おひさまの日記
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「こわくない… 怯えていただけなんだよね」
大好きな「風の谷のナウシカ」の冒頭に出てくる名言。
ユパが連れてきた 警戒心の強いキツネリスに噛み付かれた時、 ナウシカが言う。
ナウシカの指を噛んでいたキツネリスが、 やがて、牙を抜き、傷を舐め始める。
子供心ながらに衝撃的だった。
相手を攻撃する時、 少なからずそこには恐れがある。 私の場合はそうだ。
相手と自分の力関係が、 上か下かはどうでもよく、 相手の存在が自分の何かを脅かす時、 怒りや嫌悪感、敵対心が生まれる。 批判したくなる。 攻撃したくなる。
昔は、その陰に怯える自分が存在するなどとは、 これっぽっちも思っておらず、 ただただ、相手に非があるかの如く、 批判したり、悪口を言ったり、 イヤな態度を取ったり、していた。
していた。 今も、し、してしまいがち ( ̄▽ ̄;)アハハ…
批判や攻撃は、つまり、防御となっていた。
負けた感がする時、 見下されていると感じる時、 相手にされないと感じる時、 批判したり、攻撃したりする。
そんな時、 自分にそう感じさせる相手を「悪」にすることによって、 自分を正当化している。 ダメな自分を感じないように。
厳密に言えば、 相手の存在から感じるもので、 自分ってダメなんだと勝手に考え、 そんな痛い気持ちをなくすために、 相手を「悪」にする。 相手が「悪」になれば、自分は「善」。 相手が「間違い」であれば、自分は「正しい」。
陰にそんな心理がある。
相手がいなくなれば感じなくて済むんだから、 そりゃもぉ、自己正当化して必死に排斥運動だよ(笑)
けれど、実際のところ、 相手は何もしてない。
それなのに、相手がそこに存在していることで、 自分が勝手に感じる、 たとえば、外見、雰囲気、空気などで、 うっ…!と、スイッチが入る。
そのスイッチは幼少期の体験によって、 自己否定が強い部分によくあるような気がするなぁ。
相手は何もしていないのに、 確実に何されたような気になるんだから面白いよな(爆) そこんとこ重要なポイントで、 必ず思ってるんだよな。 相手が何かしたんだ、って。 怒りと共に。
ま、その話すると長くなるんで置いといて(笑)
そう、怯えてるんです。
それ認めちゃうと、楽。 楽だなぁ、って、思う。
誰かを嫌ったり、憎んだりする時、 そこには怯える自分が存在する。
だから、ナウシカになってみる。
「怯えているだけなんだよね」
自分に言う。
だって、戦わないと生きてこられなかった。 鎧を着て強く強くいないと、 いつ傷つけられるかわからなかった。 無意識のうちにそう思っていた。
そして、自分を守るために身に着けた鎧は、 自分が苦しくなることを、 遠ざけてくれたかもしれないけれど、 自分に訪れようとするやさしさやぬくもりも、 同様に遠ざけた。
今、その鎧は、 Tシャツと短パンになった。 時々、やっぱりとっさに鎧も着ちゃうけど、すぐ脱ぐ(爆) あ、やべ、って(笑)
怯えているんだってわかる。 こわいんだってわかる。 だから自分に言う。
「怯えていただけなんだよね」
って。 そして、鎧を脱いで、 軽くなって、相手を眺める。
好きにはなれないかもしれないけれど、 その人は自分と違うだけで、 ただ、それだけで、 そして、自分はこれでオッケーだって、 思ってみる。 そう、試しに思ってみるの。
そうすると、ちょっと胸がじん…として、 時には目頭が熱くなって、 相手への不快さが残っていても、 それでも、清々しさが訪れる。
常々思う。 清々しさ、スッキリ感、 それは、魂からの「オッケー」のサインだ。
そうだよ、それだよ、って、 教えてくれている時のサイン。
だから、安心して、 それでもまだどこかにちょっと残る、 怯える気持ちと、 相手を快く思わない気持ちと、 共存しながら、 心地よくなってゆく。
色々な面で、 楽になる生き方が、 できるようになってきたと思う。
過ごしてきた時間、 重ねてきた体験、 人生のおかげ。
おかげ。
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