七転八倒 〜彩音の日常&育児日記〜
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2016年12月16日(金) あたしがあと3人いたなら

少しはラクになるのに。忙しくしてるのは自分自身だったりするけど。

今日はまた耳鼻科。連日外出をし、睡眠不足で疲れてる上、朝軽く恋ダンスの振りをやってみたら・・・
いつの間にか爆睡するという失態を。
午前の診察は14時までなのに、目が覚めたのは13時10分前!タクシーを呼んでる間10分でしたくをし、駅まで。
特快には乗れなくてもどうにか13時半までには三鷹に着いた。フー。(-_-;)

値は前回よりも悪くなっていた。(=_=)でもまぁ、初診の時のような悪い状態ではないので、また様子見。
薬は3週間分だったので、今日もめちゃくちゃ重かった。

三鷹駅のコンコースで年賀状を売っていた。2年連続で喪中だったため、久しぶりの年賀状作成は、少々面倒臭い。
が、出さないわけにもいかないし、まだ買っていなかったので買うことにした。なぜなら・・・嵐さんのポスターが貼ってあったため。(^_^;)
実は、一度改札を抜けたのだけど、直感でここで買った方がいいと思い、わざわざ駅員さんに頼んで戻してもらったのだった。
なんだか今はそういう直感を逃したくない。

年賀状を買ってから「ポスター、撮ってもいいですか?」とたずねたら、「どこかにUPするとかでなければ、
ファンとかならどうぞどうぞ」と快く承諾してくださった上、買った枚数が多かったせいか、ティッシュとサランラップのおまけまで
いただいてしまった。
「昨日も大野さんとか(年賀状の会見に)出てましたよね」と郵便局のおじさまがサービストーク。(^^ゞ
地元の郵便局本局には(本局なのに?)、なぜか嵐さんポスター1枚も貼ってないんだよね。小さい郵便局の方にはあるんだけど。
「あれ、郵便局によって違うんですかね?」と訊いたら、「そうみたいですね」とお答えが。

ミラクルあったかタウン、三鷹。(キャッチコピーのような?(^_^;))
以前宅配BOXのキーをポケットに入れたまま紛失した時も、なぜか三鷹駅で拾っていただき、三鷹署まで取りに行ったことがある。
そういえば、血糖値が高くて紹介され初めて糖尿の病院にかかったのも、杏林(最寄り駅三鷹)だった。
ミラクルなご縁がある、やっぱり。
あぁそうだ。あいこの曲に「三国駅」があるが、TVKかなんかの番組でパロディーの曲が流れたのも、「三鷹駅」だった。(笑)
三国駅の歌詞「かわらない〜まちーなみ〜♪」に対し、あいこ「三鷹駅は変わってしもうたんや?」って爆笑してたのを思い出す。

本当はグダグダに文句とか怒りとか書くつもりでいたんだけど、なんかもうどうでもいいや。(^_^;)

ananの次号が翔ちゃん表紙だと聞いて、念のためきちんと発売日確認しようと手に取ったら、
しっかり予告の翔ちゃんが載ってて、気持ちが揺らいだ。いやいや、どうせ次号出るんだから、と、一度は置いた。
が、ぱらっとめくって、来年の運勢を見てみたら、わしみずがめ座の相性の良さダントツ1位はみずがめ座になってた!
翔ちゃーーーーーん!!やっぱり買っちゃったよー。(^^ゞ来年は、いや来年もよろしくね。(*^_^*)

あ。大好きなイラストレーターさんが臨時出店してた三鷹駅ナカのお店、耳鼻科受診の今日が最終日だった。
ちらっと寄ったら、ご本人はいらっしゃらなかったのだけど、かわいいミニカードを見つけた。
赤いジャケットを着たかわいいクマのイラストのカード。メッセージには「いつもありがとう」と書かれていた。
なんとなく来年は翔ちゃんのバースデーに送ってみようかな?と思ったわし。(>▽<)



追記。

以下、突然毒入りになります。ご注意ください。



せっかく怒りぶちまけずに済むと思っていたのに、やっぱりダメだ。

息子の言動は、時に私の逆鱗に触れる。さっきも突然それが起きた。
息子は人の言葉の外側しか理解できないところが多いし、自分では気づかずによけいなことを言って、人を怒らせてしまう。
怒らせてしまうことにも気づけない。相手がきつい言い方をすると、その内容、真意には気づけず、
怒られた、怖い人だとしか思えない。被害者意識も猛烈に強い。
それは私の性格が多大に影響、遺伝しているからしかたないが・・・。
息子は私を見て学んで行動、発言してしまうため、私は息子の手本にならなければならない。
けれど、いい人でいつづけるのはものすごく疲れる。疲れたよ。翔ちゃん、そうだよね?なんとなくわかる気がした。

おとといの晩だったか、私は息子を怒鳴り散らし、しまいには泣き叫んだ。
寝ようとしていた旦那が起き出し、どうにかなだめようとしていた。
気づけば物心ついた頃から、今まで山ほど苦労してきたんだ。
揉め事の多い実家で、継母である祖母が気に食わない父が、祖母の所作をいちいち睨み続けている食卓で、
ずっと食事を続けてきた。毎朝のように飛び交う父の怒号。揉める父と祖母の声。間に入って一緒に揉める母。
正直、全員が他界した今、呪縛から解放されてほっとしている自分もいる。

息子も、物を食べているわけではないのに、口をくちゃくちゃ鳴らすクセがなおらない。いくら注意してもなおらない。
いわゆるチックのようなものだと思う。
そのたび私は息子を注意する。貧乏ゆすりもなおらない。ぱっと見、あまりしょうがいがあるようには見えにくいため、
このままでは世間の人とトラブルになる可能性もある。うるせぇとか因縁つけられる場面もあるかもしれない。
だから毎日何回も注意するのだけど、それも疲れた。

息子を注意する時の私は、私が嫌い続けた父のあの様子そのものだ。何の因果か。こんな自分になりたくなかった。
息子を健常児に産んでやれなかった自分も責めた。そして号泣した。

今までガマンしてきた分、これからの人生はもうガマンしたくない。好きなように生きたい。
息子をつき離さなければ。ムリにでも少しずつ別の生活を送らせなければ。ひとりで生きられるように。

20歳というこの年齢なら、世間の子どもはとっくに手が離れてる。それがかえって淋しいとか言う人もいるだろう。
こっちからしたら贅沢な悩みだよ。ほっといたらずっとくっついてるからね。
理解しろなんて言わない。わかるわけないもの。同じ思いして初めて理解できるんだから。

当たり前のことは当たり前じゃない。イレギュラーな宿命を背負った者だけが知ってる。いいよ、それでも。
理解しろなんて絶対に言わない。
だからあたしは、人がやらないことをやるのかもしれない。人がやらないことをやることでしか、自分の存在価値を見出せないのかもしれない。



追記2。

先日、駅ナカの本屋でたまたま目にし、帯の言葉だけを見てそのうちに買ってしまうかも?と思った本をやっぱり買った。
いったい何年ぶりだろうか?文庫の小説。
今さっき、その第1話を読んだ。やっぱりな。設定といい、ストーリーの運び方といい、なんとなく自分のと似てる気がする。
ほんのちょっと涙が出て、読んだ後、やっぱり買ってよかったと笑えた。
もちろん私はプロでもなんでもないから、小説と呼べるほどのものは書けていない。
けれど、この世界観を大事にしたい。自分にしかできないこと、書けないもの、描けないものを。


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