おひさまの日記
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2011年05月21日(土) |
カルカン、または、水戸黄門で |
違和感って大切。 それがあるから、 道を外していることに気付ける。
何かを判断する時、選択する時、 違和感が教えてくれる。
「それ、ちゃいまんねん」(なぜ関西弁?・笑)
例えば、仮に、 世界中がこれが絶対にイイ! って、絶賛していても、
違和感を感じるなら、 自分にとってはそれは違うってこと。 つまり、それは、
「選ばなくてよろしくてよ、ひろみ」
ってこと(お蝶婦人風に)。
違和感、それは言わば、 魂からのサイン。
それに基づいて、 自分が選ぶものを決めていく、 それがとっても重要だと思う。
違和感なく、 スッキリするもの、 心が軽やかになるものを選ぶ、 そんなことが。
それは、魂とつながって、 真の自分自身とコミュニケーションしながら、 生きていくということでもある。
ええ、魂の言う通りにしていけば、 間違いなんですよ、奥さん ( ̄▽ ̄)
魂が感覚で示すものは、 何の根拠も裏付けもないもないし、 時に突拍子もないから、 えええっ!? ってなることも多いんだけどね。
魂が衝動という感覚を通して、
「これでっせ」
と、提示してくるものは、 あり得ないし、 無理だし、無謀だし、 考えてもみなかったし、 それって違くね?と思うし、
それなのに、なぜだかワクワクする。 それを考えると楽しくなる。
そんなものだ。
そして、説明書が添えられていて、 こう書いてある。
「これがあなたの進む道を 純粋に示すものです。
頭で考え過ぎて 無視してしまうことがないよう じゅうぶんに注意しましょう。
特に、あなたをこわがらせるもの、 恐れや不安には注意しましょう。 それらは、いかにも親切な顔をして 近づいてきますが、 あなたを本来の道から遠ざけます。
そのようなものに惑わされず、 喜びやワクワクと共に進んでください。
以上、そこんとこよろしく」
時に、人は、 安心や安全を確保するために、 裏付けが取れている何か、 理論的に説明がつく何か、 見通しがつく何か、 多数意見である何か、 つまり、頭で納得できる何かを選びたがる。
それが、「そこんとこよろしく」の、 説明書きに書いてあることだ。
「いかにも親切な顔をして 近づいてきますが、 あなたを本来の道から遠ざけます」
なのだ。 アンニュイな感じのイケメンよろしく、 愁いをおびた美女よろしく、 そっとささやくのだ。
「そっちは危ないですよ、 行かない方が身のためですから…」
そして、それを聞くと、恐ろしくなり、 つい従ってしまうのだ。
実際私もそうだった。 恐れや不安から判断し、選択し、行動していた。 ワクワクすること、楽しいことを、 徹底的に避難し潰した。 自分を脅かすものとして。
もちろん、 計算通りの安心と安全は得られた。 でも、全然幸せじゃなかった。
なぜなら、それは、 頭でひねり出した安心と安全で、 本当に欲しいものじゃなく、 恐れをかき消すためのものでしかなかったから。
だから、 得ても、得ても、満たされることなかった。 それどころか、どんどん空しくなっていった。 自分が誰だかわからなくなっていった。
どうにもならない、 どうしようもない、 どうしたらいいかわからない、 そんなことに幾度となくぶつかってきた。
問題だと感じるものに、 困難だと感じるものに、 幾度となくぶつかってきた。
そうして途方に暮れて、 考えることに疲れ果て、 自暴自棄になり、 生きることを半ば放棄し、 空っぽになった私の中に流れ込んできたものは、 魂からのサインだった。
マインドのおしゃべりが止まり、 エゴのじゃまが入らなくなった時、 それはまっすぐにやってきた。
そして、自暴自棄になり、 生きることを放棄したからこそ、 そんなあてのないもののままに、 生きてみたくなった。
そこから広がる世界は 信じることができないような世界だった。
と言っても、特別な世界じゃない。 当たり前の毎日がそこにあるだけ。
じゃあ、何が 「信じることができない世界」 だったのか。
それは、 ただ、ただ、当たり前の毎日が、 美しく、楽しく、幸せで、 何もかもがありがたく、豊かだと、 感じることができる世界だった。
それこそ「青い鳥」のように。
通った道すべてが、 今の自分になるためにあった。
その道の途中では、 そんなこと考えもしなかった。 ただ、苦しさの中ですさんでいった。 希望という言葉に怒りすら覚え、 愛という言葉にヘドが出る思いだった。
それでも、今、私はここにいる。
違和感、そして、不快感、 それこそが私をここに連れてきた。 それをぬぐい去るために、 本気になった時、道が開けた。
もういいよねぇ。 生き方変えても。 その時が来ているのだし。
幸せになることを、 本気で願う時が来たんだよねぇ。 そのサインである、 ワクワク、楽しい、 そんな感覚に従って流れていっていいよねぇ。
人は、変化を望みながらも、 どこかで変化を恐れている。
何かを欲しがっていても、 どこかでそれをあきらめている。
そして、幸せな人を見て、 ねたみ、そねみ、 うまくいっている人を見ると、 ひとこと言いたくなるもんだ。
でも、もう、いいよねぇ。 そろそろ自分が幸せまっしぐらになっても。
「選んでカルカン、猫まっしぐら」 思い浮かんだあなたは大正解(笑)
もしくは、水戸黄門の、 「助さん、角さん、もういいでしょう!」 あれも正解です(笑)
私が大好きな みかっちさんのブログのこの記事にも、 同じようなことが書いてあったんだぁ♪
彼女、いい表現してます。 「喜びエンジン」と「恐怖エンジン」。 私がだらだら書いてきたことを(爆) まさに、まさに、その言葉が、 スパッとまとめてくれている.。゚+..。゚+.
人の力を借りて、 自分のブログをさくっとまとめてみた(笑)
さあ、寝よう(違)
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