おひさまの日記
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2010年09月22日(水) |
みんな見たいように見て感じたいように感じる |
この夏は暑かった。 アツガリーナな私はほぼ毎日タンクトップ。 Tシャツで土方焼けするのを避けるってのもあったし。
そんな私を見て、何人かがそれぞれ違うことを言ってきた。
「タンクトップ似合うね」
「冷房の部屋で肩寒くないの?」
「結構筋肉ついてるね」
「若いカッコしてるね」
「なに露出してんのよ」
面白い。 私がタンクトップを着ているという目の前の状況を見て、 みんな違うことを言った。
そして、それぞれの言葉の裏には、それぞれの考えや気持ちがある。 ある状況を見て心が反応し、それが言葉になる。
「タンクトップ似合うね」 そう言った人は、見てそう感じて褒めてくれたんだろう。
「冷房の部屋で肩寒くないの?」 そう言った人は、自分は冷えやすく私が薄着をしていると感じたんだろう。
「結構筋肉ついてるね」 そう言った人は、私の肩や腕の筋肉に目が行ったんだろう。
「若いカッコしてるね」 そう言った人は、タンクトップは若い人が着るものだと思ってるのかも。
「なに露出してんのよ」 そう言った人は、私の露出度が高いと感じたんだろう。
タンクトップひとつでこんなに色々な見方がある。
「○○は△△だ」
色々あてはまるね。
「あの人は自分勝手だ」 「あの人は私の気持ちをわかってくれない」 「あの人は私の気持ちを無視してる」 「あの人は自分がどれだけ迷惑かけてるかわかってない」 「私が苦しいのはあの人が○○なせいだ」 「私がこんなふうになったのはあの人に○○されたからだ」
そう感じるのは主観。 絶対に「○○は△△だ」というわけではない。 ただ自分がそう感じているだけで、 実際のところはそれが本当かどうかはわからない。
ある時、娘の同級生のママに挨拶したら、目が合ったのに無視された。 なんか感じ悪っ!って思ったんだけど、 少しして私を追いかけてきて彼女が言った。
「こんにちは、さっきごめんね! 水飲んでて口の中に水入ってて返事できなかった」
ヤな感じ!と思ってムカついていたそのママが、 急に私の中で素敵な人になり、好感度急上昇(笑) 本当にわからないもんだ。 それだけ私達は自分の世界の中でそこにあるものに勝手に意味付けをしてしまうもの。
だから、自分を含め、 人はそういうものの見方をするものだ、 そう心に留めておくと素晴らしい。
そうすると、あの人のせいだ、ああされたからこうなったんだ、 そんな被害者的場所から抜けやすい。 抜けると現実がぐいぐい変わる。
自分が相手を見て感じることはあくまで主観であり、 自分が見たいように見て感じたいように感じていることを常に意識していることで、 人とのコミュニケーションがずっとスムーズになる。 感じた感情はそのまま持っていたとしても、 状況に対して中立な自分が生まれるからだ。
自分自身に責任を持つとはそういうことを言うのだと思う。
たとえ、どんなに相手が悪いように感じる場面でも、 自分の心理反応だけでは決めつけられない何かがある。 だからこそ、そんな時にこそ、 感じることすべては自己責任のスタンスを意識していられたら素晴らしい。
あれよ、あれ、「北風と太陽」。 感情的な時は北風になりがちだけど、 そんな時こそ太陽のように振る舞うことが、 今までと違う現実をぐいぐい引き寄せるきっかけになる。
どっかでちょっと思考回路や言動を変えてみる。現実も変わる。
そして、アツガリーナな私は今日もタンクトップだった(笑)
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