おひさまの日記
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なぜだろう、ふと、思い出した。
まだ無邪気な子供の頃、 すぐに母親を怒鳴る父親がこわくて、
「お父さん、怒らないで」
と、よく父に言っていた。
父は、言葉、行動共に、 暴力の人だった。
その頃の私は従順で、 なんでも言うことを聞き、 いつでも父好みの振る舞いをした。 だから、猫かわいがりされていた。
父がひとたびキレると、 母親に怒鳴り散らし、物を投げ、壊し、暴れた。 私はただ黙って見ていた。 一刻も早く終わることを祈りながら。
そして、父が落ち着いてきた頃、 言うのだった。
「お父さん、怒らないで」
できるだけかわいく、 おねだりするみたいに。
ある日、そう言った私に、 父がこう答えた。
「コーヒーを入れてくれたら、 お父さんのガミガミ虫が消えるんだよ。 だから怒らなくなるよ」
それを聞いた幼い私は、 毎日一生懸命インスタントコーヒーをいれた。 スプーン1杯のコーヒー、クリープ、お砂糖は2杯。 今でもよく覚えてている。
そして、父が仕事から帰ってくると、 コーヒーカップを持って、 父の車のところまで行って、 そのコーヒーを渡した。
毎日、毎日、毎日。
そのコーヒーを受け取ると、 父は自分の顔を見るようにと私に言う。
父はわざとこわい顔をしてコーヒーを飲む。 そして、ひとくち飲む度に、 顔が少しずつ変わって、 笑顔になっていく様子を、 おどけながら私に見せるのだった。
それがお芝居だということは、 子供心ながらにわかっていたけれど、 でも、最後に笑顔になる父を見て、 とても安心したものだ。
そして、思ったのだった。
「これでお父さんはお母さんを怒鳴らない」
って。
けれど、父は、それでも母に怒鳴った。 家の中の物をつかんでは投げ、叩き壊し、 時に母にもそこらじゅうのものを投げつけた。
私はその嵐が去るのを、 布団をかぶって耳をふさぎながら待った。
そして、また次の日もコーヒーをいれた。
コーヒーをいれたからって、 父が変わらないのはもうわかっていた。 けれど、それ以外どうしたらいいかわからなかったのだ。
コーヒーをいれなくなったのは、 従順な子供の仮面を捨てた時だった。 小学校の高学年頃だったと思う。
初めて自分の意思を言葉にした。 イヤなものに対してイヤと言った。
父は言った。
「昔は何でも言うことを聞いて可愛かったのに、 なんて憎らしいガキになったんだ」
それから、母がされているように、 ののしられ、暴力を振るわれるようになった。
けれど、従順でいてかわいがられるよりも、 自分の本当の気持ちのままでいる方が、 たとえ、罵声を浴びせられても、 暴力を振るわれても、 まだましだと思った。
日々、父親から受ける、 今で言うパワーハラスメントで、 精神が崩壊していった。
その頃からカミソリを持ち歩くようになった。 体のあちこちを切り、 鋭い痛みと、浅い傷に沿って、 血がぷつぷつと丸く吹き出すのを見ていた。 ぺろっと舐めると血の味がした。
はっきりと覚えているのは、 こうして自分が苦しいと訴えているのだと、 親に見せたかったということだった。
19歳、父のいうことに逆らうと、 木刀で滅多打ちされた。
冗談抜きで、殺されると思った。 泣きながら這いつくばって、 110番して呼んだ警察に言われたのは、
「親が怒るのは当然なんだし、 あなたもいけないことしたんでしょ」
という言葉だった。
父は、
「いやぁ、言うこと聞かなくてねぇ」
そう言ってへらへら笑った。 なんて卑怯なんだと思った。 父と警察は、
「今時の子供はねぇ」
と笑って話していた。 てめぇら死ね、と思った。
20歳で就職して逃げるように家を出て、 それから帰ることはほとんどなかった。
会社に父から電話がかかってきた。
「あの娘はろくでもない人間なんで、 今すぐクビにしてください」
父がそう言っていたことを、 上司から伝えられた。
アバートの留守番電話には、 父からのメッセージが入っていた。
「殺してやる」
父から届く手紙には、 私への恨みつらみが綴られていた。
気が狂いそうだった。
逃げても逃げても、 父の怨念のようなものは、 どこまでも追いかけてきた。
私は家中の食器を全部たたき割り、 その破片を握りしめて手を切って、 痛みと流れる血を味わった。 カミソリであちこちを切っていた頃のように。
父の母と私への異常な行動は、 私の、結婚、離婚、結婚、出産を経て、 父が施設に入るまで続いた。
あの少女は、父が死ぬまで、 二度とコーヒーをいれることはなかった。 それは、自分を痛めつけるものに、 もう決して屈しないという、 強固な意志のあらわれだったのかもしれない。
暑さと湿り気で気怠い日中、 吹き抜ける風が心地よさを与えてくれる中、 なぜかそんなことを思い出した。
そんな、ある少女の物語を。
今、私は、父が、 なぜそんなふうになってしまっていたのかが、 とてもよくわかる。 父が抱えていた痛みも。 それがどれだけ苦しかったかも。
なぜわかるようになったのか、 言葉で説明しようとすればできるけれど、 とても薄っぺらくなってしまうので、 ここではやめておく。
父を許しているわけではないけれど、 許していないわけでもない。 その出来事は、ただそこに「あった」ものであり、 私が体験したものだった。
父に喜んでほしいと思って、 コーヒーをいれたことは一度もなかった。 機嫌を取るためだけに、 ただそれだけのために、いれ続けた。
今日、ふと、 父に喜んでもらうために、 コーヒーをいれようかな、と、思った。
時々仏壇の前に座り、 父は死んだ今も、 私を憎んでいるのだろうかと考える。
自分の娘なのだから、 大切に思わないはずはないけれど、 歪んでいた父が私を認めるためには、 完璧に父が望む通りの私でいなければならなかった。
でも、あいくにそうはなれなかった。 私は私だったのだ。
娘の私が言うのもなんだけど、 父は幼かった。
今なら、それぞれの魂が、 成長のために縁を持って親子になり、 そうした体験をしてきたことがわかる。
けれど、そんなきれいな言葉で済ませられるほど、 まだ、私の中で整理はできていない。 それを未熟と言うのかしら。
過去は、過去、今は存在していない、 傷も本当は存在していない、 ここには今しかない、 自分がそれを抱え込んでいるだけ、
理屈ではわかっているけれど、 いまでもじゅくじゅくと痛むことがある。
でも、もういい加減、さよならしたいな。
自分らしくいるために、 望むように生きるために、 代償を支払う必要は、 もう決してないのだということを、 生きて体験したい。
お父さん、 それでも私はお父さんが好きでしたよ、 そして、お父さんにもそう言ってほしかったですよ、 たった一度だけでも。
あんなお父さんだったけれど、 一生懸命働いて、 私達を支えてくれたこと、知ってますよ。 そのおかげで今がありますよ。
お父さんがしてくれた、 うれしかったことだって、 たくさんはないけれど、 ちゃぁんと覚えてるんですよ。
今日は、お父さんが喜んでくれるように、 コーヒーをいれましょう。 味はあの頃と同じ、 コーヒーとクリープ1杯、そして、お砂糖は2杯。
ふと、こんなことを思い出したのも、 本当の意味で、 さよならを言う時が来たからかもしれません。
お父さん、さようなら。 今まで本当にありがとう。
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