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2014年02月07日(金) エスペラント語の女性形に関する拙い考察
エスペラント語の女性形に関する拙い考察

エスペラント語の本(田中克彦「エスペラント--異端の言語」、岩波新書、2007年)を読んでたら、 名詞に付けると女性を表す「女性形」が「男主体の女性差別」ではないかという批判が昔からあるそうだ。 女性形は"-in-"で、 例えば父親を表す"patro"--エスペラント語では名詞は必ずoで終る--に女性形"-in-"を入れたら、 母親の意味である"patrino"になるのだ。

女性差別かな? 私は逆に女性に有利と思うのだ。 だって、例えばその"patrino"にもう一度女性形を入れたら --こんなことできるかは知らないが--"patrinino"、 これに定冠詞を付けて大文字で始めたら"La Patrinino"、 これは「母の中の母」と見なして、 例えばカトリック教会では聖母マリアを示せるかもしれない。 同様に太陽を意味する"suno"に女性形を入れて変化させると"La Sunino"、 これは例えば日本では天照大神の別称になれるかも。

他にそれぞれ海、大地を意味する"maro"、"tero"に女性形を入れると"marino"、"terino"になって、 これらはそれぞれ「母なる海」、「母なる大地」のニュアンスを持たせられるかも。 女性を表す造語が豊かになれるかもしれない一方で、 男性を強調できるような表現は乏しい。 だから女性形があると、 かえって男が不利になると思う。

神様に肋骨1本を抜かれた男は、 やはり女よりどこか貧相になる運命なのかもしれない。


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