あたりまえに笑って怒っての下書き用スペース
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2007年02月16日(金) |
とっちらかったりしたけど。 |
■とっちらかったりしたけど。
とっちらかったりしたけど、このみっともない動揺ぶりの経験を、 考えの整理のきっかけとして活かす方向も考えてみよう(という願望)。
■ 仲良くなりたい。 「相手が夢中になってる、感情的になってる」場面にコミットしたい。
という思いと自分の力量・志向・嗜好とのギャップ。
■ 過剰気味にふくらみがちな思考、自意識のバタバタ動きっぶりについて。
…自意識のウマい位置付け方とは。
…頭を冷やして、機を改めサラっと伝えるための時間をもつ。
■ 「肉体」というのは、「相手」との「関係」が存在して、はじめて意識されうるもの。
「相手」とコミットしにくい自分自身の志向・嗜好
自分の中のアニマ(「こういうのが欲しいのよっ!」という)のカタチの確認作業。
■ (自分の中で)「興味が持て無い、興味が沸かない」ということ。
ネガティブ・シンキング
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時間、意識、そしてそれにともなう身体の使い方の見なおしの機会。
長い時間、下積み、プロセス、謙虚さ、恥をかく。
■ みえっぱり。めんどくさがり。ヘコみ。モチベーション。不適応。
(それらに伴いがちなのが「閉じた論理」であったり)
内向性…ものごとの思い通りにならなさ、扱えなさのストレスに弱い性分。
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内想にハマるくせと、カラダと気持ちが望むつきあいのカタチ。
■ 背筋を伸ばすための知恵、勇気。
今できる限りで冷静さを保ちつつ、できる限りのことをやってゆく。
「それぞれの相手の持ってるそれぞれの関心」と「今の自分の器・力量や限度の程度」のそれぞれの質を整理する。 ふまえる。
その中での「適切な距離感」の取り方について。
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リラックスして伸び伸びと身体を動かす練習づくりができるような場。
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「自分史」 (これまでこういう経緯で、こうなっている、ということ。)
■ 他人の発したコトバ 〜既存のカルチャー総体の用い方。
相手を知り、自分を知るプロセスの中で。 (クセやリズムや嗜好)
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自我の働きのなかにもぐり込んじゃうではなしに。
ものごとの動き・土台を見て吸収する力。
■ 「それはどうかと思う」と「好き」の比率。
それぞれの相手への。
「自分から見える世界」だけじゃあなくって、 いろいろな「相手からみえる世界」、そしていろいろな「相手から見える自分」というものも意識してみる。
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新しいフォルダーづくり。
相手に対する関心から、自分のうちビジョン・視野・関心をほんのちょっと、広げてみる。 「固有名詞をおぼえる」ぐらいのささいなことから、でも。
自分だけの娯楽(情報のコレクション)どまり、ではなくって。
■(橋本治さんの文章より要約) ロマンシズム(「理想」の「美少女」との恋愛をめざす)と妥協(「現実の状況」の中から「美しさ」を発見する関係のあり方を模索する方向)
恋物語(萌え?妄想?)ばかりに目を向けるのではなくって、 もっと別の方向の感受性も養ってみる。
自分一人の志向・嗜好だけじゃなくって、その類のスキマも持てる能力もないと、 相手も入ってきにくいってところもあるだろうし。
たとえば、きれいな絵や風景をみるようなボーっとする能力、そういった情操教育。
自分一人の志向からズレるような「一見どうでもいいようなもの」であっても、 たとえば「こういう音楽を他人と共有できたらイイのかも」というようなものにもふれてみる。
当たり障りのないものも万遍なく抑えるってこともしとかないと、出会いってのはなかなかないもの。
ふつうの関係というものをどういうものか知ってないと、 恋という特殊な人間関係も生まれない。
■(橋本治さんの発言引用)
そんなの変だよ。だって、日本の男の多くには、ナイフ持ってた過去ってあるもん。
(十代の事件にたいし、インタビュアーが「みんなで『異常』のレッテル貼りをして肝心のとこは見ないですませようとするのでは?」という問いかけをしたときの橋本氏の返答より)
…感情の高ぶりにはプラスもネガもあるものの、いかにそれを知り接しようか、ということか。 着地点としては。
■ 恋愛や結婚系の話題を目にして、 「ああ、10代後半のカワイイ子だったら恋愛もするし、20代半ばになれば 結婚して子どもも産んだりもするものだよなあ」と。
いまさらながらですけど。
…自分の中でわきあがる気持ちは気持ちとしても、 日々、気分転換の機会を見つけたりつくったりしつつ、新鮮さを発見してくのも大切ですわな。
その反面でディスコミュニケーションを激しくエグい描写をともなって描く早見純氏的な作品世界や、 「ニセ学生マニュアル(赤版)」でふれられていた、「お勉強カルチャー用語の世界観の枠内だけで、 男女の人間関係を頭でっかちぎみに処理しようとしちゃう」少年少女層も、ある程度は存在してるんだろうし。
見る前に動く前に内想に入りがちなタイプの側として30代に入ってしまっている男としては、 「両方の位置がつねに存在しうる世界というものを、想定していたい。
たとえば、ディスコミュニケーション作品やお勉強カルチャーだけに立ち位置を寄らす、では無しに。
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夢や理想や萌えやファンタジーやロマンシズムや、知的な考察による高まりや興奮といった 表現(場のパフォーマンス含む)=テンションの変化のきっかけづくりを 商品として値段づけて売り出す立場も、世の中にはむろんあるわけで。
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