2007年11月03日(土) |
山古志、そしてふみ子の海 |
晴れの特異日。 期待通り高気圧に覆われて晴れ。 11時よりのふみ子の海を見ようと、リリックホールに行ったら、なんだか映写機の故障とかで、ホールの前に人がまるで東京のようにいる。 このごろ、こういう大勢の人になれていないので、早々に退散。 広場でやっていた産業祭りとやらへ。 山古志の鯉がたくさん、金魚もすごいし、何とらんちゅう会なるものが長岡にもあるんですね。 まあ、鯉を買っている人も多かったし、当然らんちゅう会もあるよね。 山古志の人、こんなふうに鯉を売るという、地震前の生活へ向かう落ち着きがでたんだな、とおもうとうれしかった。 で、会場でラーメンを食べてそうだ高龍神社へ行こう、と車を飛ばす。 で、高龍さまと竹之高地お不動様へ。 周囲は紅葉、空気が長岡市内とちがうし、気持ちいい。 お不動さんでお参りして、社務所みたいなとこが開いていたので、一声かけてお手洗いを借りたら、中から「お茶飲んでいかんかね」なんて声がかかった。 やあ、ありがとうさん。これぞ「ながおかのいなからっこって」だわ。 で、もっとどこかに行きたくなって、長岡に返る道をとらずに、山古志へ。 道はよくなっていた、すごかった。 さすが、土建王国にニッポン。札束敷き詰めたようなもんだって言うけど、すばらしい復旧ぶり。 きょうは山古志産業祭りで、闘牛とかも行われていたらしいが、もっとはやくこんといかんかったねえ。 で、山古志支所で「復興写真展」を見てきた。 改めて、山古志って、好きだわ。 確かに雪さえふらんかったら、最高の故郷だろうっておもう。 少し、あちこちドライブして紅葉を楽しんで、野生のキノコの水煮(アマンダレ・1000円・・高いと思ったけど野生はこれしかなかった)を購入してご帰還。 さすがに疲れた。 新聞読みつつ、あったかい陽射しの中でうたた寝。 で、とっぷり暮れた6時半、またリリックホールへ。 「ふみ子の海」 これは、粟津きよさんという頸城のの山奥の村に生まれ、昭和初期に、当時開かれたばかりの高田の盲学校から東京女子大に進んで、盲者の教育に尽力した方の少女期の物語である。 とはいえ、全くの実話でなくて、基本は物語、だけどね。 上越市(高田)の風情ある雁木、県境の紅葉や雪景色の美しさ、ごぜ宿やごぜ唄、按摩の内弟子の生活・・・映像はノスタルジックで美しくはあるけれど、ストーリーは厳しくてせつない。 まあ「おしん」系である。 主人公、ふみ子をやるのは、鈴木理子さん、この子すごい子(12歳)でした。 厳しい按摩の師匠をやるのは、高橋恵子さん。よかった。
とまあ、1日が「文化的」に終わった文化の日でありました。 帰ってきて、粟津きよ」さんについて少し調べた。 本を書いておられるようなんで、そのうちに読みたいと思ったことである。
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