おひさまの日記
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2011年07月08日(金) ある少女の物語

なぜだろう、ふと、思い出した。



まだ無邪気な子供の頃、
すぐに母親を怒鳴る父親がこわくて、

「お父さん、怒らないで」

と、よく父に言っていた。

父は、言葉、行動共に、
暴力の人だった。

その頃の私は従順で、
なんでも言うことを聞き、
いつでも父好みの振る舞いをした。
だから、猫かわいがりされていた。

父がひとたびキレると、
母親に怒鳴り散らし、物を投げ、壊し、暴れた。
私はただ黙って見ていた。
一刻も早く終わることを祈りながら。

そして、父が落ち着いてきた頃、
言うのだった。

「お父さん、怒らないで」

できるだけかわいく、
おねだりするみたいに。



ある日、そう言った私に、
父がこう答えた。

「コーヒーを入れてくれたら、
 お父さんのガミガミ虫が消えるんだよ。
 だから怒らなくなるよ」

それを聞いた幼い私は、
毎日一生懸命インスタントコーヒーをいれた。
スプーン1杯のコーヒー、クリープ、お砂糖は2杯。
今でもよく覚えてている。

そして、父が仕事から帰ってくると、
コーヒーカップを持って、
父の車のところまで行って、
そのコーヒーを渡した。

毎日、毎日、毎日。

そのコーヒーを受け取ると、
父は自分の顔を見るようにと私に言う。

父はわざとこわい顔をしてコーヒーを飲む。
そして、ひとくち飲む度に、
顔が少しずつ変わって、
笑顔になっていく様子を、
おどけながら私に見せるのだった。

それがお芝居だということは、
子供心ながらにわかっていたけれど、
でも、最後に笑顔になる父を見て、
とても安心したものだ。

そして、思ったのだった。

「これでお父さんはお母さんを怒鳴らない」

って。



けれど、父は、それでも母に怒鳴った。
家の中の物をつかんでは投げ、叩き壊し、
時に母にもそこらじゅうのものを投げつけた。

私はその嵐が去るのを、
布団をかぶって耳をふさぎながら待った。

そして、また次の日もコーヒーをいれた。

コーヒーをいれたからって、
父が変わらないのはもうわかっていた。
けれど、それ以外どうしたらいいかわからなかったのだ。



コーヒーをいれなくなったのは、
従順な子供の仮面を捨てた時だった。
小学校の高学年頃だったと思う。

初めて自分の意思を言葉にした。
イヤなものに対してイヤと言った。

父は言った。

「昔は何でも言うことを聞いて可愛かったのに、
 なんて憎らしいガキになったんだ」

それから、母がされているように、
ののしられ、暴力を振るわれるようになった。

けれど、従順でいてかわいがられるよりも、
自分の本当の気持ちのままでいる方が、
たとえ、罵声を浴びせられても、
暴力を振るわれても、
まだましだと思った。

日々、父親から受ける、
今で言うパワーハラスメントで、
精神が崩壊していった。

その頃からカミソリを持ち歩くようになった。
体のあちこちを切り、
鋭い痛みと、浅い傷に沿って、
血がぷつぷつと丸く吹き出すのを見ていた。
ぺろっと舐めると血の味がした。

はっきりと覚えているのは、
こうして自分が苦しいと訴えているのだと、
親に見せたかったということだった。



19歳、父のいうことに逆らうと、
木刀で滅多打ちされた。

冗談抜きで、殺されると思った。
泣きながら這いつくばって、
110番して呼んだ警察に言われたのは、

「親が怒るのは当然なんだし、
 あなたもいけないことしたんでしょ」

という言葉だった。

父は、

「いやぁ、言うこと聞かなくてねぇ」

そう言ってへらへら笑った。
なんて卑怯なんだと思った。
父と警察は、

「今時の子供はねぇ」

と笑って話していた。
てめぇら死ね、と思った。



20歳で就職して逃げるように家を出て、
それから帰ることはほとんどなかった。



会社に父から電話がかかってきた。

「あの娘はろくでもない人間なんで、
 今すぐクビにしてください」

父がそう言っていたことを、
上司から伝えられた。

アバートの留守番電話には、
父からのメッセージが入っていた。

「殺してやる」

父から届く手紙には、
私への恨みつらみが綴られていた。

気が狂いそうだった。

逃げても逃げても、
父の怨念のようなものは、
どこまでも追いかけてきた。

私は家中の食器を全部たたき割り、
その破片を握りしめて手を切って、
痛みと流れる血を味わった。
カミソリであちこちを切っていた頃のように。

父の母と私への異常な行動は、
私の、結婚、離婚、結婚、出産を経て、
父が施設に入るまで続いた。



あの少女は、父が死ぬまで、
二度とコーヒーをいれることはなかった。
それは、自分を痛めつけるものに、
もう決して屈しないという、
強固な意志のあらわれだったのかもしれない。



暑さと湿り気で気怠い日中、
吹き抜ける風が心地よさを与えてくれる中、
なぜかそんなことを思い出した。

そんな、ある少女の物語を。



今、私は、父が、
なぜそんなふうになってしまっていたのかが、
とてもよくわかる。
父が抱えていた痛みも。
それがどれだけ苦しかったかも。

なぜわかるようになったのか、
言葉で説明しようとすればできるけれど、
とても薄っぺらくなってしまうので、
ここではやめておく。

父を許しているわけではないけれど、
許していないわけでもない。
その出来事は、ただそこに「あった」ものであり、
私が体験したものだった。



父に喜んでほしいと思って、
コーヒーをいれたことは一度もなかった。
機嫌を取るためだけに、
ただそれだけのために、いれ続けた。



今日、ふと、
父に喜んでもらうために、
コーヒーをいれようかな、と、思った。



時々仏壇の前に座り、
父は死んだ今も、
私を憎んでいるのだろうかと考える。

自分の娘なのだから、
大切に思わないはずはないけれど、
歪んでいた父が私を認めるためには、
完璧に父が望む通りの私でいなければならなかった。

でも、あいくにそうはなれなかった。
私は私だったのだ。

娘の私が言うのもなんだけど、
父は幼かった。



今なら、それぞれの魂が、
成長のために縁を持って親子になり、
そうした体験をしてきたことがわかる。

けれど、そんなきれいな言葉で済ませられるほど、
まだ、私の中で整理はできていない。
それを未熟と言うのかしら。

過去は、過去、今は存在していない、
傷も本当は存在していない、
ここには今しかない、
自分がそれを抱え込んでいるだけ、

理屈ではわかっているけれど、
いまでもじゅくじゅくと痛むことがある。

でも、もういい加減、さよならしたいな。

自分らしくいるために、
望むように生きるために、
代償を支払う必要は、
もう決してないのだということを、
生きて体験したい。



お父さん、
それでも私はお父さんが好きでしたよ、
そして、お父さんにもそう言ってほしかったですよ、
たった一度だけでも。

あんなお父さんだったけれど、
一生懸命働いて、
私達を支えてくれたこと、知ってますよ。
そのおかげで今がありますよ。

お父さんがしてくれた、
うれしかったことだって、
たくさんはないけれど、
ちゃぁんと覚えてるんですよ。

今日は、お父さんが喜んでくれるように、
コーヒーをいれましょう。
味はあの頃と同じ、
コーヒーとクリープ1杯、そして、お砂糖は2杯。

ふと、こんなことを思い出したのも、
本当の意味で、
さよならを言う時が来たからかもしれません。

お父さん、さようなら。
今まで本当にありがとう。




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