おひさまの日記
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以前、知人から斉藤一人さんの冊子をもらった。
興味があったわけじゃないし、欲しいと思ったわけじゃないんだけど、 彼女が猛烈に読めとすすめるから、じゃあ…と、仕方なく(笑)受け取った。
帰ってもしばらく読まずに置いたままにしておいた。 でも、ある時、せっかくもらったんだから、 読まないのもなんだし、まあ、とりあえず目を通してみるか、と、 軽い気持ちで冊子をペラペラめくり始めた。
私の読書は斜め読み。 一冊を完全に読破するということはあまりない。 パッと開いたところを読んだり、目次で気になるところを読んだり。
昔は結構本好きでかなり読んだけど、今は活字離れしていて、 読みたいという強い衝動を感じるもの以外手を出さない。 厳密に言うと、読みたいという強い衝動をあまり感じなくなった。
そんな私なので、そうした衝動を感じないものを読めと言われても、 なかなか読む気になれなかったのだけど、なんか、読んだのだった。
やっぱり、斜め読み。 ペラペラめくって気になったところだけ。
でも、読んでよかった(笑)
自分がワクワクして選択したもの以外で、 いらねーよ、と思ってもやってくるものの中には、 自分に必要なものもあると、改めて感じるのだった。
その中で私の心に残ったことは「言霊」のこと。
言葉の力が大きいということはよーくわかってるつもり。 でも、人間だから、日々色々なことがあり、色々な気持ちになる。 だから、わかっていても忘れてしまうのだ。 忘れてしまって、言葉の力の間違った使い方をしてしまう。 何かをわかっていることと、 それを自分のものにして行動に移しているかどうかは別なのよね(汗)
自分を振り返って、ぞんざいに言葉を扱っていたことに気づく。
冊子の中で、
「今日はいい日」
という言葉を、1日最低40回以上言いましょう、というくだりがあった。 たとえ、その日がいい日だと感じられる日ではなくても、
「今日はいい日」
そう繰り返し言葉にすることで、 その日はいい日になる、と書いてあった。 イヤなことも起こらない、恐れていたことも起こらない、って。
だけど、たとえその言葉を繰り返しても、 全然いい日じゃねーよ、さんざんだよ、って思うこともあると思う。 ぶっちゃけあると思う。 私は、ある。
でもね、その日が、いいことなんてないよ、って思う日でも、 その日の出来事とか、その日の気持ちとか、 それが心地よくなかったり、つらかったりしても、 その日があるから辿り着ける日を予約できる言葉だと思う。
そして、いいことがないから、いい日じゃないのではなく、 本当はそんな日でも、それが起こらなかったからわからないだけで、 もっと大きな災難やつらいことを避けられているのかもしれない。 そう思った。
不思議なものでね、 つらい時、
「今日はいい日」
って繰り返していると、涙が出てくるの。 全然いい日じゃねーよ、うまくいかねーじゃんかよ、 そんなぐつぐつした気持ちじゃなく、 なんて言うんだろう…説明のつかない涙。 悲しい涙じゃないんだ。 恐らく、自分の奥の方の大切なものに触れて、ふっと素直になる感じ。
私で言えば、目の前のつらいことや問題、 それに直面して中心からブレてしまった自分が、はっと我に帰る感じ。 あれこれと頭に詰まった色々なことや、 言葉で脚色してしまったまっすぐな気持ち、 そんなものがそげ落ちて、 丸裸の自分が、ぽつん、とそこに現れるような感じ。 本当の自分に帰れるんだ。
スゴイ言葉だなって思った。
牙をむいて、よだれを飛び散らせながら、吠えまくる野良犬が、 本当はもとはそんなふうじゃなかった生まれた頃の子犬に戻るような。
だから思う。
「今日はいい日」
って言葉を口にして、そんな涙が流れる日は、 やっぱりいい日なんだ、って。
「今日はいい日」
って、言えないほどうちのめされてしまうことだってある。 そんな時、言えるか、んなもん、そういう言葉ってムカつく、って思う。 そういう日は言わない、言うもんか(笑)
「そんなこと考えちゃダメですよー。 そういう思考が現実を作るんですよー。 ポジティブになりましょうねー」
なんてよく言われたり、よく読んだりするような、 そんな正論を激しく無視、 謹んで、どっぷりネガティブな想いにひたらせていただく。 ダメって言われたって、湧いてくるものはしょーがねーよ、って。 大切なのは、それを感じた後なんだもん。 感じて、そのもっと奥にあるものに出会うことだもん。
そして、やさぐれて、あらくれて、 ほんの少しでも気持ちがやわらくなってきたら、 やっぱり言う。
「今日はいい日」
って。
あなたも「今日はいい日」。
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