七転八倒 〜彩音の日常&育児日記〜
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2007年03月01日(木) |
疲れた、いろんなことに |
朝、実家の父から電話。母が腰が痛くて動けない、と。 父の話は半分ボケてるので、どうもよくわからない。こっちの訊いてること、ちゃんと答えてもらえないし。 息子を送り出した後、こちらから実家に電話して、母が電話に出られるかどうか父に訊いた。 母は電話に出た。足の神経につながるところに水がたまってるとかで、手術しても治るまでには半年かかるとか。 いつも通っている町医者じゃどうもダメで、救急で病院にかかったらしい、私が息子を産んだ病院。
私は息子を産んだ時のことがあるので、あまりあの病院に行かせたくなくて。 別にあの病院が悪いってわけじゃないけど、あの時手が足りていたら、経産婦の方にかかりきりじゃなくて、 私の方も見てもらってたら、もしかして息子は・・・って思ったことが何度もあるから。 今までかかってた他の病院にも診てもらった方がいいんじゃないかと、私は母に言った。
本当は実家に行こうと思った。でも動けなかった。動けない自分が情けなかった。
母「お父さん、味噌汁も作れないんだよ」 うちの旦那も同じだ。というか、世の男はそういう奴多すぎる。だから女が具合悪くなったりいなくなった時、 オタオタすんだよ。 自分の将来を見てるみたいで、それも気が滅入る。旦那は間違っても自分でも料理する奴じゃない。 私がどんなに具合悪くなっても、料理は絶対にしないと思う。今までずっとそうだったから。 きっとこれからも変わらないだろう。そういうとこ、うちの父よりひどいかもしれない。 私自身が全然できてないから、人のことも言えないけどね。
電話を切ってからちょっと泣いた。 友達に電話したけど、こういう時に限ってつながんないんだよね。人を頼るからいけないんだ。 最後の最後に頼れるのは自分。いつもそう言い聞かせてるつもりなのに。
いろんなこと考えた。私が旦那じゃない人と結婚していたら、同居できてたかな、とか、 息子もしょうがい持って産まれなかったかな、とか。私が男だったら、あの家の養子になっても 跡継ぎになれてよかったのかな、とか。考えてもしょーもないこと。
疲れて2時間くらい寝た。でも気持ちもからだもまったくリフレッシュしない。 実家に行けない自分も責めた。苦しい。かなしい。
もっと切羽詰って、いよいよ私が父や母の介護をする事態になって、旦那は少しでも変わるだろうか? 私は期待していない。お金にだけはうるさいから、信用できるのはお金のことだけ。息子を安心して預けていられない。
昨日、ぽ組にも書いたけど、もう私のライヴ人生は終局に来てるんだろうなって思った。 もうそういう時なんだ。音楽に救われることが少なくなったし。 現に今もそうだ。TOKIOはもうずいぶん前からだけど、ポルノにも救われなくなった。 私にとっては心に染みてこない曲が増えた。
先日、こもり部屋で見た夢。母が出てきたから、なんかあったかなと思っていた。 私の横に立って「じゃ、行ってくる」と言った顔の見えない女は、私自身だったような気がしていたけど、 本当に私だったのかもな。 今朝の電話で、母は、私がこんな状態だから、あえて連絡しなかったと言った。もう9日間もそんな状態だったのに。
頑張れなくても頑張らなきゃと、実家に行かなきゃと、朝思った。でも頑張れなかった。 それがいちばん情けない。かなしい。つらい。疲れた・・・。
ダメダメだって人に思われるのもつらいけど、自分で思うのもつらい。 涙も上手く流せないや。
追記。
この日記を書いた後、実は号泣した。一度止まってもまた何度も何度も泣いた。 息子のお迎えになかなか行けず、タクシーを呼んで行った。帰宅するまでも、途中で涙ぐみそうになった。
そして夜、朝のことを冷静に話しているつもりだったのだが、旦那に爆発するように泣いた。 きっかけはたまたまつけていたドラマの出産シーンで、産声が上がったとたん、思い出したように泣き出して 止まらなくなった。 息子の産まれた時のことは苦しい思い出になってしまっている。ドラマだろうがなんだろうが、 やっぱり出産と産声が出てくるものは見れない。 自分自身の出生のことも絡んできて、どうしようもない苦しみが押し寄せてきて、涙が止まらない。 自分の中から搾り出すような苦しみと涙。 あまりの号泣に、寝ていた息子が起き出した。「おかーさん、うるさい!こわいよー!」と言った。 その後は我に返るようにおさまったが、今日も何度も泣いたこと、突然人ごみで具合悪くなること、 電車に長い間乗っていられないこと、人の中にいられないこと、人の話が聞けないこと、 これ以上ひどくならないよう、薬で自律神経の症状や不安を抑えているだけで、ただ眠くてたまらなくなる上に 治ってはいないこと、年月が経てば経つほどつらくなってきていること、などを旦那に話した。 号泣を繰り返したので、またも頭痛が始まり、頭痛薬を飲んだ。
二人がふとんに入り、やっと静かになった。泣いたのと薬を飲んだせいで、少し落ち着いて眠気もやってきている。
両親には申し訳ないけど、私ひとりじゃちょっと動けない。土曜日に旦那の車で実家に行くつもりでいる。 息子が行ったら、またうるさくて迷惑かけるだろうけど。 私は実家に通って面倒見るというレベルではないから、どうにかヘルパーさんとかの段取りを こちら側で手配しないと。こういう時、自分に兄か弟がいたらいいのにな・・・って思う。
まぁ、いなかったから私があの家でその代わりも務めてきたのだけれど。 当然婿養子を取るつもりでいた両親に、私の嫁入りは残酷だっただろうな。 でもあの家にいるのがつらかった。毎日父と祖母の言い争いで始まる朝。そこに母が絡んで廊下でケンカ。 私はそれをずっとずっと聞いてきた。こんな家に婿呼んだら気の毒だから、絶対自分が外に出てやる、って思っていた。 そして、自分の出生を知って、なおさら落胆は大きくなった。この家には私はふさわしくなかっただろうに。 男の子だったら、跡取りにできただろうに。私は親の思う通りには生きられなかった。 しかも自分の人生どーでもいいと思って結婚したんだから、苦しい思いしても、そりゃしかたないよね。
とりあえず今日の顛末は旦那に伝えた。人のことに関心がない旦那だけれど、介護だのヘルパーだの、 どういう手続きを取ればいいとか、そういうことには理数系の頭が役に立つ。 とりあえず土曜日にでも行ってくる予定。
明日は静かに家の中のことをして過ごそう。クラスの保護者会だけど、当然欠席。
おばちゃん先生改めゴキは、相変わらずのようだ。息子がまた「あたまをたたかれた」と言っていた。 「たたかれるのは嫌だ、どうしてたたいたのか、ちゃんと自分で先生に言って答えてもらいなさい」と 寝る前に息子に言った。ったく、ゴキ、どーにかしてくれよ?!長年やってんだからさぁ、 息子にそんな説明もできねーわけねーだろ?!でなきゃ、なおさら自分の感情だけでやってんだろうな。
再来週の飲み会も欠席すると、幹事の方に電話で伝えた。(泣きながらで本当に申し訳ない) でも人の中にいられないということも言ったから、あの方にはわかってもらえたと思う。 わかってないのは、あの通称・カフェだ。やんわりな物腰で人の意見を否定し、自分の意見をソフトな話し方で ズバッと言うクセモノ。 なぁーにが、「うちはパパが・・・」だ!!よござんしたね!! 他にも通称・コンビニってクセモノがいる。このネーミングをおともだちと私でつけたエピソードにも、 ツワモノ級のできごとがあるのだ。詳細は書かないけど。書きたくもない。あの人の神経もちょっと疑う。 あのクラス、はきちがえてる方が以前よりも増えたと思う。ああいう人たちなら、私みたいな病にはならないだろう。 よかったねぇ。
頭痛ぇ・・・。
世間には給食費払わないで、心も痛まないって親がたくさんいるそうで。 そういう人間は、私のように病んだりはしないんだよね。 ジョーシキ通用しないオトナ、そしてその子供、常識が育まれるわけがない。学校で暴れる原因を作ってんのは、 やっぱ親だと思う。
とにかく私は、静かに毎日を過ごすことを第一に考えよう。そうすることしか今の私にはできない。
寝ます・・・疲れました・・・。
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