ウェブ日記
捏造慰安婦問題の苦い思い出只の売春婦に過ぎなかった捏造慰安婦を象徴する少女像を法律も無視して立てる国の大統領が訪日して議題にしてネットで反感を買っている (例1、 2、 3)が、 この捏造慰安婦問題については個人的に苦い思い出がある。 7、8年ほど前私はある教会に通っていたのだが、 そのときこの問題が教会に通う人達の掲示板でちょっと話題になり、 信者の1人が何の疑いも無く日本が恥ずかしいと発言したのだ。 そのとき私は恥ずかしいことにまだ真相を詳しく知らなかったのだが、 それでも真っ先に思ったことは、 そんな由々しいはずの問題がどうして戦後数十年も経っていきなり出て来たか理由が皆目見当も付かない、だった。 そんな考えが自然なのに。 そこは讃美歌集に平気で「日本は19世紀末頃から近隣のアジア諸国に対して侵略を行い」と前書に書いたり、 スポーツのテレビ中継で国歌が流れたら音を消して聞かない牧師がいたりする教団だった。 そんな所から私がやがて去ったのは言うまでもない。 話はさらに30年以上遡って私はあるカトリック系の幼稚園に通っていたのだが、 年長組のとき、お遊戯等の時間に独りで勝手に遊んで教室に戻ったら誰も既にいず、 代りに黒板に次のように書かれてあった。 ひろのみやさま この日は旧天皇誕生日(現昭和の日)の前日で、 シスターの先生は明日が何の日か園児にきちんと教えていたのだ。 この幼稚園は七五三で神父が園児に千歳飴を与えたりするほのぼのした所だった。 ここの修道会の創始者は大東亜戦争中苦労したにも関わらず、 今は国のために働くときと語っていたことを後に知ってむべなるかなと思った。 この国ではカトリックは徐々にでも広まって行くだろう。 でも私は迫害に耐えて信仰を貫くよりは、 信仰の自由を求めて新天地へ逃れ国まで造った宗派を選びたいのだ。 この国では公式に自分の信仰も持てないので辛い… (12/19加筆) |