おひさまの日記
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たくさんのものを受け取っているのに、 与えられれば与えられるほど、 受け取れば受け取るほど、 もっともっと欲しくなって、 なぜもっとくれないの!?そう相手を責めたくなる。 あなたがくれないからこんなに苦しいのよ!と。
与えられれば与えられるほど、 受け取れば受け取るほど、 それが当たり前になって、 初めて与えられた受け取った日の喜びを忘れてしまう。 常に今以上のより多くのものを受け取らないと満足できなくなる。
これは果てしない地獄だ。 与えられ続ける限り、それを相手の義務と定め、 それをさらに強く欲し、枯渇することが続くから。
そこから抜け出す道はただひとつ。 その苦しさの中にいて、苦しさの対象である相手に与えること。 自分に害を与えていると感じる相手や状況に与えること。
これは自己犠牲とは別のもの。 自己犠牲は自分を抑圧し相手に屈すること。 この与える行為はそうであってはならない。
それは、地獄から抜けていくための、いわば「みそぎ」のようなもの。
与えるという行為にはたくさんの道がある。 なにも華々しくそれとわかる愛の行為をするだけが与えることではない。
相手や状況を理解しようとする意思を持つことがそのひとつでもあり、 その始まりかもしれない。 「理解しようとする気持ち」ではない。 「理解しようとする意思」だ。 なぜなら「気持ち」は自然に湧いてくるものなので、コントロールして作るものではない。 けれど、「意思」は自我によってコントロールできる。 その意思を強く持ちコミットすることによって、感情を凌駕していくことができる。 意思と気持ち(感情)は別のもの。 心の世界に身を置くと、頭で考えることよりも感情を重視するところから始まるが、 そこにばかりフォーカスしていくことは時に危険でもある。 人間だからこそもつ力「意思」を、感情と共に駆使していくことも、 癒しと共にある成長の過程には必要になってくる。 そして、それは上級者編だ。
傷つきぼろぼろになり今日という日を生きることで精一杯の人に、 「与えるんですよ」と言っても、それは無理だ。 自分が枯渇しているから、人に与えることなどできない。
ここに書いてきた「ちょうだいちょうだいの罠」にハマっている時は、 ヒーリングプロセスが進んで、ひとつの節目を迎えている時だ。 そして、この場所には誰もが必ずハマる。 それはいけないことや未熟なことではなく、必然なのだ。 そこを通らないと次に進めないのだ。
だから、そこにさしかかった時、それに気づき、 意思をもって求めることから与えることへと自分の在り方をシフトさせる時、 人は飛躍的に成長する。 ここで立ち止まる人も多いからこそ、この難関を突破すると贈り物は大きい。
私達の魂は知っている。 どんな状態が私達の本来の状態かを。 そして、そこからズレていった時、 「本質からズレているよ」「本当のあなたはそれを望んでいないよ」と、 魂は「感覚」でメッセージを送ってくる。 それは、心地よくない感覚。 悲しかったり、ざわざわしたり、重苦しかったり。
感情のおもむくまま、気のすむようにしているはずなのに、 どこかに重苦しい感覚が残るのは、魂が嘆いているからだ。
ヒーリングプロセスの中で、 この魂の声に心を開き、意思を以て感情を凌駕し、 自分の在り方をシフトさせようとしなければならない時が、 私達には訪れるようだ。
しかし、別に無理にそれをすることはない。 とても困難な作業だし。
ただ、しないでいるとちょうだい地獄から抜けることはなく、 自分に与えようとしてくれる人ほど自分を苦しめる存在となり、 受け取っている沢山のものが見えなくなるという本当に悲しい体験の中に身を置くことになる。 自分が愛し、また自分を愛してくれる人ほど憎い人になる。 これほどの悲劇があるだろうか。 そこに愛があればあるほど枯渇していくのだ。
それは飽食地獄のようでもある。 砂漠で口にするひとすくいの水の恩恵など忘れ去ってしまう。
言葉には限界がある。 体験するしかない。 「与える」という体験を。
それを勇気をもって体験した時、心があたたかく広がっていくような感覚を覚えるだろう。 満ち足りて穏やかで静かな幸せがそこにある感覚を。
それは魂からのメッセージなのだ。 「これがあなたの本当に望んでいることですよ」
私達は思い出すだろう。 いつのまにか受け取ることから奪うことへと目的を変えてしまった地獄から抜け出し、 初めて受容された日の喜びを、 初めて愛を受け取った日の喜びを。 砂漠でのひとすくいの水の恩恵を、ふたたび思い出すだろう。
そして、知るのだ。 自分は愛され生まれ落ち、その自分の中に愛があることを。 誰からも奪うことなく愛に満ちていられることを。 自分が完全な存在であることを。
私達は愛を知っているから、 それを失ったと感じ、それがないと感じ、愛を求めて苦しむ。 自分以外のものから愛を得ようとする。 けれど、愛を知っている私達は、愛そのものだ。
私達は本能で愛に帰りたがっている。 ヒーリングプロセスを経て、私達はそこへ向かっている。
自らへの戒めも込めて。
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