世界お遍路 千夜一夜旅日記

2005年02月12日(土) 焼山越えを歩く

朝6時に飛び起きて、おにぎりをつくくって、6時44分の電車に乗って、7時10分鴨島着。
寒い。空気がキンキンだ。
しかし、空はすっきり雨の心配はない。
駅からの途中で、自転車のおばさんが止まって、「これから焼山寺、いくんやろ、てんきがエエし、ええな」と話しかけてきた。
おお・・・「私は旅人」になった・・・だ。

藤井寺をお参りして身仕度を整えて、8時半近く発。
そうそう、藤井寺でおじいさん?らしき保護者につれられた5歳のお遍路さんにあった。お経、上手。倉敷からとか。「よっくんみたいね」といったら、保護者らしき方は時々会いますよ。とか。

葉が茂っているときはなにやら陰気くさい登り口付近もカラリとして明るい。
冬の野山歩きはこれだからいいだよネエ。
上の展望台に行く途中、朝の散歩のおじさんと会う、それ以外には誰もあるいていない。まだ、お遍路さんオフシーズンだ。
展望台着8時50分。
長戸庵への道、お地蔵さんが倒れていたり、倒木あり、道くずれあり、で荒れていた。
一部は、もう一度雨台風が来たら、道が流失しそなところがあった。
「最後に残った空海の道」とか、やたらに立て看板を立てているわりには手入れ・管理をしていない感じがする。
愛媛柏坂は、看板もたてているが、整備・管理もしているようだが。
庵着9時45分。
休んでいたら、一人の若いお遍路さんが、後ろから来ていた。
で、結構きつい道ですね・・とにこやかに声をかけて、風のように通り過ぎていった。
いい笑顔だった。
私は、庵のベンチで10分ほども休んでいたろうか、風のようなお遍路さんの影形なし。健脚だねえ。
柳水庵着10時50分。
庵主のいない庵はさびしい。
奥の院もおられる間は、いつも掃き清められて、供花もあったのに、結構荒れていた。
さらには、大師堂からは、けたたましく、防犯ベルの音が定期的にしていて情けないのだ。
木もかなり切ってあって、深山の奧的な風情が消えていたし。
とにかく変わり果てたといっていい柳水庵だった。
お参りをしたあとにベンチに坐って、おにぎりを一個食べて、おいしい水を飲んで
ここに泊まったときに出会った人や、きいたお話を思い出して過ごしていたら、あっという間に30分が過ぎた。
だんだん、、私にとっての遍路道も「往時茫々」になっていくなあ。

私が、いる間に2組ほど地元の人が車でお参りにこられていた。
下っていくと、駐車場のわきに新しい無料宿泊所ができていてすでにたくさんの人が泊まられたらしくて、お札ががたくさんはってあった。

さあ、この先がしんどいぞ。
1本杉庵までの登り、左右内から焼山寺までの登り、覚悟をしていかないと・・・。
それにしても、1本杉庵のあたりの荒れようもひどいなあ。
灯籠の一つが壊れていたし。
ただ、石段を登っておくとお大師さんが待っていてくださるというこの設定のすばらしさは変わっていなかった。
最後の登りは、柳水庵で汲んだ水を持ったり、供養の碑のために時々石を拾ったりしていたので荷物が軽くなるどころが重くなっていたのできつかったが、クリア。
垢取川の水が、コワイほど澄んでいた。
2時には無事に焼山寺着。
焼山寺は、大師堂を建立するらしくて、仮大師堂ができて納経所も立派になっていた。札所は今はバブル期のように新築・改築ラッシュだ。
「大師堂、雨漏りしてきましたんで」ということだが、私はあの古めかしい大師堂、好きだったけどなあ。
お参りの後にもうひとつ、おにぎりを食べてくだる。
4時48分、寄居中より徳島駅行きのバスで帰った。

お四国を去る前に私が一番歩きたかった道が、焼山越えの道だった。
行事が一つ終わった。

帰って、ビールのうまかったこと!
で、世界不思議発見も見ないで爆睡でした。
感謝。








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