おひさまの日記
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2009年10月11日(日) 人生万事塞翁が馬

最低最悪の状況ってあると思う。
そんなふうにだけはなりたくないって自分が思う状況。
その状況は、不安や恐れそのもの。
焦ったり、イライラしたり、自暴自棄になったり、
最後には絶望して「なぜ自分がこんな目に…」と嘆いたり。

私も最近そういうことがあった。
もうダメだ、終わり、って思う状況が目の前まで迫ってきたことが。
自分の人生でかつてこんなピンチがあっただろうか、
そんなことを考え、精神的に追い詰められていった。
毎日が針のムシロ、生きた心地がしない。

でも、ある時から、そんなに苦しくなくなった。
気が楽になり、毎日の中で楽しいと思えることが増えた。
もちろん、悩みの種ではあるんだけど、結果はもうどうでもよくなった。

最悪の状況は今もジリジリと私に迫りつつある。
タイムリミットも決まっている。
それでも、今は気楽に過ごしている。

なぜそうなったのか。

それは、最低最悪の状況になってもいいや、そう思ったからだ。

もちろん、そうならないに越したことはないけれど、
そうなってしまったら、それはそれ、

「そうなったらイヤ」
「そうならないためにはどうしたらいいか」

ではなく、

「そうなったらどうすればいいか」

と考えたのだ。
だって、さんざんやるだけやったんだもん。
もうどうしようもないじゃん。

「そうなったらどうしよう」

とは明らかにニュアンスが違うのね、その気持ちは。

そうしたら、ま、なんとかなるか、死ぬわけじゃないし、そう思えた。
迫り来る最低最悪の状況を目の前に、
まるで逃げ道がないと思っていたけれど、実は逃げ道があった。
逃げ道は、最低最悪の状況を避けるのではなく、それを選ぶという選択の中にあった。

そんな逃げ道を見えなくしていたのは、自分の執着だった。
今のまま変わるもんか、今のままでいるんだ、そんな「今」への執着。

たとえ、最低最悪の状況になっても、それをひとつの変化として捉えて、
その変化した中でどう生きるかを考えたら、案外道は見えてくるもので、
腹をくくることができたんだな。

仕方ない、やるだけやったんだし、どうしたらいいかもわからないし、
もうそうなってもいいや、生きてりゃなんとかなる、
そんな逆説的な考え方をしたらびっくりするほど楽になったんだよ。

それにね、面白いもので、そういうふうに腹くくったら、
自分では最低最悪だと思っている状況になった時に必要な情報が、
ぽろっ、ぽろっ、っと入ってくるんだな、これが。
そして、その情報が、

「最低最悪だと思ってた状況は実はそうひどくなさそう」

そんな感覚を与えてくれるのだ。

人は変化を恐れる。
変化とは恐ろしいものだ。
悪い方に変化することはもちろんのこと、
いい方に変化するのも恐ろしかったりするのだ。
いいとか悪いとかっていうのは、
目の前の状況で判断する主観的なものであり、
そうした主観的なものを排除すれば、変化とは単に違うものになること。
未体験ゾーンに入るのは誰でもこわいのだ。

そういう意味で、私は変化を恐れていた。
でも、それがどんな変化であれ、よし、変化しちゃおう、そう思った時、
目の前をおおっていた黒い雲は消えて、
澄み渡った青い空が目の前に広がったような、そんな気分になった。
なんだか大きな力のサポートも入り始めているような気がする。

私はその感覚を信頼している。
たとえ、恐らく訪れるであろう変化が、
現実的に見たら不運なように見えるものであっても、
その変化の中に入ることによって、
新しい未来への一歩を踏み出すことになる。

人生万事塞翁が馬。
何がどう転んで何につながるかなんて、その時になってみないとわからない。
判断せず、ただ、自分に起こることを体験していくスタンスが、
心に平安を呼び戻し、現実を強く生きる力を与えてくれるのだと実感した。

私がどんな状況になり、何を選択して、どんな変化を体験するのかは、
そのうちこの日記でも書くかもしれない。

ピンチが私に何をもたらすのか、しかと見届けてやろうじゃない、
今、そんな気持ちでいる。

あ、ちなみに。
私はすごく前向きな人間ってわけじゃない。

今回の件も、最低最悪の状況に怯え、
不安で不安でいても立ってもいられなくて、
心は荒れ果てて、もがいて泣いて、さんざん苦しんで、
その先にあったこの結果だ。
自分の感情にとことん付き合って味わった結果なのだ。
それを付け加えておく。

あたしゃー神様じゃなく、感情に翻弄されて生きる俗っぽい人間だから。


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