朝、5時起き。6時前にうちをでて新宿発7時20分の長野行き高速バスに乗った。 けっこう満席。 前、斜め前、斜め後ろ、熟年夫婦の姿。金曜だし、ふつうのお勤めの人はなかなか行けないし、勢いこうなるのだろう。 まあ、けっこうなことである。 横川で休憩。 高速道路沿いの緑が美しい。 しかし、緑を見ると、どうしても、奥駆け道を思い出す。 昨夜なんて、やせ尾根の上をびくびくしながら歩いている夢をみてしまったもん。 あの100日行の若行者さん、お大師さんのお若いときのような方、今日もお山の上をかけっておられるのだろう。かっこよかった。 私たちが、行を続行していたら、しばらくあの方と一緒だったのだが・・・
長野が近づいたら道路が混んで着は11時20分。 20分遅れだ。 駅の観光案内所で、ご開帳のパンフをもらって、少しはやいけど、名物の信州そばを昼食に食べて善光寺まで歩いた。 15分ほどで行くのだが、門前町のにぎわいをプラプラ歩いたんで20分はかかった。西光寺という浄土宗のお寺に大師堂があった。もちろん、お参り。 大門交差点を過ぎたら突然門前が人であふれ始めた。 お参りの人たちである。 観光バスで来る人が多いのだ。 駅に着いた人も、たいてい、たかだか15分を歩かない。ひっきりなしにでているバスにのる。(私ため息) 仁王門から、ご本尊さんとご縁を結ぶ「回向柱」周辺は人の波だ。 老いも若きもべたべたと柱にさわり、その手で頭や身体に触り、お線香の煙を浴びて・・・日本てやっぱり仏教国なんだよな、と納得した。
★善光寺について★ 善光寺本堂の前立本尊・・・一光三尊阿弥陀如来。白雉5年(654)以来の秘仏。鎌倉時代にお身代わりとして現在の前立本尊がつくられた。ひとつの光背にまん中に阿弥陀如来、右に観音菩薩、左に勢至菩薩が並ぶ。 7年に一度ご開帳される。 歴史・・・縁起はインドの月蓋長者は娘の如是姫を如来に救ってもらい、深く仏教に帰依した。長者なき跡、本尊は百済に渡り日本へ。しかし、物部氏によって難波の掘りに捨てられ、月蓋長者の生まれ変わりである本田善光がそこを通ったときに出現した。そこで善光は如来を故郷へ持ち帰り自宅に手厚くお祭りした。 これが善光寺の始まりである。 となっているが、歴史的には成立年代不詳・・「正体不明」ナゾの多い大寺なのである。しかし、火に遭うたびに再建されて、庶民信仰の場として現在に至っている。 また、その霊験を求めて権力者が変わるたびに如来も「転居」。元善光寺をはじめとして、祖父江、佐久などにも「善光寺」がある。 どこの宗派にも属さずに天台宗と浄土宗が護持している。 従って、朝の勤行も2回それぞれのやり方であるのだという。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ 内陣と戒壇巡り、経蔵、資料館、合わせて500円。 問題は長蛇の列、お参りの場所に行くまで30分、戒壇巡りに至っては1時間待ちだ。さすが、である。 如来さまは、さして大きくないが細身で優美、燦然と輝いておられた。 戒壇めぐりは善通寺を思い出したが、如来さま直下のカギにさわると極楽浄土保証します、というもの、誰が始めたのかしらないが、うまいこと考えてある。 善光寺参りの講は今でいう旅行社のはじめだというし、戒壇めぐりはちょこっとテーマパーク風。 この戒壇めぐりと朝の「お数珠頂戴」(導師が朝のお勤め時に参道にひざまずくsi信徒さんの頭を数珠の房でなでて功徳を授ける)などは、庶民信仰の演出としては心憎いものがあるとおもう。 ところで、カギ、私、さわりました。がちゃんがたん、いわせてきました。 極楽パスいただいました。 資料館は、高村光雲の仁王像がなかなかだった。 境内は広くて、厄除けお不動様、延命地蔵、佐藤忠信・継信の墓(歌舞伎の義経千本桜にでてくる)があったり、なかなか見所多しだった。 ツツジもきれいだったし。 友だちに名物の唐辛子を買って、5時半のバスで帰宅。 予定より10分も早く着いて、我が家着10時。
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