■ 2002年11月14日(木)
昨日はそのまま葬儀場泊。
朝起きてから告別式までずっと、いとこたちとはあんまり交流しないで智の近くにいた。大勢のなかに入っていくのが苦手なところはたぶん父親とよく似ていて、だから母親の実家で居心地の悪い思いをしている父親の気持ちとか私にはすごくよくわかってしまう。
強く自己主張しない父親の態度を母親がよく思っていないことも知ってるけど。
おじいちゃんが息をひきとるときそばについていられなかったことと、葬儀の段取りを妹夫婦(特に夫のほう。母親にとっては義理の弟)がしきって父親があまり活躍していないこととで母親の機嫌は今日もかなり不安定。
今夜金沢に戻るなんて言ったら怒るだろうなあって思いつつ、でも黙っていなくなるわけにもいかないし、様子をみながら切り出してみた。親戚の手前だからか意外と簡単に承諾。
全部終わったあと、用意された食事にちょっと手をつけてから、やっぱり今日中に大阪まで戻らなきゃいけない従弟と二人で小松駅まで送ってもらった。彼は明日の講義に出席しないと留年するらしい。
金沢では調査票印刷のための用紙を調達して研究室へ。
指導教官の最終チェックも受けて22時にはとりあえず100部完成。
小松へ行く前、同じ班の人にもしものときのことを頼んだら、協力できることがあれば力になるよって言ってくれて、それだけでも心強かったのに今日も遅くまで残って手伝ってくれたのがすごく嬉しかった。ありがとう。
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棺に花を入れるときと、火葬場で最後のお別れをするときにすこしだけ泣いた。
まだケア施設に行けば会えるような気がしてしかたがないのに。
目の前で動かないこの人がおじいちゃんだなんて信じられない。
骨だけになってしまったらもっと現実味が薄くなる。
私は、最後まで薄情な孫かもしれない。
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Arranged + Written by
カノン
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