おひさまの日記
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2002年12月13日(金) もっとおいしいもの

人間の当然のサガで、
今自分が知っているものよりも、もっとおいしいものを知ると、
もう、以前においしいと思っていたものがおいしくなくなる。

これはすべてに言えるのではないかと、今日思った。

人間関係において、最近私はコレを体験した。
とってもおいしい人間関係を手に入れ、
まあ、おいしい、と言うと、ずるいコトしてえへへ〜ってニュアンスもあるけど、
そうじゃなく、おおお、極上の味ぢゃ!素晴らしい!って意味で、
それは、心の栄養となり、生きる支えとなり、自分の肥やしとなる。
人間って!人生って!素晴らしい!と叫びたくなる。

私がそれまでしがみついていた関係が実はあって、
それは、もちろん、私の宝物だったし、今でも大切には思うんだけど、
その関係の中で、私は傷つくだけだったんだよね。
それでも人の計り知れないアホさで、私はなぜかその人が大好きで、
とってもその関係に執着していた。
相手の反応に一喜一憂し、天国と地獄を行き来してきた。
で、洗濯機の中のパンツみたいにブンブンと回り、ヘトヘトになっていた。

それが、ここ最近、出会った素晴らしい人がいて、
その人に出会ったことで、今まで私の回りにいた人達との絆も一層深まり、
その辺りの人達とシェアする時間の濃さと、質の高さに感動している。
ああ、人はこんなふうにつながれるんだ、そう心から喜べる関係。

そんな「おいしい」ものを体験し、自分のものにした時、
ふと、私が今までしがみついていた関係に執着していない自分に気付いた。
それを手放そうとかそういうことではなく、
なんて言うんだろ、そこで傷つかなくてもいい自分を知ったと言うか。
私はもっとおいしいものを食して生きていってもいいんだ、そう思えたのだ。

すると、なんと楽になったことか。
そりゃ、もちろん、今となっては「あんまりおいしくない」その関係も、
私にとってはいまだ大切なのだ、今でもその人のこと大好きだし。
その人との接点でまだ傷つくし、自分から傷つくようなことして、
その関係のチープさを自分で確認しているようなフシさえあるけれど、
それをしてみて、ああ、私はここでは傷つくんだ、
だから、ここに執着する必要もないんだ、そう自分に言い聞かせてるみたい。
いつか手放せたらいいんだけど。
でも、結構そういうドラマが好きなのかもね、私は。
だから、その人との関係は、それはそれで持っていたいのかもね。

でも、そこから発生していた苦しみがすべてだとは思わなくなった。
私をこよなく愛してくれる友達や仲間のおかげだよ。
そして、私は彼等をこよなく愛している。

今の自分が知っているものよりも「もっとおいしいもの」、
それを知って人生を豊かにしていく、それもまた人生のプロセスなんだろうなぁ。
妙なグルメになって、タカビーになって、
そこそこの味のものを見下すようなことだけはしてはいけないけど、
それさえしなければ、おいしいものを追求するのは人として当然なのだろうね。


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