おひさまの日記
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2011年03月17日(木) かつての空想妄想少女が語る

私は子供の頃から空想妄想少女だった。
中学生頃からは特に。

夜眠る前には、
思い浮かべた世界で、
自分の大好きな場所に行き、
好きな友達と遊んだり、
実際には叶わない望みを叶えた。

空想の世界で色々な体験をすると、
ワクワクしたり、ドキドキしたり、
おおはしゃぎしたくなるほど楽しかったりする。

お父ちゃんが激しくこわかったので、
私はそんな世界で遊ぶことで、
自分の居場所を作っていたんだと思う。

毎晩それを楽しみに布団に入ったものだ。

ゆえに、何かをイメージするということが、
知らず知らずのうちに、
生活の一部になっていたんだろう。

大人になって、
そのイメージを駆使する仕事を、
することになるとは(笑)

ヒプノセラピスト。



イメージの力は絶大だと、
いつも思う。

もう時効だ。
カ、カミングアウトしよう。

20過ぎの頃、
会社で猛烈なイジメを受けたことがあった。
イジメの主犯格(笑)の人がいて、
その人に激しい怒りを感じていた。

あからさまで大人げないイジメに、
精神的に限界が来て、
私の怒りはピークに達した。
怒りで眠れないという人生初の体験をした。

その夜。

あんなヤツ、交通事故にでもあって、
苦しめばいいんだ、
ふと、そんな考えが浮かんだ。

眠れないわ、怒り心頭だわ、で、
その人が交通事故でドカーン!とぶつかる場面を、
何度も何度もイメージして、
ほくそえんでいた。

その翌々日。

その人は交通事故にあった。
しかも、私がイメージしていたのと、
全く同じ状況だったのだ。

幸い、車だけの損傷で、
その人にケガはなかったけれど、
私は恐ろしくなった。
自分のせいだと思った。
どうしよう、どうしよう、と怯えた。
誰にも言えなかった。

当然だよな。

自分の念が生み出したイメージは、
現実になってしまうんだ、
二度とあんなことイメージするまい、
そう心に誓った。

若過ぎた私の苦い体験。

ゴメンナサイ…
(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル



そーなんです。
イメージの力は絶大なんです。
イメージは現実にもまんま出現するし。

特に、強い感情が伴えば、
なおのこと。
感情がポイントなんだ。

それは実際の出来事として具現化する。

ヒプノセラピーをしていても、
理屈抜きで感じる。
イメージの世界でだけの体験なのに、
それが、その人の現実を、
そして、人生を動かす。

イメージはもうひとつの現実なのだ。



たとえばだね、
今、自分の周りに、
蛇がうじゃうじゃいると考えてみて。
考えただけでもゾッとしない?
足に絡まる様子を想像しようものなら、
ぎゃーっ!じゃない?

あ、蛇大好き?
すりすりして首に巻きたい?
ちゅうしたい?
そういう人は平気だね ( ̄▽ ̄)

逆に、
今、自分の周りに、
キレイな花畑が広がっていると考えてみて。
考えただけでも気持ちよくなったりしない?
そこに寝転んで花に囲まれた様子なんか想像すると、
さらに気持ちよくなったりしない?

私はそうなんだ。

面白いよねー。
実際には、蛇も花畑もここにはない。

けれど、自分がイメージの世界で、
それを体験することによって、
そこにないはずの何かから、
感覚や感情が生まれて、
それに大きく影響される。

それは、
そのイメージの中に生きているということ。
たとえつかの間でも。

つまり、現実もイメージも同じなのだ。
意識ちゃんにはそういう区別がつかない。
現実であれ イメージであれ、
体験したものが自分の世界であり、
そこから生まれた感覚や感情が、
自分のものになるのだ。

そこにないものさえ出現してしまうほど、
イメージには力がある。



なぜ苦しくなるのか?
それは、苦しくなることを考えるからだ。

そんな、シンプルかつ衝撃的な問答を、
ある本で読んだ時、
目からウロコだった。

でも…
確かにそうだ。

思考したもの、
その思考から生まれたイメージ、
そのイメージから生まれた感覚や感情、
それが私達の現実なのだ。

たとえば、

「あの人私のことを嫌いなんだ」

と思って誰かを見ていると、
その人の一挙手一投足が、
みんな自分を責めているように感じる。
私はねー ( ̄▽ ̄)
せきばらいさえイヤミに思える。
だんだん腹が立ってくる。
見かけるだけで気分が悪くなる。

でもさ。

それは「私の世界」で起こってるんだよね。

その人が私を嫌いかどうかなんてわからない。
そこにあるのは、

「あの人私のことを嫌いなんだ」

という自分の思いだけ。
そして、その思いから生まれた世界を、
生きてしまっている。

ある時、その人が、
自分に好感を持っていると
感じる態度をされたとする。

すると、それまであった世界が消えて、
新しい世界が生まれる。

「あの人いい人だ!」

という思いから生まれる世界。

すべて、すべて、
自分の中で起こっているだけのことだ。
相手はいつも変わらずただそこにいるだけだ。



私達は自分が住む世界を選べる。
選択肢はあちこちに転がっている。
どれを選んでもいい。

相反するものがひしめき合って、
この世界には溢れている。

それらはただすべてそこにある。
そして、それを知っておくことは大事だ。
目をつぶったりせず、
かと言って過剰に反応したりせず、
ただ、それがそこにある、
それを知っておく。

その上で、自分は何を選ぶかを決める。

それは、つまり、

「自分が住みたい世界を選ぶ」

ということ。
描く(イメージする)
世界を選ぶということ。



それだけ?

ええ、それだけです ( ̄▽ ̄)

それに尽きるのだから。



今、私達は、何を選ぶのか。
すべてがここにありながら、
何を選ぶのか。

それは、どんな世界を描きたいか、
つまり、どんな世界に生きたいか、
そんなシンプルな問いの中に、
あるんじゃないだろうか?

peteronanaさんのこんな記事もあります。



祈りも同じ。

届ける祈りは具現化する。
イメージを添えればなお強く。

今できることは祈ることだけです、
とおっしゃる方もいるけれど、
その祈りの力がどれほど大きく、
今の日本に、世界に、働きかけることか。



今も余震で、
ウチ揺れてますけど(爆)
私は描く世界を決めたんで、
その世界で生きてます。

そして、日々、祈り、イメージを送り、
メシを食い、トイレで出し、眠り、
節電したり、節水したり、チャリで移動したり、
時々電気消し忘れて焦ったり ( ̄▽ ̄;)
ガソリンスタンドのオヤジと言い合いしたり ヽ(`Д´)ノキィー
ゴキゲンになったり、フキゲンになったり、
それでも、描いた世界の中にいます。



出来事はすべて自分の内側で起こっている。
それは、イメージ遊びのようなものなのだ。
そのイメージは具現化する。

住む世界を自分の意思で選び、
世界を想像で創造するようなもの。



どんな世界に行きたい?
どんな世界に生きたい?

私は愛がいっぱいの世界に生きたい。
こんな時だからこそ、
私達は自分の内側にとどまり、
心の声を聞き、
住む世界を選び、
思い描くことが、
できるんじゃないかしら?

外側で寒い風が吹くなら、
それはそれ、
ただそうだと知っていればいい。

そして、その風の中にいて、
自分はどう在るか決めればいい。



かつての空想妄想少女が
実況中継でお届けしました ( ̄▽ ̄)



えみやさん、ブログ、長いですよ!
ああ、ハイ、しーまっしぇん(武田鉄矢風に)



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