世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年06月03日(月) ★近江今津だが・・・★ アップしましたよ!

シグマリオンの不具合でアップできず。
後日いたします。

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ビジネスホテル れんが亭を6時30分に出た。
今日のルートは途中まで、通称「鯖街道」だ。
若狭で水揚げした魚を京までとどけた道、鯖が特に多かったことからこの若狭街道が鯖街道とも呼ばれたのだ。

朝のうちは涼しいが、今日も暑くなりそうだ。何しろ空に雲がない。
歩くうちに問題が・・・お腹が痛い。
遠敷川近くのガソリンスタンドでトイレをお借りして飛び込む。
朝は、昨夕京都駅で買った梅おにぎりとお茶だった。
あたるようなモノを食べた覚えはないのだが・・・敢えていえば、おにぎりの中に混ぜ込んであった高菜がよくなかった?
または、昨夜、蒸し暑かったのでクーラーを送風にしておいた。もしかして、身体を冷やしたのか。
今日は、水を補給しながら様子を見なくては・・だ。

上中町に入って、古墳の脇を通過。
外堀は埋められて、カボチャとかが植えられていたがなかなか立派なモノだ。
近くの人が、この辺、田んぼのなかや町中にまだまだいろいろとありますよ、といっていたけど、さすが、だ。
昨日は宿の女将さんが「小浜は人口少ないけど、お寺は多いわ」と笑っていっていた。何しろ、国宝級の寺や仏像が多いんだもん。大陸文化の玄関口のひとつだっただけの事はある。

瓜割の滝という名水公園があったが、水と聞いたら飛びつく私だが今日のお腹具合を考えてれば通過した方がいい、ということで寄り道しなかった。少し残念だ。
上中駅の近くに「親玉旅館」という、面白い名前の宿があった。
なんの親玉かねえ。ネーミングの由来を知りたいところだ。

10時45分、熊川宿に入った。ここは、鯖街道の要地として、宿場として栄えたところだ。町並みにそのころの雰囲気が色濃く残っている。
タバコ屋サンの明治の頃の看板がおもしろい。
「これ、なんでも鑑定団」に出したら、いい値がつくよ」とは観光客の言葉。

今津にはいった。
この旅で初めて、トンネル抜けがある。
寒風トンネルと、水阪トンネルだ。
寒風トンネルは短かったが、水坂は800メートルあまりの長さ、おまけに中で曲がっていて出口が見えない。
いくら歩道があっても気持ちはよくない。

トンネル抜けをしてヤレヤレ、で歩いていたら、道にしゃがんだおじさん2人から声がかかった。
「そんな杖持って、勇ましいカッコしてどこいくんや、山登りか」
「いいえ、西国徒歩巡礼」
「お寺か」
「そう、竹生島にお参りです、次は」
などとしゃべっていたら、一人のおじさんが「ワシ、これから今津に帰るで、乗せていこか、このさき303号は歩道はないし、せまいしまがっとるし、危ないで、のっていけや」
時計は1時半。
まだまだ元気な私である。
丁寧にお断りした。

民家はないが、すぐ近くに救護施設がある。
その関係で不思議な雰囲気の人たちがお散歩していた。

車に乗れといってくれたおじさんは、私が歩いているとうしろから来てさらに誘ってくれたが、重ねてお断り。
しかし、あとで後悔した。
本当に303号は、通る車の5台のうち3台はダンプ系で、人気の少ない道だから飛ばしてくる。よけてくれる車はいいが、中にがまったくその気配なし、で、私のわきすれすれですごいスピードでいくものもある。恐くて、泣きそうになった。
あのおじさん、車観音さんだったのかも、と思ったことだった。
自衛隊の演習地付近が特に荒れている。自衛隊さん、道の草刈りしろよ、といいたい。何しろ、ささやかに白線で仕切った歩道も草でふさがっているのだから。

今津の宿(福田屋旅館)着4時半。
さて。福田屋さん、昔はとてもいい宿だった・・と思うのだが、今は恐い感じ・・・だ。
なんか、古すぎて。
お風呂にいったら、なんと「軍用旅館」の鏡があった。
ホントに時間が止まっている感じだ。

しかし、食事は美味しかった。
特に滝川豆腐と、スズキの焼き物が絶品だった。
息子さんが板前さんなんだという。
「大阪で、25年も修業したんです」
なかなか愛想のいい女将さんが嬉しそうにいっていた。
この方のお顔も、昔美人の典型だった。
今は、ちょっと「魔法遣い」の風情があるが。

宿の裏は琵琶湖がきれいだった。











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