2007年07月01日(日) |
7月になってしまったね |
あっという間に1年の半分が終わった。 やれやれだ。 この一週間、金魚見守り隊(っていうか、「見守りひとり」・・、劇団ひとりのパクリ、だけどね)していました。 おかげさんで、水槽がでかくなったら一気に元気になった。 でか水槽に3匹、転覆病のピンポンちゃんには、もとの水槽に1匹隔離。 ピンポンちゃん、もう浮かなくなったが、浮いている間に、しっぽがやや曲がって、もう水中で水平しているのが難しいようだ。 このまま、隔離で飼わないとほかのヤツらにしっぽ噛まれそうだから・・・このままかな。メダカでも飼ってきて入れてやろうか、いうところ。 学びましたわ。 やっぱり、生きものには、それなりのお互いの距離がいるんだって。 濃すぎてもいけないような。 そういう意味でいえば、都会の密度の濃さは、もうそれだけで、「正気をなくす」「元気をなくす」なんだろうとおもう。
今日は、テスト勉だけど、「無常ということ」(小林秀雄)や「赤い繭」(安倍公房)がわかりません、という高校生と午前中に時間大幅オーバーで勉強。 先週は長恨歌(白居易)だったし。高校時代、安倍公房はさすがに教科書になかったが、無常ということと、長恨歌はあった。 さらに、彼の教科書をのぞくと「ラムネ氏のこと」(坂口安吾)もあった。 イヤーなつかしかった。 改めて読んでみると、安倍公房は、実に論理的な文体で、これは訳しやすいだろうと思う。ノーベル賞候補になったのもうなずける。 対して小林秀雄はね・・・ただ、この文で高校時代のわたしは「人間は死んで初めて人間になる」ということばに出会って、ものすごく深く共感したことを思い出す。ってことで、勝手に読む分にはいいが、これを解説するのは至難のワザだ。特に「国語苦手」の子には。 彼がいいたいのは、要するに、歴史を客観視するのではなくて、そのものへ自分が参入せよ、そういう体験こそがまさしく歴史を知ることってことなんだけど、これはある意味観念的だし。そっれを自分の個人的体験から展開しているのが、弱いというか、自信過剰(嫌みでいえば)・・・ていうのがわたしの個人的意見。 こんな文でも、この指示語は、とか、このことを別のことばで表現しているけど、それはどこって調子で分解していくのは疲れる。
先週の長恨歌も、改めて読むと、見事な構成できちんと韻を踏んでいて、とか新しい発見があっておもしろかった。
一ついえること。 日本の教科書はよくできていると思う。 以上。
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