前から行きたかった、高知県赤岡町の絵金祭りへ。 徳島発9時45分高知行きバス、12時20分くらいについて、松山からのタケダさんと合流した。 彼女も、お母さんが絵金祭りに来たことがあるとかで・・恐いってさ、で行く気になった。 絵金は、金蔵といい、文化文政から明治までを生きた天才絵師。高知城下の髪結いの息子だったが、その才を狩野派門下で伸ばし、土佐藩のお抱え絵師となった。しかし、若くしての出世をねたまれてはめられ、ところ払い。つまり藩を追放されて、その後の足取りは推測だが、大阪の芝居小屋で絵を描き、時に役者のまねごとをし・・・で、許されるまでの10年を過ごしていたらしい。 その後、伯母が嫁いで住む赤岡町に住んで絵を描いた。 当時、赤岡は宿場町として栄えて町衆に勢いがあった。 で、絵金に描かせた歌舞伎絵を夏祭りに飾って楽しむようになった。 また、彼の絵は神社への奉納絵や絵馬ちょうちんにもなってもてはやされた。 奉納というからには、さぞ神聖な絵と思われるだろうが、とんでもぎっちょん。血みどろの絵が多い。幕末期の歌舞伎は、殊更に血みどろを好んだ鶴屋南北系のお話が多いから、その傾向は仕方ないのだろうが。 当時のままの絵金の絵を、当時のままにろうそくの明かりで鑑賞するというのが絵金祭りだ。 いやいや、お見事な絵でござった。 私が気に行ったのは、良弁杉由来のワシに子供(のちの良弁)がさらわれる絵や葛の葉子別れ、佐倉宋五郎の子別れ・・などなど。 勢いと、スピード、緊迫感、どれをとっても特急の絵だった。 もちろん、歌舞伎のお話が少しはわからないとおもしろさは半減だろうが。 念願かなってようございんした。 それにしても、これらの絵を愛した町衆の勢いを思うと、江戸の終わりは来るべくして来たのだと思ったことだった。
暑かった。 9時半了の絵金祭りから帰って、宿のかとりさんで、ビール大ジョッキのおいしかったことよ。 その後は積もる話で夜が更けた。
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