七転八倒 〜彩音の日常&育児日記〜
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2007年06月26日(火) |
今日もヘトヘト・・・(T_T) |
先日電話で話したおばちゃんと、近くの駅で会った。いろいろ話をきいてくれて、私のこころを軽くしてあげたいとの おばちゃんの優しさからだったのだけど・・・私は具合が悪くなった。 おばちゃんは昔からとある宗教をやっていて、一度行ったことがある。私が鬱になった年、今からちょうど15年前の今頃だった。 でも、その時も私は気分を害してしまったのだ。
基本的に宗教をなさってる方自身は、感受性も強く、人の気持ちもよくわかるいい方が多い。 もちろん例外の方もいらっしゃるけれど・・・。今日お会いして話した方々は、私の話にもらい泣きなさってたり、 心根の優しい方だった。
でも・・・私はとても疲れてしまった。疲れ果てて、バスに傘を忘れ、私の傘を乗せたバスを、停留所以外で停めてしまい、 運転手さんに激怒されてしまった。「こんなとこで停めて警察に起こられるのは私なんだよ!!」と。 私は「申し訳ありません」を連発しながら、傘を取り、乗客のおばさん(顔を見てないからわからない)に、 「うるせぇ」とか言われながらも、「すみません」を連発してあわててバスから降りた。 降りたとたん号泣しそうになった。とにかく家に帰らないと、もう息子も帰宅してしまうし、 号泣したまま歩けもしないから。我慢して我慢して家のすぐ前までたどり着いた。
でも・・・またバスの営業所に電話してつい言ってしまった。 傘を忘れて停留所以外でバスを停めた私が、全面的に悪いのは重々承知だ。 でも、自分の状態が悪い上に、言われ方がきつかった。そしたら、今までそのバスの運転手さんたちとのやり取りで 嫌だったことを全部思い出し、怒りがとめどなくこみ上げてしまった。
子供の愛の手帳を見せて、私が子供の介助人だということを伝えても、説明しても料金とかまったくわからない運転手さんや、 わかってるのかと思いきや、間違った料金を払わされたりとか、いちいち全部説明しないとわからない上に、 料金が間違っていたりすると、もう言う気にもならずに、いつもその運転手さんの言われた通りにバスカードで払って、 必ず「ありがとうございました」と言って降りているのだ。
息子と一緒じゃなくても、降りる時の「ありがとうございました」は欠かしていない、今日も。 でも、私とのやり取りの前に、バスの折り返し場で、お年寄りのドライバーの車が邪魔だと、その運転手さんがそのお年寄りの方と もめていたのを、私はたまたま見ていた。そこで傘を忘れたことに気づけばよかったのに、気づいたのはバスが発車してからだったから まずかったのだ。
バスの営業所の方には、ついには以前息子が運転手さんに暴言を吐かれたことまでまた言ってしまった。 その時も「そういうことは考えられない」と言われたりして腹を立てたが、電話に出てくださった方に 息子に謝ってもらうことで、どうにかこうにか息子も納得した。
親バカだと思われてもいい。ただ、息子は健常児と違って、理解度が低いからね、だからと言ってウソを言ってるつもりは 息子にはないと思うから。
最後の最後に、「もう嫌な思いをしたくないので、おたくのバスには乗りません!!」とまで言ってしまった。(-_-;) 実際乗らないわけには行かないんだけどね。(-_-;) でもそのくらい嫌な気持ちだった。精神病んだ女の発作的な怒りで、バカは相手にするな、くらいに思われてるだろうけど、 私はもう人と関わるのが嫌だ。よっぽど仲がよかったり心を許せる人以外は。
もう人間と関わるのが嫌だ!!
おばちゃんからは、信者勧誘のようなことはされてはいないが、おばちゃんたち信者さんは、自分の信じてるものだし、 いいことをほどこすことによって自分も救われると思っているから(そういう精神構造や心理状態はものすごくよくわかる)、 悪気はない。 でも断る勇気を持たなければ。いちばんいいのは、「調子が悪いからおばちゃんにも会えないし、外に出られない」と いうのが当たり障りなくていいのだろう。
私は病んでる分、そういう方々が寄ってきやすい。いろんな人を呼ぶ招き猫だけど、そういう方々も呼んでしまう。 心配してくださる方がいらっしゃるのは、とてもありがたいことなんだけど、ちょっと違うんだよなぁ・・・。
でもこの件のおかげで、旦那と3日ぶりに口をきいた。この件を話してどうしたらいいもんだろうか、とか、 先日のお金の話なども少しした。事態は刻々と変わっている。(-_-;) 先日のお金がどうこうって話も絡んでいる(こういった宗教には心づけのようなお布施が必要だから)けれど、 また別問題で話ができたことは、まぁよかったかなと思う。
私は神様や霊や科学で解明できないことなんて、世の中に山ほどあると思ってる。 もちろん自分の宗教を信仰するのも自由だし、それで穏やかで幸せな生活が送れるなら、その人にはそれでいいと思う。
私が音楽を聴いて癒されるようにね。
でもえてして宗教は、自分がいいと思うから人にすすめるという図式が成り立ってしまい、そこが各トラブルの元になる。 別に宗教に限らず、うちのクラスにも教祖&信者の図式は成り立っているけどね。
実は昨日、校長先生に例の息子が首を絞められた云々を、電話で伝えた。おともだちとその息子さんが、その先生によって 理不尽な目に遭ったことも。 校長先生は呆れ返っておられた。四字熟語で言うならば「言語道断」って感じだろうか。 詳細はここに書けないが、校長先生はうちら反対派のことをよくわかってくださっている。それだけはありがたい。
いろんな人と関わらずには生きていけない。それでもやっぱりできれば、心穏やかに楽しくいられる人と 一緒に時間を過ごしたいよね。たとえ生まれかわることがあったとしても、今の私の人生は一度だけだから・・・。
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