| 2002年05月21日(火) |
★穴太寺(あなおじ)さんまで★ |
快晴。 しかし、昨夜遅く寝たのと、やや風邪気味か、という感じで体は重いし、集中力に欠けて道を思いっきり間違えた。反省。何しろ、、3、4キロはミスったよ。 私の歩行人生の中で最大だ、これって。
★ ☆ ★ 6時25分にYHを出た。昨夜は6人部屋に3人だったのだが、60代後半のおばさん2人組。UFJにきたのだという。いいねえ。早く起こしてしまったおわびに、きのういただいたおみかんを「お接待」して出た。
大阪駅から各停に乗ってすわり,すこしねむったが、頭はぼんやり気味だ。
8時25分、4月に打ち止めていた向日町から始めた。風はさわやかだが体は重い。顔を上げると今日登る善峰寺さんが山の中腹に見えている。次の穴太寺はあのさらに上の峠を越していく。やれやれだわい。 市街地が切れると、水田と竹林がつづく田園風景。このへんは竹の子産地だものな。畑や田圃の人影に朝の挨拶をするも、無視、じろっと、いう目線のみ。実に感じがよくない。和歌山では、とりあえずあんな視線は返ってこなかったよな。 京都人だ、よくない意味で。でも、私がかつて住んでいた京の町屋近辺はそんなことなかったけど。。
のそのそ歩いていたので、10時半過ぎにやっと山門下に到着。 500円の入場料。これって、高い。 山門わきで21番に抜ける道をきいたら、山門わきの茶店の女将さんが詳しいから、ということでおたずねした。 すると、お参りしたら、お寺を突っ切って、三鈷寺へ抜け、そのわきの山道を行けとのこと。 それが古い道らしい。 納経所で、三鈷寺への道を聞いたら、ホンマに歩かはるんですか、20キロはありますよ、一人で?・・といろいろと心配してくださったが。
11寺30分、三鈷寺脇道へ。 約25分の登り。なんと、峠には4軒の民家があった。 またしてものそのそと歩く。 車が時々くるが、涼しい静かな鳥の声だけが響く感じのいい道だ。
今日は楽勝、と思いきや、伏兵はいました。 外畑(とのはた)は京都の水瓶なのだが、ここのバス回転場で、左折をしないで直行して下り、はったと気がついて、カンカン照りの登り道を戻った。やれやれ。
お次は亀岡に入って、右に曲がる、を左に折れる、という信じられない間違い、大回りでルートにたどり着いた、が、印のでている四国では考えられない間違いだ。 地図を見たら、そして、自分の位置をしっかりと確認したら、こんなこともなかったはずだが、カンで自分を信じて痛い目を見た。明日は面倒がらずにきっちりと地図を見よう。
時間が予定より大幅に遅れて、しかし、道がもう一つ不確かで焦っていると、そこに親父観音様。 「穴太寺さんやろ、そこの墓地の間を抜けて、ゴルフ場のわきに出たら、路地のような石段を下りて、左に折れて自動車道のわきに出て、・・・・」と実に丁寧に私が困っているあたりを説明してくださった。 「もうすこしや、がんばり!!!」 のことばも・・本当にありがたかった。 こういうお人を「ステテコ親父観音」と呼ばずしてなんとよぶのだ? 今日は、女の人に道を何度か聞いたが、説明が下手だった。ポイントがいえないのだ。 もう後はかけるようにすーすーんで、5時15分前、お寺到着。 すべて、親父観音様のおかげ。 いつかの、3番への山道であった「ハイカーお父さん」も観音様だったが、私が道に困るとこういう人が突如出てくるところが観音力か。と、マジに思う。
お寺でホテルを教えてもらった。この近くにはないので、亀岡駅前のホテルまでバスに乗ろうと思っていたら、納経所にいた女性が、駅の方にいくんやったら、のせていこか? やったあ!!またまた観音力だああ。 ありがたく乗せていただいた。 車の中で、なぜ歩くのか、とかいろいろと話した。この前に四国の人がリアカーを引いてきたという。 リアカーの中で寝る、ということもありなんだという。 お遍路みたい。
明日の朝、またここより歩く予定。
道間違いについては、深く反省することが多々あったが、おかげで2人の観音様に出会えた。
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