おひさまの日記
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先日、フォスター・プランのスポンサーシップに参加した。 ご存知の方も多いと思うけど、 月々定額で途上国の地域の発展を支援するシステム。 以前から興味があって、いつか参加したいとずっと思っていた。
そして、こう考えていた。
「生活にゆとりができたらやろう」
って。 そして、
「それじゃあ年収1000万円になっても同じこと言ってるだろうなぁ」
って(笑)
私が支援してるのは月々3000円。 3000円の価値は人それぞれ違うと思う。 「たった3000円」と感じる人もいれば、 「3000円も」と感じる人もいるだろう。 そして、それを自分以外のために使う時、 色々なことを考えるんじゃないかと思う。
私の場合、たった3000円、でも、それがあると助かるのよね、 化粧品も買えるし、学校の集金にも使えるし、なぁんて考えていた。 だから思ったのだ。 3000円あったらあれもこれもなんて考えないくらい 生活にゆとりができたらやろう、って。
でも、ある時ふと思った。
「私のそんな考えこそがゆとりをなくしてるなぁ」
って。
ぶっちゃけ、生活費が3000円減ろうが生活は全然変わらない。
買い物に行くと、 お菓子をひとつ、おしょゆが特売だから1本、 タイムサービスで安いこれをひとつ、なんて、案外余分なものを買っている。 そんな気まぐれであっという間に3000円は使っている。 ゆとりがあるから買うのだ。 明日も知れない財布の中身なら買いはしない。
そんな自分の今の状況が、とても、とても、ありがたいものだと気づく。
そんなふう↑に3000円を使うなら、 自分以外の誰かや何かに役立つ使い方をしようと思った。 そう考えるとワクワクした。
後でやる、今度やる、いつかやる、と言いながら、結局やらないアンナによくこう言う。
「『後で』と『今度』と『いつか』と『お化け』は来ないんだよ」
って。
そうなんだよなー、いたたたた(笑)
だから、やりたいことに「いつか」をつけるのをやめた。 まず母ちゃんが率先して体現(笑) そして、早速フォスター・プランの活動に参加申し込みをした。
数日後の今日、おっきな封筒が届いた。プラン・ジャパンからだ。
プランでは、家族や子供を単体で支援するのではなく、ある地区を支援する。 その地区の中のある家族の子供ひとりが自分のスポンサード・チャイルドとなり、 チャイルドや家族と手紙や写真での交流を通して、 プラン・ジャパンの活動の様子やコミュニティの暮らしぶりなどをこちらが知っていく。
私が引き合わせていただいたチャイルドは、アフリカ、ケニアの8歳の女の子。 写真も一緒に入っていた。 不思議な気持ち。 普通なら死ぬまで一切の関わりもないはずの遠い国の女の子と、 こうして縁を持つことができるなんて。
アンナを呼んで、フォスター・プランについての話をした。 そして、女の子の写真を見せた。
「新しいお友達だよ」
アンナの目が輝いた。
「アフリカにお友達!?」
たった3000円、 そう思いながらも出し惜しみしていたお金という形のエネルギー、思い。 現地で活動してくださっているスタッフの方々にすべてをお任せしての 小さな「どうぞ」ではあるけれど、 それを形にした時から、私はその金額以上の大きなものを受け取っている。
真剣に参加しようかどうしようかと考え始めた時、 私は自分の観念、"ゆとりができたらやろう" について考えた。 "ゆとりができたら"、つまり、それは、 ゆとりがありません、と宣言しているってこと。 そりゃー潜在意識がそれをキャッチすれば、 ゆとりがありません、の宣言通りの現実を連れてくるわなー(笑)
そして、思った。 かねてから願っていたフォスター・プランへの参加という体験を媒体としながら、 思いを変えて、言葉を変えて、行動を変えて、 それが生み出す現実を体験するんだ、と。 つまり、私は自己変革のチャンスをいただいたのだ。
ボランティアは、一見、与える行為だけど、実は多くを受け取る行為でもあり、 するというよりも、させていただくという表現に近いものなのだと実感している。 ケニアのチャイルドにさっそくギブされているのは私だ。
そんな私の3000円の決意、素晴らしい形でケニアに貢献できますように。
行きます、ケニア。そして、彼女と彼女の家族とバオバブの写真を撮るの。
国際NGO プラン・ジャパン ボランティア・寄付で途上国の子供に支援を
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