おひさまの日記
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ある人からいい話を聞いた。 「だ・ら・りの法則」だ。
「だ・ら・りの法則」は、 『「ムダ」「ムラ」「ムリ」がある時はそれをしない』 とういものだ。 それぞれの語尾をくっつけると「だ・ら・り」ね。 有名な話なんだそうだけど、私は知らなかった。
なんかをしようとする時、 「ムダ」「ムラ」「ムリ」があるのにやってしまうと、 それは、うまくいかない、続かない、 だから、どこかにほんの少しでも、 「ムダ」「ムラ」「ムリ」のどれかひとつでもある時はそれをしない、 そんな法則。
うーん、納得。 本当だ、本当にその通りだ。
私にとってはものすごくタイムリーに聞けた話だった。
なんせ、私が揺れていたのは、 「やったらすごくいいし、やった方がいいんだけど、 今自分がやるには負担が大きいから、今それはしない」 という選択だったからだ。 「ちょっと無理してでもやっちゃった方がいいんじゃない?」 みたいな自分への疑問もあったのだけど、 その「だ・ら・りの法則」の話を聞いて、 自分の選択は、今の時点の自分にとってはベストで、 決して間違ったものじゃなかったと確信が持てた。
ムダなことをしない、ムラがあることしない、ムリをしない、 それを実行すると、確かに「だ・ら・り」になる。 だらぁ〜ん、って。 でも、怠けるだらぁ〜んじゃないのね。 ゆとりのだらぁ〜ん、余裕を持つためのだらぁ〜ん。 あれこれセカセカすることがなくなるもの。 そして、それは自分を信じる作業でもあると思ったよ。
人は、 前に進みたい、うまくいきたい、成功したい、お金を稼ぎたい、 愛されたい、受け入れられたい、認められたい、 そんなことのために、時に無意識にでも必死になる生き物。
そして、その必死さ故に、 自分の大切なもの、つまり本来の自分、ありのままの自分、 それをなおざりにしてしまうことが多々ある。
その「なおざり」を漢字で書くと「等閑」だ。 「閑に等しい」と書く。 漢字って面白い。 「閑」とは「閑古鳥(かんこどり)」という言葉にも使われるように、 がら〜んとしてなにもないことみたいな、無みたいな、そんなニュアンス。それに等しいのだから、 自分の大切なもの、つまり本来の自分、ありのままの自分が、 「閑に等しい=無きに等しい」ことになってしまうってことだね。
「ムダ」「ムラ」「ムリ」をしていると「等閑」になっちゃうのね。
と、話はまた脱線しちゃったのだけど。
「ムダ」なことをするのは、焦点が定まっていないから。 焦りもあるからだろうし、また、あがくことも時に「ムリ」だよね。
「ムラ」になるのは、自分の本意での行為ではないから。 本当に望むこと、したいことなら、 あれこれ考えずとも人は十分衝動で動けるし力も発揮できる。
「ムリ」をするのは、 自分以上のことや、自分の意志以外のことをしようとする時。 自分以上のことを続けていたらいつか力尽きて倒れてしまう。 イヤになってしまう。
そんなふうに解釈した。
私は「だ・ら・りの法則」の話を聞いて、 改めて常に今の自分自身に忠実であろうと心に誓った。 一歩間違うと、それを怠惰になるための口実にも使えるので、 そうではなく、自分を信頼して成長するために、 「だ・ら・り」としていたいと思うのだった。
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