おひさまの日記
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2010年02月21日(日) 感情のフタ

怒りの下には悲しみがある、
心のことを学んで、そして、その仕事をずっとしてきて、
本当にそうだなぁ…って感じる。

私がイライラしてる時って、大体悲しい時。
ムッとした顔をして、口調がキツくなって、態度が荒々しくなる。
きっと一見怒ってるように見えるんだと思う。

そんな振る舞いをしているのに、
なんだか鼻や目の奥がぎゅうっとして、
気を緩めると涙が出てしまいそうなことに気づく。

ああ、私悲しいんだな…そう思う。

それでも、カリカリしてて、つんけんしてて、
表向きは怒ってるんだけどね。

そんな時、周り(主に家族、ああ、ゴメンナサイっ)に投げる言葉は、
キツい言葉だったり、イヤミだったり、
相手を攻撃する言葉なんだけど、
その言葉のずっと奥には、

「さびしいよ」

って想いが静かに横たわってるのがわかる。

言ってることは時にもっともで、理論的には正しかったりする。
いや、ぎゃーぎゃー言ってるうちに支離滅裂にもなるな…
うん、その方が多いな…
支離滅裂なことがもっともらしくなるように言葉を連ねてしまう、
そう言うと的確かも。

本当はたったひとこと、

「さびしいよ」

そう言いたい。
言いたいのに言えない。
言えなくて苦しくて、それをなんとかしてほしいのに、
なんとかしてもらえないと感じて、
さらに相手を責めてしまう、攻撃してしまう。

責める言葉や攻撃する言葉を、

「あのね、本当はさびしくてこんなこと言っちゃうんだ」

そう言えたらいいのにって、いつも思う。
逆に言うと、言えないから、その代わりに、
責めたり攻撃したりするんだよね。
だから、責めれば責めるほど、攻撃すれば攻撃するほど、
悲しみはどんどん大きくなってゆく。
自分の本当の気持ちから離れてゆくんだもの。
相手と心地よい関係でいたい、うれしい、あったかい関係でいたい、
そんな大切な気持ち。

でも、そんな心がフタをされてしまって外に出られなくなっている。
感情のフタ、それが「怒り」だ。

怒ってるとね、さびしい、悲しい、
そんなヒリヒリしてつらい気持ち感じなくて済む。
怒りで痛みの感情にフタをして感じなくて済むようにしてしまう。
人ってそういうふうにできてる。

それは私が感じてきたこと。
自分だけでなく、多くのクライアントさんの人生を共に体験して、
理屈抜きに感じてきたこと。
そして、確信を持っていること。

だから、私はイライラすると、思う。

「ああ、今私悲しいんだ」

って。

でも、慣れ親しんだ振る舞いは止まることがなく、
私は怒りにまみれ続ける。

だけど、怒りを武器に暴れる私のその奥で、
ちゃんとわかってる私もいる。

だから、感じ続ける。

「さびしいよ、悲しいよ」

って。
そして、怒ることはやめられないけど、
さびしい、悲しい、ってわかってるだけでもいいや、って思う。

怒りが遠ざかっていつもの自分に戻る時、
私は言うんだ。

「さっきはごめんね。
 あんな言い方しちゃったけど、
 本当は仲良くできなくてさびしかっただけなんだ。
 イヤな気持ちにさせてしまってごめんね。
 仲良くしたいよ」

って。
その時初めて、相手の心と触れ合えるのを感じる。
さっきまでの険悪で重い空気が消えて、
やわらかくてあたたかい空気に包まれる。

最初からそう言えればいいのにね。
でも、言えない。
それはそれでいい。
だって、言えなくなるほど傷ついてきたんだから。
私だけでなく、誰もが。

だから、連れて回る。
怒る自分も一緒に。
その自分が本当の感情にフタをしてしまおうと、
その怒る自分は助けを求める自分なのだから。
怒りながら、怒る自分を誰よりも悔いているのだから。

感情のフタをなくすことはない。
時にはそれが私達を守ってきた。
怒りで武装して苦しみをシャットアウトしなければ、
あまりの痛みに心が死んでしまっていたかもしれない。

感情のフタはそのままに、ただ開けることを覚えればいい。
後からそっと。

生きるのが楽になる。
たとえ怒りにまみれても、後でその下にある気持ちを認めてあげれば。
自分のために泣ければ。
フタをしっぱなしの時より、楽になるんだ。

私はそうやって生きてる。


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