面談あと2名。 今日は、時間に1名の方が終わったので、少し先日来の疑問を書きたい。 それは、以下のうたで。 *靖国に参りて知るはその近さ行幸無きとは神人でなし やすくにに まいりてしるは そのちかさ みゆきなきとは かみひとでなし
ちなみに「行幸」とは古文で習われたとは思うのですが、ぎょうこう とも読み「天皇がどこかにお出ましになること」 御幸とも言いますが、こちらは法皇・上皇・女院にも使います。 神人でなし・・は、神でも人でもないという素直な意味が一つ、人でなしは「あの人でなしが!」という感じの「ろくでなし」的な意味の掛詞であります。(おおそれながら)
靖国神社を参拝し、20分ほど皇居お堀端を歩いて千鳥ヶ淵戦没者御苑。 靖国は、いろいろとさわりがあるかも知れないが、千鳥ヶ淵は行けるはず。 こちらの参拝はだれもいちゃもんは付けられないはず。 なぜなら、戦地で亡くなり遺骨収集でお帰りになるも引き取り手のないお骨や、戦地で亡くなった一般人、東京大空襲の折に亡くなった方々・・などなど、「先の大戦で」・・天皇が好んでおつかいになるお言葉・・でなくなられたあらゆる方々の慰霊施設なのだ。 それと、こちらで手を合わせると、方向は「靖国になる」 こちらだけでも、確かに他の皇族(主として秋篠宮家)が慰霊式などにご出席のようだが、しかるべき折々行幸されるのが海外慰霊より大事じゃないのか、と素直に感じたのだ、私。 「先の大戦」でいちばんの責任者は、現天皇のお父君である昭和天皇です。(キッパリ)直系として、行くべきは海外ではない、こちら。 だってこんなに近いのに。 いつだったか、天皇皇后がスロージョギングされている画像があったが、それこそ、スロージョギングで行幸できますよ。 私が参拝してさえ、天より「しずくおつるなり」・・・東京は冬晴れ快晴の日でしたのに。 天皇さんが参拝されたら、天よりどんなお喜びの印が来るか?昨今の天変地異も緩和されるのではないかと感じる。
再び素朴な疑問に戻りますが、折々の参拝(心よりの鎮魂と慰霊の祈り)のないのが不思議だし、本当に残念。
皇居はパワースポットだという話を聞くが、確かに。 だって怨霊?渦巻いた江戸城の跡にして、「靖国で会おう」の合い言葉で集まられた御霊たちの静まられている社や戦没者たちの慰霊の聖地を「背負って」位置しているのだから。 しかし、その分、中におられる方々は襟を正さないととんでもないことになる気がする。 今そういう状況が進んでいる・・・ようだ。 「ただ崩れ落ちるのをみているだけ」 これ、だれの詩の一節であったか。
昨日の快晴とは一変。 寒くて薄暗い。 本日あと1名、明朝あと1名、がんばります。 民草は、朝は日天様(お天道様)に合掌して感謝し、日々のお仕事(務め)を地道に果たし、夜は無事に1日が過ごせたことに感謝して、寝につくのみでございまする(平伏)ごめんなされい。
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