世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年05月31日(金) ★東舞鶴まで★

ゆうべ、左小指と右足裏の治療をしっかりした。
とことん、漿液を出して数回の消毒、その後依然ナースの知人からいただいた化膿止めのゲンタシン軟膏(有効期限切れなのがやや心配)をたっぷりとつけて、そっとガーゼでとめた。これとセットで、飲む抗生物質ももらったのだが、これはパス。とにかく今以上に腫れ上がらせないことが肝要なのだわ。
今朝は、汗を少しでもはじむようにオリーブオイルをつけ、足のマッサージ。

朝6時45分発、少しはきいたのか、昨日より痛みは和らいでいる。少なくとも刺すような痛みはなくなっている。
細川ガラシャがいたせいもあってか、宮津市内には、畳敷きの教会があるという。明治初期の様式を伝えているというので有名とか。観光案内所できいたのだが、昨日は眺めにいく元気がなかった。
今朝は、それを眺めて本ルートに乗った。まだ開いてなかったので中には入れなかったが、確かに外からでもステンドグラスの美しさがよくわかる。

さて今日のルート、峠と名の付くところが3カ所ある。まあしかし、このへんの山容を見ていると、そうきつくなはいだろうとおもう。

昨夕は信号待ちで、おじさんに道と宮津駅前にホテルはあるだろうか、ときいたら、うちに泊めてあげようか・・・ええ、あのでも・・・そうやわな、突然こんなんいわれても身の危険感じるわな、というおかしな会話をした。
善良そうな人だったが、あれにはすこしびっくりした。
あのおじさん、四国に生まれるべきだったね。

国道から山越えルートへ。
名無しプチ峠、宮津と舞鶴の境である坂戸峠、を越えた。
体重が明らかに減った。巡礼ダイエット成功。それもあって、坂が苦しくない、ってことなんだ。体がグレードアップしたんじゃないわよね、がくん。
   今頃 気がつく あほさ かな。

八土地川に沿って下る道は人気がない。時々車が通るだけ。この府道宮津、舞鶴線は寂しい道だ。
やっと下りきっても座るところも休むところもトイレもない。とれあえずは休みた。なにしろ、宿を出て3時間近くゆっくりとザックをおろしていない。もう限界。足は何とか動いてくれるけど、やっぱりいたいし。
農作業用に架かっている橋の上に荷物を置いて座り込む。かんかん照りだが仕方ないもう、手も顔を真っ黒。まあ、巡礼、遍路の時は日焼け止めだけと決めているし、な。

靴も靴下も脱ぐ。
足が喜んでいる。
水を飲んで、トマトを一つ食べてボーーとしていたら、向こうから猫が2匹くるではないか。
1匹は、白と黒の斑、もう1匹は茶色鯖縞。どうやら、デートらしい。2匹して、ほんや ほやな、という感じで歩いてくる。
私は不動で待機。
先にぶちさんが私を見てじっと警戒したが、私は素知らぬ顔で、畑の向こうを見ていた。
そうしたら、やっぱりほや、ほんや、という感じで通りすぎていった。ぶちさんはメス、鯖縞がオスであった。あれは見たところ、鯖は年下だね。彼女の後ろについてく、ってかんじだったよ。
猫を観察していたら、あっという間に20分が過ぎていた。
靴を履いて、また歩く。
なんといっても、歩き始めの3分が痛い。足を引きずる。

次の滝尻峠に向かう前についにガソリンスタンドでトイレを貸してもらった。
国道に出たら、コンビニが、と、期待していたのだが、なさそうな。
今回の旅で初めてだ、ガソリンスタンドで借りるのは。
スタンドにいたおばさんが峠の付近、道はくねっているし、歩道はないし、ダンプはとおるしだから、気をつけて、と心配してくださった。ありがとうございます。
道はその通り。しかし、いつか奈良竹内峠はもっとすごかったしな。

昼になってめきめき暑くなる。こうなると1時間4キロなんて行かない、てれてれ歩きになって、足は痛いし。
途中、昔の旅人の水場にお地蔵さんと四阿。そこで昼食。
この後に西舞鶴と通過して、東舞鶴、となるのだが、距離的には大したことはないとわかっていてもだめ。あつい。
国道沿いの温度計が28度を指していた。
ほお・・・とため息だ。

市内の田辺には、江戸期の校門の中に近代的校舎、明倫小がたっていた。
おもしろかった。

最後の白鳥峠のトンネルの上後の道がなんと地道だった。毎日、必ず少しは地道があるわい。

東舞鶴駅で紹介してもらった、トップインというホテルに投宿。
4時、だ。後半、右足首の靱帯が伸びたところ、我が古傷まで痛みはじめた。
こまったなあ・・・・
でも、明日は松尾寺さんだ。がんばらねば。



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