ダイドの毎日


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2002年03月27日(水) 運命というモノ

皆さんは“運命”というものを信じているだろうか
まぁ、ダイドもそのカタチなきモノを信じているわけじゃないけどその言葉自体はよく使うかもしれない…
さて、では“運命”とは一体なんなのか?
そんな事を考えてみた事があるかしら?

ダイドは最近ふと思う
“運命”ってホントにあるのかなぁ?…と
よく、人の一生は既に運命として決まっていてどう足掻いてもそれは変えられないと言うがそれは本当だろうか
また、“運命は自分で切り開いていくモノだ!”と意気揚揚と語る人もいる
どんな試練にぶち当たってもそれを“運命”だと思って諦めるか、それとも”運命を変えてやる!”くらいの勢いで乗り越えていく
しかし“運命を変える”と意気込んでみるのもまた“運命”だったりしないだろうか
“運命”を変えているつもりで、だけど本当はそれも決められた“運命”かもしれない…
“運命”の手の中から飛び出し、自分の意思で飛び回っているように思えてだけど、結局“運命”の手の中で弄ばれているちっぽけな存在なのかもしれない
まるで釈迦の手の中で自由自在に飛び回っていると思い込んだ悟空のように…

人はなにかしら“運命”という言葉を使いたがるが(悪い事ではない)
例えば「運命の人」、「運命の出会い」、「運命の赤い糸」etc…
確かに人の一生を左右しかねない“運命”が決めたものなら本物に違いないだろう
しかし、それを“運命”のせいにするならば、もしいつかくるかもしれないその別れさえも“運命”という一言で片付けられるんだろうか…
必死に努力しても、どんなに足掻いても“運命”から逃れることなどできないとしたら、その別れも“運命”だからと素直に諦められるのか

そう深く考える事でもないかもしれない
人は“運命”なんて重い言葉を使わなくても、日々「運勢(占い)」や「勝利の女神」なんて言葉と共に生きている
毎日の運勢を占うTVの占いや星座、血液型、姓名など様々な占いをいいトコどりで信じている
都合のいい時に“運”や信じてもいない“神様”のせいにして日々生きているのだ

しかし、ダイドは今、偉そう(?)に“運命”をのたまってみてはいるが…
結局“運命”を信じたいと心底思う
なぜなら…
ダイドの彼女がダイドを“運命の人”かもしれないと言ったからだ
もしダイドの“運命の人”も彼女であるなら“運命”に守られてこのままずっといっしょにいたいと思う
彼女に出会ったもの、彼女に惹かれたのも、今彼女と共に生きているのも全てが“運命”だとしたらこの上なく“運命”に感謝したいものだ

今はただ、彼女の言う“運命”を信じてダイドは今日も生きてます…

追記…
もちろん彼女との出会いは“運命”だったかもしれない
だけど今、彼女を思う気持ちは“運命”だけじゃない
彼女の事を思うと訪れる幸福感も充実感も満足感も…
そう
彼女を選んだのは他のナニモノでもなくダイド自身
ダイドのアタマとココロが決めた紛れもない事実
“運命”に選ばされたように思いがちなこの気持ちは
ダイドの全てが選んだモノだから…


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