おひさまの日記
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2011年04月12日(火) 愛になる場所

大切な人がつらそうなのを見るのはつらい。

そのつらさに耐えられなくて、
人はそれをごまかしてしまうことがある。
人はそこから逃げてしまうことがある。

見ないように。
感じないように。



最近、ウチの母は元気がない。
小さなことが色々重なって、
不安になったり、自分を責めていたり、
しているようだ。

昔から、内に内にと入っていってしまう人で、
声をかけても、
ただ、不機嫌だったり、
ただ、無愛想だったり、
ただ、無視したり、
そんな感じ。

彼女の上がったり下がったりのリズムの中で、
私は振り回される。
見ているこっちがつらい。



ある時、母がabuに言った。

「恵美に言うとうるさいから。
 怒られるのがイヤだから」

私はそれを知ってしまった。

母はどんなことがあっても、
絶対と言っていいほど私には言わない。
それを隠すために嘘もつく。
全部こっそりabuに話す。

それが、つらくて、悲しくて、
けれど、自分の普段の態度が、
母をそうさせているのだということもわかっていて、
ただ、ただ、その事実と直面するしかなかった。

存在を無視されているような感覚。
悲しみ、さびしさ、怒り、無力感、自己否定、
あらゆる感情と感覚がが私の中を駆け巡る。

それがあまりにも苦しくて、
つらい母をいたわるよりも、
責める気持ちになってゆく。



そして、気付いた。
私は母がつらいのを見るのがつらいのだと。
母の痛みに直面する勇気があるなら、
黙って見ていられるはずだと。

つらそうな母を見ることに耐えられなくて、
そのつらさを見せるな、と、
私は母を攻撃していたのだと。

母が私を、
うるさい、怒るからイヤ、
そう言ったのは、
すべて私が自分の弱さから起こした行動が、
作った現実だった。



だって、悲しんだもの、
だって、さびしいんだもの、
だって、腹が立つんだもの、
それでいい、それでいい。

けれど、私は強さを持とうと思った。

私に大切なことを何も言わない母を、
私をけむたがる母を、
強さを持って受け入れようと思った。

「でも、だって…」

そう言っていてもいいのは、
昔の私。

今そこから卒業する時を迎えていると感じる。

もうさんざん心の傷を癒してきたし、
もうさんざん色々なものを自分のものにしてきた。
私の心は育っているはずなのだ。

「そうじゃない、私はこんなにつらいのに…」

そう言いたいのは、
私がまだ昔の傷ついた自分という残像に甘えているから。

人は必ずその場所から巣立つ時が来る。
自分の意思で。
私にとって、それは、今。
もうとっくに傷は癒えている。

自分は傷ついた人間だという想いは、
時に大切なことから逃げる理由になる。

だから、私はもう傷なんつー大義名分を捨てて、
大切な人を大切にできないなんてことを、
終わりにしたいと思った。



私は父に似ているなぁ。
あんなに嫌っていた父なのに。

母になんて言葉をかけていいのかわからずに、
妙な声のトーンで天気の話をしたり、
どうでもいいことで声をかける。

けれど、ほとんど反応がなく、
私は玉砕する。

声をかけるためにふりしぼった勇気は、
針でつついてパンと割れた風船みたいに、
しわしわになってその辺に転がる。

父もそうだったなぁ。
取り繕うように話しかけるんだけど、
私みたいにぎこちなくて、滑稽だった。

お父さん。
最近特に思うよ。
私はお父さんそっくりだ。
でも、もうイヤじゃないよ。
それでいいんだって思ってる。



私のプロセスは、
つらいね、悲しいね、苦しいね、
そう言ってよしよししてもらう場所をとっくに通過し、
今は愛になる地点にいるのだと思う。

癒しを重ねてきたからだ。
多くを体験してきたからだ。
多くを学んできたからだ。
だから、私は、今、ここにいる。
そんな自分に誇りを持とう。

強さを持って、
勇気を持って、
私は行こう。
愛になる場所へ。

毎日の中にはワークがいっぱいだぜ(笑)
だから、生きてるんだよな。



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