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2005年03月21日(月) 休日ですから。休日ですから、のんべんだらり暮らしております。先週京都・大阪へ行き、18日に帰宅し、19・20日は仕事だったので、ゆっくりしとります。とはいえ、相変わらずPC前にいて、京都写真を整理しながら職場の方(飲みに行くリーダーさん)と所用でメッセしたりしつつ、iPodの曲を増やそうとチマチマ作業してるワケです、よ。 詩を三篇。 +++++ 「自分の感受性くらい」 茨木のり子 ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし 初心消えかかるのを 暮しのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかった 駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ ----- 「知命」 茨木のり子 他のひとがやってきて この小包の紐 どうしたら ほどけるかしらと言う 他のひとがやってきては こんがらかった糸の束 なんとかしてよ と言う 鋏で切れいと進言するが 肯じない 仕方なく手伝う もそもそと 生きてるよしみに こういうのが生きてるってことの おおよそか それにしてもあんまりな まきこまれ ふりまわされ くたびれはてて ある日卒然と悟らされる もしかしたら たぶんそう 沢山のやさしい手が添えられていたのだ 一人で処理してきたと思っている わたくしの幾つかの結節点にも 今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで ----- 「子ども」 ドロシー・ロー・ホルト(アメリカ 家庭教育者) 批判ばかりされた子どもは 非難することを おぼえる 殴られて大きくなった子どもは 力にたよることを おぼえる 笑いものにされた子どもは ものを言わずにいることをおぼえる 皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなる しかし、激励をうけた子どもは 自信をおぼえる 寛容にであった子どもは 忍耐をおぼえる 賞賛をうけた子どもは 評価することをおぼえる フェアプレーを経験した子どもは 公正をおぼえる 友情を知る子どもは 親切をおぼえる 安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる 可愛がられ抱きしめられた子どもは 世の中の愛情を感じとることをおぼえる +++++ 「自分の感受性くらい」は、以前この日記でも載せましたが、最近になって思い出すキッカケが多くあり、また載せてみました。で、以前はいつ載せたっけ、と思ったら、なんと2003年8月…。 一瞬、いつまで経っても私変わらないのか、と思ったけど、いいものはいつの時代でもいい。これらの詩はきっと、私がおばあさんになっても大事なことを思い出させてくれる。 |