ケイカネットdiary 〜日常のあれこれ
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2003年09月03日(水) |
人生の流れというやつ |
ワタシの実家にはメタセコイヤという大きな木があって、 それはとても大きな木で、多分私の記憶で一番大きな時には50メートルぐらいあったんじゃないかな、と思う。もしかしたら100メートルぐらいあったような気がする。 何度か切る切らないって話が持ち上がって、その度に背が短くなったり、切り株になりかけたりする小さかったり大きかったりする事件があって、今は4階建てぐらいの大きさになってる。
小さい頃から嵐が来ると、
あのメタセコイヤに雷が落ちて 私の愛する全てがなくなってしまう 火事になって、いろんなものがなくなって 私は一番最初に何を抱きしめて部屋から階段を下りるんだろう
そんな事を何度も何度もぐるぐる考える恐い夜が何度も何度もあったり、
夏休みに大きな幹にとまるセミを恐々追いかけたり、 夏の太陽をその隙間から眺めたり、 数年に一度来るいとこをその肉厚で小さな葉の隙間の木漏れ日から待ち焦がれたり。
そんな日々をずっと私は生家で送っていました。
2階の部屋で古いオルガンの横でうだるような暑さとの国語のドリルと格闘する日々、そしてとメタセコイヤの木漏れ日の日々、それが私の幼い夏休みだった気がします。
それが小学生。 そして、それはさておき。
母から電話がありました。 数年間祖母は老年性痴呆を患っていたのですが、施設への入院が決まったそうです。
メタセコイヤの事を教えてくれた祖母は、もう多分、メタセコイヤの事は覚えてないと思います。 私の生まれ育った家も木も、時間の流れとともになくなってしまうんだと思います。
誰を責めるとか、誰の役割だとか。 この家に関係する全ての人がそれを責めたり、誰かのせいにしたり。
そんな簡単な事で済んだら、もっとメタセコイヤの背は伸びたかもしれない。
都会は、背に負うことは”誰かにとりあえず任せて”先に進む事はできるけど、田舎に息づく長い太い幹はとても背負うには大きすぎて「とりあえず」なんて事では先にいけない。
唇を噛む痛さで私で何とかなるなら何とかしたい。
メタセコイヤ、君のその太い幹と大きく張った根と引き換えに私は自由を手に入れたい。
ごめんなさい。それが私の本音かもしれない。
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