おひさまの日記
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2011年06月03日(金) 怯えているだけ

「こわくない…
 怯えていただけなんだよね」

大好きな「風の谷のナウシカ」の冒頭に出てくる名言。

ユパが連れてきた
警戒心の強いキツネリスに噛み付かれた時、
ナウシカが言う。

ナウシカの指を噛んでいたキツネリスが、
やがて、牙を抜き、傷を舐め始める。

子供心ながらに衝撃的だった。



相手を攻撃する時、
少なからずそこには恐れがある。
私の場合はそうだ。

相手と自分の力関係が、
上か下かはどうでもよく、
相手の存在が自分の何かを脅かす時、
怒りや嫌悪感、敵対心が生まれる。
批判したくなる。
攻撃したくなる。

昔は、その陰に怯える自分が存在するなどとは、
これっぽっちも思っておらず、
ただただ、相手に非があるかの如く、
批判したり、悪口を言ったり、
イヤな態度を取ったり、していた。

していた。
今も、し、してしまいがち ( ̄▽ ̄;)アハハ…



批判や攻撃は、つまり、防御となっていた。

負けた感がする時、
見下されていると感じる時、
相手にされないと感じる時、
批判したり、攻撃したりする。

そんな時、
自分にそう感じさせる相手を「悪」にすることによって、
自分を正当化している。
ダメな自分を感じないように。

厳密に言えば、
相手の存在から感じるもので、
自分ってダメなんだと勝手に考え、
そんな痛い気持ちをなくすために、
相手を「悪」にする。
相手が「悪」になれば、自分は「善」。
相手が「間違い」であれば、自分は「正しい」。

陰にそんな心理がある。

相手がいなくなれば感じなくて済むんだから、
そりゃもぉ、自己正当化して必死に排斥運動だよ(笑)



けれど、実際のところ、
相手は何もしてない。

それなのに、相手がそこに存在していることで、
自分が勝手に感じる、
たとえば、外見、雰囲気、空気などで、
うっ…!と、スイッチが入る。

そのスイッチは幼少期の体験によって、
自己否定が強い部分によくあるような気がするなぁ。

相手は何もしていないのに、
確実に何されたような気になるんだから面白いよな(爆)
そこんとこ重要なポイントで、
必ず思ってるんだよな。
相手が何かしたんだ、って。
怒りと共に。

ま、その話すると長くなるんで置いといて(笑)



そう、怯えてるんです。

それ認めちゃうと、楽。
楽だなぁ、って、思う。

誰かを嫌ったり、憎んだりする時、
そこには怯える自分が存在する。

だから、ナウシカになってみる。

「怯えているだけなんだよね」

自分に言う。



だって、戦わないと生きてこられなかった。
鎧を着て強く強くいないと、
いつ傷つけられるかわからなかった。
無意識のうちにそう思っていた。

そして、自分を守るために身に着けた鎧は、
自分が苦しくなることを、
遠ざけてくれたかもしれないけれど、
自分に訪れようとするやさしさやぬくもりも、
同様に遠ざけた。



今、その鎧は、
Tシャツと短パンになった。
時々、やっぱりとっさに鎧も着ちゃうけど、すぐ脱ぐ(爆)
あ、やべ、って(笑)



怯えているんだってわかる。
こわいんだってわかる。
だから自分に言う。

「怯えていただけなんだよね」

って。
そして、鎧を脱いで、
軽くなって、相手を眺める。

好きにはなれないかもしれないけれど、
その人は自分と違うだけで、
ただ、それだけで、
そして、自分はこれでオッケーだって、
思ってみる。
そう、試しに思ってみるの。

そうすると、ちょっと胸がじん…として、
時には目頭が熱くなって、
相手への不快さが残っていても、
それでも、清々しさが訪れる。



常々思う。
清々しさ、スッキリ感、
それは、魂からの「オッケー」のサインだ。

そうだよ、それだよ、って、
教えてくれている時のサイン。

だから、安心して、
それでもまだどこかにちょっと残る、
怯える気持ちと、
相手を快く思わない気持ちと、
共存しながら、
心地よくなってゆく。



色々な面で、
楽になる生き方が、
できるようになってきたと思う。

過ごしてきた時間、
重ねてきた体験、
人生のおかげ。

おかげ。




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