。

●昨夜、「向田邦子の恋文」という本をベッドで読んだ。向田さんの死後見つかった、不倫相手との手紙やら日記を公開したもの。
 人ひとりの人生での秘め事は、フィクションを超えるはずだ。何故こんなものが出版されたのだろう、と、読後もやもやしたものが残った。
 向田さんの著作は全部読んでいる。20代、偏愛していた。亡くなってからも、書棚から時折ひっぱり出す。この人が切り取る生活は、痛ましく美しく、当たり前でいながら、いつも不思議な日常の異界だった。
 作品だけで十分だった。
 いいじゃないか。……そんなもの出版しなくったって。
 書簡という文学形態を意識したものでもなんでもなく、ただただ愛情を綴った手紙は、読んだことを忘れたいくらいの、純粋さだった。大人になってからの純粋さは、あらゆる世間体や自己愛、見栄や計算の、その下にいる。大人なら誰でも持つ、それらの逡巡の下にいる。だから、見え隠れする愛情は、純粋なほど痛ましいのだ。
 ……読まなければよかった。本を読んでそんな風に思うことなんて、めったにない。……だから出版する意味があったというのか?

 明日は二人して朝が早い。眠らなければ、と思うのだが、こうして書くうち、どうにもこうにも興奮してきてしまった。
 こうしている内にも、次なる仕事を促す書類がメールで添付されてきたが、仕事は新幹線の中でやるとして、今夜は一人で酒を飲もう。


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