おひさまの日記
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2004年11月17日(水) |
愛を受け取ろうと決めた日 |
週末の2日、中島先生のワークショップがあった。 そこに参加するために、私はアンナを母に預けることにしている。 ワークショップの前日実家に泊まり、 翌朝そこから都内へ向かうといういつものパターン。
今回も、金曜の夜に実家へ向かった。
母とアンナと私。 過ぎて行く時間があたたかくて、やさしくて、 私はどれほど愛され、見守られ、必要とされているのかを感じ、 与える愛、受け取る愛、愛する喜び、愛される喜びを体感していた。
が、幸せを感じると共に、なんだろう、悲しい気持が湧き上がってきた。
ベッドに入っても寝付けない。 胸が押しつぶされそうな悲しみが襲って来る。 不安も入り交じり、それはどんどん激しくなる。 恐くなってうずくまり、布団の中で丸くなった。 得体の知れない感情。
こんなに愛されているのに、愛せる人がいるのに、 それを深く感じた途端に、私はなぜこんなに悲しくて苦しい? 自問自答を繰り返しても答えは出ず、 ただ襲って来る不安と悲しみを持て余した。
すると、ある瞬間、私の口から不意に言葉が飛び出した。
「ひとりにしないで」
その言葉と同時に、堰を切ったように涙がどっと溢れ出した。 「ひとりにしないで、置いていかないで」と繰り返し、 私はずいぶん長いこと泣いていた。
11時過ぎにベッドに入り、すでに時計は2時を過ぎていた。 5時前には起きなければならない。 ひとしきり泣いた私は、数えきれないほどの寝返りを打ってやっと眠った。
そして、朝い眠りのまま迎えた翌朝、 会場のある駅に着いて、スターバックスでコーヒーを飲んでいる時、 ふっ…と、本当に、ふっ…と、私の中に浮かんだ。
「失うのが恐いんだ」
お母さんを、アンナを、失うのが恐いんだ。 私に愛を注ぐ人が私からいなくなるのが恐いんだ。 お母さんは私より先に死ぬ、アンナは独立して私から離れてゆく。 愛は手に入れるとなくなるんだ。 だから、愛があると恐いんだ。 恐くて悲しいんだ。
私の中をそんな想いが駆け巡った。
私は、幼い頃から、何度も愛を失ってきた。 それは親の愛だった。 本当は失ってなどいなかった。 けれど、無条件に受け入れてもらえる幼少期を過ぎ、 激しい父の暴力の中、失ったと感じるしかなかった。 そして、それ以上失わないために、 失うものを手に入れることをやめてしまった。 本当に欲しいものだからこそ、失わないために、 最初から自分にはないものにしてしまった。 失ってあんなに苦しいなら、ない方がいい、って、 そう思っていた自分に気付いた。
深いつながりを持つ友達が、時々ウザくなることもあった。 会うことも、話すことも、イヤになり、 放っておいてほしくなることがあった。 誰かの私への深い想いは、私をやがて傷付けるものなのだと、 どこかで信じていたからに違いない。 どうせ私のことなんかわからないでしょう?って。
たくさんのプロセスの中で、気付きや癒しを体験し、 昔よりも素直にたくさんの愛を受け取れるようになった時、 私は、その愛を受け取る恐れに直面したのだった。
愛が欲しいから、愛が何よりも大切なものだから、 それを失うくらいなら求めない方がいい、 私の傷はそんなことを小さな私に決意させていたに違いない。
そう気付いた時、私の中のもやもやが晴れていった。 自分の中の真実に辿り着いた時のいつもの感覚だ。
愛を失うのは恐いよね、自分に何度もそう言った。
奇しくも、今回のワークショップのテーマは「受け取る」。 2日間のワークショップを経て、私は、 痛みを越えて愛を受け取るということを、理屈抜きに感じたように思う。 ワークショップを終えた私の中には、もう、あの悲しみはなかった。 いや、厳密に言うと、 愛しい人達がいつか私から去ってゆく悲しみは、依然としてそこにある。 けれど、その悲しみさえも受け取って、 愛も受け取ることを、私は無条件に体感したように思う。
誰かを愛おしいと思う時、切なさがそこに存在するのは、 失う悲しみさえもひっくるめて愛するからではないかと、ふと、思った。
人は、愛ゆえに傷付き、愛ゆえに癒えてゆく。 そして、そのプロセスに、魂の成長がある。 それが生きるということなのかもしれない。
私は思った。 受け取ろうと。 本当に欲しかった愛を受け取ろうと。 そこに喪失の悲しみがあったとしても、愛を受け取ろうと。 すべてを受け取ろうと思った。 覚悟が決まった。 愛を受け取ろう。
すべての瞬間に存在する愛を受け取ろう。 そこに痛みがあっても、それを凌駕する喜びがそこにある限り。 人は愛そのものだから、愛からは決して離れることはできない。
その決意に至った大切な2日間を与えてくださった中島先生に、 この場で心からの感謝を伝えたい。 中島先生、本当にありがとうございます。
しかし、ワークショップだの、セッションだのの前は、 必ずテーマであるものが前もって出てきたりする。 昔からそう。 その前に自分の癒されていない感情が出てきたりする。 それで辛くなったり、イヤなことが起こって悩んだりする。 そして、ワークショップやセッションで「あ!」と、 その癒しや気付きや流れを手に入れたりする。 色々な人の話を聞いていると、私だけじゃなくそういう人が多い。 不思議だね。 面白いね。
私達は大きな流れにすでに乗ってるんだと感じる。
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