世界お遍路 千夜一夜旅日記

2005年01月21日(金) 偽善って、いいんじゃないの

偽善・・広辞苑じゃ、「本心からでなく、見せかけでする善事」とある。
まあ、あんまりいい意味じゃ使われない言葉である。
文字を分析すると、偽は、人のために為す・・で、人のために為す善事、ということで、本来的にはまさに、善も悪もなくそのものズバリの行動の事実を意味した言葉であるのだ。
だれが「偽善」に「負」の意味を乗せたんだろうか。
なんて想像をたくましゅうする。
人のためにいいことをする→自分の為じゃないんだから、心から本心でないんじゃないの?→人は自分のため以外のことをするときは「取り繕い」的なことが多いんじゃないの?→自分や家族など以外のために善き事をするのは「見せかけだよ、たいてい人の本質は悪なんだから、サ」→偽善→本心からでなく、見せかけでする善事・・・なんていう成立過程があるのかねえ。
私も、今より年若だったころには、この「偽善」の意味に異議はなかった。
というか、別にそう深く考えず「偽善者」なんて言葉を使用してきた。
昨春、大島島遍路に行って、50年間善根宿をしている87歳の80歳のご夫婦にお会いして、彼らの娘さん(といっても、56歳だが)「母のやっている食事の世話を手伝っていると、ホントに心をこめてよいモノを、体にいいものを食べてもらおうとしていることが伝わってきます。父母が元気なんは、島に来てくれるお遍路さんのためを思ってずっとお世話をしてきたからだと思います。」といっていたことだった。
実感ある一言。
そうなんだよね。
情けは人のためならず。
積善、という言葉があるけど、善を積むことで自分こそが「益」を受ける。
さらに突っ込むと「偽善」(負の意味)でも、いいじゃないか、と思う。
やせ我慢でしてみよう。建前でよろし。
それでも、得るものはある、と思う。
で、何度も為すうちに変わることもあるだろう、と思う。
偽善、大いに結構だい。
みんなでしようよ、偽善。
みんなですれば、恐くないなあんて。
それさえも、しないことに今の社会の大きな問題の一端があるようにさえ思う。
「本音で語ろう」とか「本音トーク」とか、まるでいいことのようにいわれて久しい。
しかし、この「本音」って言葉の流行が本能むきだし、やな事にはそっぽ、自分の益に直接につながらないことからは逃げるといった、人の善性ではなくて悪の部分を露呈・助長させてもいいんだという風潮を産んだように思うのだ。
「本音で語る」事が悪いことだとは思わない。
建前で語り続ける先に、戦争などの恐い未来があることは分かっている。
(しかし、本音トークとか本音で語ろうとか言っている人の大方は、「恐い時代」が来たときには黙して語らずだろうと思う。まず、本音で語る的な言葉使用している80%が自分の都合のいいときにかホンネで語らないように予想しているんだけど・・・)
えーっと、脇道にそれそうだわ。
要するに「偽善、いいんじゃないの、今の世には」ってこと。
本来的には負の意味がなかった偽善という言葉の名誉回復を計りたい。
まあ、私がこの頃していることの大方が「偽善」であるわ。

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昨日から馬車馬のようにプリンターを使って、400枚以上印刷。
(かわいそうに、うちの安物プリンターは1度「壊れました」なんて、言うエラーをだした、でも、再起動で酷使。ごめん)
80通以上のお便りを作った。
夕方、本局まで出しに行った。

すっかり疲れ果てて、食事もそこそこにダウン。
日が変わった夜中に起き出してこれを書いている次第であります。
夜が明けたら、八幡さん参りに行こう。
昨日、行かなかった、というか行っているヒマがなかった。
空気の乾燥で、また、鼻血が出るし、喉もおかしい。
風邪じゃ、ないんだけど・・・
徳島県「異常乾燥注意報」
新潟は「大雪注意報」
喉鼻粘膜が湿度の高い「育った新潟仕様」になっている私は、この時期はヤバイ。






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