おひさまの日記
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大切な人がつらそうなのを見るのはつらい。
そのつらさに耐えられなくて、 人はそれをごまかしてしまうことがある。 人はそこから逃げてしまうことがある。
見ないように。 感じないように。
最近、ウチの母は元気がない。 小さなことが色々重なって、 不安になったり、自分を責めていたり、 しているようだ。
昔から、内に内にと入っていってしまう人で、 声をかけても、 ただ、不機嫌だったり、 ただ、無愛想だったり、 ただ、無視したり、 そんな感じ。
彼女の上がったり下がったりのリズムの中で、 私は振り回される。 見ているこっちがつらい。
ある時、母がabuに言った。
「恵美に言うとうるさいから。 怒られるのがイヤだから」
私はそれを知ってしまった。
母はどんなことがあっても、 絶対と言っていいほど私には言わない。 それを隠すために嘘もつく。 全部こっそりabuに話す。
それが、つらくて、悲しくて、 けれど、自分の普段の態度が、 母をそうさせているのだということもわかっていて、 ただ、ただ、その事実と直面するしかなかった。
存在を無視されているような感覚。 悲しみ、さびしさ、怒り、無力感、自己否定、 あらゆる感情と感覚がが私の中を駆け巡る。
それがあまりにも苦しくて、 つらい母をいたわるよりも、 責める気持ちになってゆく。
そして、気付いた。 私は母がつらいのを見るのがつらいのだと。 母の痛みに直面する勇気があるなら、 黙って見ていられるはずだと。
つらそうな母を見ることに耐えられなくて、 そのつらさを見せるな、と、 私は母を攻撃していたのだと。
母が私を、 うるさい、怒るからイヤ、 そう言ったのは、 すべて私が自分の弱さから起こした行動が、 作った現実だった。
だって、悲しんだもの、 だって、さびしいんだもの、 だって、腹が立つんだもの、 それでいい、それでいい。
けれど、私は強さを持とうと思った。
私に大切なことを何も言わない母を、 私をけむたがる母を、 強さを持って受け入れようと思った。
「でも、だって…」
そう言っていてもいいのは、 昔の私。
今そこから卒業する時を迎えていると感じる。
もうさんざん心の傷を癒してきたし、 もうさんざん色々なものを自分のものにしてきた。 私の心は育っているはずなのだ。
「そうじゃない、私はこんなにつらいのに…」
そう言いたいのは、 私がまだ昔の傷ついた自分という残像に甘えているから。
人は必ずその場所から巣立つ時が来る。 自分の意思で。 私にとって、それは、今。 もうとっくに傷は癒えている。
自分は傷ついた人間だという想いは、 時に大切なことから逃げる理由になる。
だから、私はもう傷なんつー大義名分を捨てて、 大切な人を大切にできないなんてことを、 終わりにしたいと思った。
私は父に似ているなぁ。 あんなに嫌っていた父なのに。
母になんて言葉をかけていいのかわからずに、 妙な声のトーンで天気の話をしたり、 どうでもいいことで声をかける。
けれど、ほとんど反応がなく、 私は玉砕する。
声をかけるためにふりしぼった勇気は、 針でつついてパンと割れた風船みたいに、 しわしわになってその辺に転がる。
父もそうだったなぁ。 取り繕うように話しかけるんだけど、 私みたいにぎこちなくて、滑稽だった。
お父さん。 最近特に思うよ。 私はお父さんそっくりだ。 でも、もうイヤじゃないよ。 それでいいんだって思ってる。
私のプロセスは、 つらいね、悲しいね、苦しいね、 そう言ってよしよししてもらう場所をとっくに通過し、 今は愛になる地点にいるのだと思う。
癒しを重ねてきたからだ。 多くを体験してきたからだ。 多くを学んできたからだ。 だから、私は、今、ここにいる。 そんな自分に誇りを持とう。
強さを持って、 勇気を持って、 私は行こう。 愛になる場所へ。
毎日の中にはワークがいっぱいだぜ(笑) だから、生きてるんだよな。
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