世界お遍路 千夜一夜旅日記

2007年06月23日(土) 東山油田講座第3回

よい天気。
悠久山球場で、巨人・グッドウイル2軍戦。で、周辺それなりに込んでいた。
悠久山の仮設はだいぶ取り壊しが始まっていたが、その周辺も車がたくさん止められていた。
今日は、町の先生ではなくて長岡大の松本教授の話
明治以降の長岡経済産業史の概観を駆け足で、という感じの講義だった。
*長岡は、明治期は政府にたてついたということもあって政府援助は望めない状況だった。で自分たちで活性化しようという志の高い気概があった。
「でも、それが変わったのは・・・」
わたし、はいわかりますよ「田中角栄からでしょ」と心の内の言葉。
「田中角栄からですね」
で、正解でしたが、
角栄だって「志高い、独特の気風」から生まれて来た人ではあるとわたしは思う。それは、自分たちで、というベクトルを持つか、中央へでてそこを動かすかという方向を持つかのちがいだ。
今回は3人の人物を中心に話が進められた。
「内藤久寛と日本石油」
内藤は、1859年生まれ。刈羽郡石地村の有力者の次男。明治18年(1885)に、殖産教会を立ち上げる。いわゆる、ベンチャー・ニュービジネスの立ち上げのために勉強会だ。で、農商務省参事官でニューヨーク駐在の鬼頭なる人物よりアメリカ石油業界の隆盛を聞いて、石油業なら地域のみならず国府拡大に貢献できると思って、柏崎の尼瀬海岸に湧き出ていた油田採掘に着手。
明治21年資本金15万円(今どきだと約15億だそうな)
世界初の海底油田開発に成功。
やがて、アメリカから、機械採掘の機械を購入。
これは1億以上。
やがて、採掘だけでなく、精製から販売まで(経済用語では垂直的統合というらしい)。しかし、東京大阪まで持っていくのに時間がかかり越後油は品質がよくないと不評。
じゃ、鉄道を造りましょ、鉄道まで自分たちでひいてしまう。ということで、JR信越線の直江津・新潟間て元々は彼らがつくったものであったのだ。
(すごいじゃん、ハナから政府なんてアテにしない姿勢がここに見える、ていうか、陳情してもまるで相手にされなかったらしいが)
やがて、尼瀬は衰退を迎えて採掘の本拠は西山油田へ。
大正以降は、秋田・北海道採掘へ。
さらには輸入石油の精製に生き残りをかけて本社の東京移転。

「宝田石油と山田又七」
山田又七は、三島郡和島村生まれ。長岡の雑貨商に勤めた後、浦瀬川で水力を利用した綿糸紡績業をするも失敗、当時浦瀬山で始まっていた石油採掘にかけた。
1893年操業、1895年採掘機械を購入。飛躍的成功。
ある時期までは、内藤と同じく「垂直的統合」で、精製から販売までを進めた。違ったのは、山田は、成功によって、バブリーになって性格がよくて断れないこともあって、石油がでない場所までもドンドン購入してしまった。で、不良債権をかかえ込むことになって傾き。やがて筆頭株主らが内部整理。
1915年社長を退任。
1916年からは令終会をたちあげて、悠久山公園の開発。
1917年死去。
宝田石油は、その後に日本石油と合併。(1921年)対等合併。
本社の土地や建物は長岡市に寄付。
現厚生会館(長岡駅より徒歩3分、長岡城があったとこでもあるし、まさに長岡の由緒正しい中心)→市街地再開発のために、市はここに市役所新庁舎をつくるというてますが。

上記の勃興と繁栄によって、波及効果がすごかった。
今ある長岡の機械工業の大半がこの時期に操業開始している。
さらに小林友太郎というユニークな人物もでた。
この方、精製、石油と共にでるガスに着目して供給。
(目の付け所がいい)
さらには石油など運ぶために栃尾鉄道をひいて、悠久山を観光地をした等など。

講義を聴いていて「地産地消」という昨今いわれている言葉を思い出した。
(農でいわれている言葉だけど)
石油が出て、自分たちで掘り精製し、「地元」で「自分で」ということ仁こだわってさまざまな産業が生まれた。
例えば、ほかからの資本だったらどうだろうか。
多分それは収奪に終わり、一種の「ブーム」でおわったろう。
それはゴールドラッシュを見ればよくわかる。
スーパーにしろ、お店にしろ、このごろはチェーン化が進んでいる。
でも、例えばダイエーやそごうだが、経営悪化によって撤退。地元では「おばけ屋敷」になっている。
これが地元資本だったら、こんなにあっという間にお化け屋敷化するだろうか。
しゃぶられて終わりとなるだろうか。
最近、田中角栄の失脚原因となった信濃川河川敷の広大な土地に真紀子がらみの大型ショッピング施設ができて(わたしはまだ行っていないけど)なかは、東京のわたしがよく知っているお店の支店だらけなんだよね。
足が地に付かない資本や店の進出。
時代の趨勢でしかたないとはいえ、何だかいやな感じがしていたのだが、本日の講義でその「いやな感じ」がやや見えてきた気がする。
地方は、その内側から「勃興」しなければならんのだろうと思う。
でないと、本当の地に足付いた強さは持てない。

自分が生まれて、今又もどってきた町の歴史をこんなふうに聞くのは面白いというか、感慨深いものがある。


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