おひさまの日記
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2005年02月12日(土) 一緒に感じてるからね

アンナと遊ぶ近所のある女の子が、よくこういう感じのことを言う。

「アンナちゃんは○○が下手だよね。
 私は上手だもん」

アンナは黙る。

「………」

「アンナちゃんはまだ○○もできないの?
 私はできるもん」

アンナの目がうるうるする。

「………」

そばでそんな子供達のやりとりを目にする度に、私の胸が痛む。
私もそうだったけなぁ、
私はどんくさい子供で、友達によくそうやって言われてたっけなぁ、
そんなことを思い出す。
とっても悲しかった。
よく泣いてた。

なによーっ!とケンカのひとつもするか、
もしくは気にもせず、あっけらかんとすればいいのに、
そうじゃなく凹む。
アンナは小さい頃の私とそっくりだ。
こんなとこまで似てしまうのか、と、思わず苦笑する。

他の親子にしたら、こんなこと問題の「も」の字でもないだろう。
きっと、すんごぉくくだらないことかもしれない。
そんなこといちいち気にする方がおかしいよ、って。

でも、きっとDNAの仕業なのねぇ。

アンナ、あなたもそんな言葉に、
幼い頃の私と同じように傷ついているのだろうか。
夜、お風呂の中で、
「今日悲しかったんだ」とつぶやく我が子を見る度、
私のインナーチャイルドの傷がズキズキと痛む。

親が立ち入れないエリアでも、
子供同士のそんな会話が飛び交っているのだろう。

だから私はアンナに教える。

「どんな人にも得意なことと、苦手なことがあるんだよ。
 得意なことは上手で、苦手なことは下手なんだ。
 そして、それでいいんだ。
 だから、アンナのお友達のこともそう思ってみていてあげてね。
 アンナもそうなんだよ。
 だから、アンナは今のままでいいんだよ。
 できないことは悪いことじゃない。
 得意なことはうんと上手になって、
 苦手なことは少しずつ挑戦すればいいんだから。
 ママはそんなアンナが大好きだよ」

子供から苦しみを取り去るよりも、
それを体験して強くなるのを見守るのが「親」である、
そんな言葉を聞いたことがある。

子供の痛みを感じる時、親としてこれほど辛いものはない。
けれど、それでも、ただ見守ることしかできない。
大丈夫、この子はこれを越えて強くなれる、そう信頼して。

痛みを感じて、その痛みで成長して、人の痛みも感じられるように、
そして、そのやさしさがいつか強さになるように、
すこやかに育て、アンナ。

辛い時はママのおっぱいで泣いていいから。
あなたが苦しい時、一緒に苦しむから。
一緒にそれを感じてるからね。
ママはいつでもあなたの味方。


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