世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年10月12日(土) 高野山大学 公開講座

午後2時 新宿の工学院大学にて

テーマ 「チベットへの仏教移入と密教」講師 越智淳仁先生

1 国家統一以前
 チベット最初の王は、争いによって天上に帰る綱を切断されたディクム王。
その前の時代は、王たちは天上から降りてきて、また帰ったのだという。頭の百会(ひゃくえ)から青い細いヒモがでて、それが天上とつながっていた。用が済むとそれが上に引き上げられて天へ戻った。
ちなみにチベット人最初の夫婦は猿と岩の仙女だという。
(独り言・・・青いヒモで天へ戻るって、確かチベット死者の書にも似たような描写があったような・・・。最初の夫婦の女性は岩のせいってところにこの地域のすごさを感じるねえ・・)
この時代のチベット宗教は(つまり仏教が入る以前はポン(またはボン)教。
しかし、仏教移入後、かなり形を変えたので、原始ポン教についてはわからない。

2 国家統一
ソンツェンガンポ王によった。(581年から649年)この王は、観音の化身といわれ、描かれたり、作られたりする姿にも頭に観音さまがのっている。
この王の勢力はすごく、一時は中国の西安近くまでを支配した。
王には、やりての大臣ガル・トンツェンユルスンがいたのだが、彼の交渉によって唐の太宗の娘文成公主の降嫁(ソンツェンガンポ王の息子グンソングンチェンの花嫁として)に成功。
この交渉時にチベットにも文字が必要ということで、トンミサンボーダによって初めてチベット文字が編まれた。
そして、文成公主によって、チベットに初めて12歳の姿をした釈迦牟尼仏がもちこまれた。(チベットに仏教が持ち込まれた初め)
文成公主と結婚した王子は3年後23歳でなくなり、彼女は、3年喪に服し(チベットの決まり)今度は父であるソンチェンガンポ王と結婚した。(独り言・・まるでシェークスピア劇ような)
しかし、その王も、また3年後になくなった。(越智先生・・この文成公主という人はホンマ男運のない人なんですわ)
彼女は、その後、最初の結婚で皇子との間に生まれたマンソンマンツェン(王の死後、跡を継いだ)の生長を楽しみに生きたとさ。(独り言・・・唐に帰りたいとはいわんかったところが根性と気合いがあると思った・・越智先生によれば実際そういう気丈系タイプだったらしいが)
この文成公主が後に建てたお寺が、小昭寺(ラモチェ)。彼女と共にソンチェンガンポ王の后になったティツン(インドから来た人?)は建てたお寺が大昭寺(ツルナン)。
その後、則天武后の娘である金城公主も降嫁してそのおりにお寺がたくさん造られる。

3 仏教の正式移入と仏典の翻訳
正式移入はチソンデチェン王(742年から804年)の時
サムエ寺を建立して、仏典を翻訳
仏教の正式移入ともに政権の奥深くに入り込んでいたポン教との争い。
シャンタラクーシタ(インド人)が連れてきたパドマサンバアバというマジックに長けていた密教僧(どくろを持って描かれている)によって仏教勝利。
その後、シャーンタラクシタを戒師として7人のチベット人が出家。
7人は、インドの当時の仏教の中心のひとつであるナーランダにお勉強に行く。
その当時のナーランダには、般若三蔵(空海の唐におけるサンスクリットの師といわれている)などやがて中国で活躍する僧たちが学んでいた。

4 その後
中国系の仏教を導入するべきか、インド系にすべきか、王は苦慮した。
インド系密教の問題は、呪殺。この時期たくさんの人、王も呪殺によって殺されている。(ドヒャー、マジ!!!??・・でも先生は大まじめでいっていたよ、そういうお経があるという・・確かに四国65番の三角寺の三角の護摩壇は降伏だというし・・)呪殺をしたと判明した人は、一族郎党、殺されたという。
こんなことで、一時、インド仏典の翻訳が禁止されたという。
とは言いながら、当時もっともuptodateで、完成度が高かったのはインドよりの金剛頂経で、チベットでも受け入れていった。

(おもしろ話メモ)
*ラ(神々)サ(土地)
*チベットのお酒の話
 ネー(麦)チャン(酒)はうまい。米の酒もあるが、麦が何といってもうまい、特にまだ発酵しているようなヤツがうまい。わかる・・ウィーンで飲んだシュトルムという半発酵のワインはうまかった。今関さんちで頂いたどぶろく発酵中もすごくうまかった。(と、よだれを垂らしたmohejiであった。)
(おもしろくはないが・・・)
*チベットの現況・・前よりも、チベットの言語は大切にされている。チベット語を学校で教えている。しかし、経済、お金はみんな中国人(漢民族)の方に流れるようなシステムができている・・チベット人は貧しい。
また、賢い人はチベットをにげだした。
今、老僧たちが法を伝えるべき人がそだっていない。

感想
★越智先生は春先の講座より、言語明快でわき筋の話がおもしろくてアッというまの2時間だった。
★チベットの仏教って、もっと古くから伝播されたのかと思ったのだが、(インド、近いもんねえ)意外や、日本より遅いではないか!
★ラサ・チベットって、わたしが行きたいとこのひとつ。
でも、講義を聴いて、チベット仏教を少し学んでいった方がもっと奥が深くなると思った。
★映画の「7イヤーズインチベット」(ディカプリオさまだった?)のラスト、中国共産党がのりこんできたときチベットの最高の歓迎である色砂で描いた曼陀羅をふみじったシーンを思い出した。あれ以来チベットは暗黒の中にいる・・・チベットの現況を効いたときにあたしの脳裏をよぎったことだ。

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帰り、小腹が空いたので、なんか・・と思っていたら人だかりのカレー屋。
見たら、15時から17時、カレー280円だとさ。Aコロッケカレ−、B唐揚げカレー。大丈夫かと思ったが、そこそこの味。あたり。デフレ、だよね。えらい人とお金持ちは困っているようだが、庶民には嬉しきかなデフレじゃ。

なんか疲れを感じる、どっか行きたいよう。私の場合、それで元気になるのだ。
アラスカ旅日記休みます。



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