七転八倒 〜彩音の日常&育児日記〜
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2006年09月30日(土) 運動会にはちょうどいい気候

やっぱり運動会は秋がいい。小学校に入って初めて秋の運動会を味わった。

が、ゆうべも寝たのが遅く、朝からヘロヘロの母は、お弁当を作って送り出すだけで精一杯だった。
イマドキ(この市内の小学校だけかもしれないが)の運動会は、親と子供は別々にお昼を食べるので、
親はお昼に帰宅してよし、どこかで食べてもよし、がふつうになってきていて、私も今年初めて
親の分のお弁当を作らなかった。(確か去年までは作ってたと思う←うろ覚え(^_^;))
でも、後に書こうと思うが、これもどうなんかなぁと、おともだちとしゃべりながら思った。

旦那が先に家を出て、私は着替えた後、ソファに横になったら起き上がれなくなった。
息子の出る競技にだけでも間に合うように行かなければ。先に行った旦那に電話して、いくつ目の競技かきいたら、
まだまだ余裕があったのでよかった。(あとでおともだちから聞いた話だと、開会式までがやたら長かったそうで)

午前中の競技。
普通学級の4年生として出る競技も、頑張って走ってこなしてた息子。できてるじゃん!かえってびっくり。(^_^;)
特学のクラスでの出し物のダンス、練習では平気なのに、ギャラリーが多いとダメな息子も、
恥ずかしがるからフリは小さいけれど、今年は踊れていた。少しは人に見られることに慣れたのかも。
連日の練習で、特学の子供たちもそれぞれクタクタになっていた。その成果が予想以上に表れていて、
特学の出し物としてみんなでやるということも重要だったのかもしれない。
ただね、先生のやり方はもうちょっと考えてもらいたいとは思うけど。

母は睡眠不足でヘロヘロだったけど、おともだちが一緒にいてくれたおかげで、気持ちも乱れずに過ごせた。
おともだちのお子さんも、にこにこ走っていて楽しそうだった。
特学の子供たちは、健常児よりそれぞれ発達していくのがのんびりだけど、確実に伸びているんだなぁ。
他の親御さんには感じられないようなところも、涙が出るほどうれしく感じられるからね。

お昼は旦那は帰宅し、私は近所のコンビニで買ったおにぎりを、学校近くの公園のベンチで食べた後、
座って首をがっくんがっくんしながら爆睡した。(^_^;)

午後の競技。
息子も4年生の徒競走に出た。「頑張って走ってくれ」と、お昼に書いたメモには書かれている。
昨日もここに書いたが、保育園時代、息子には走るという概念がなくて、胸が切なくなる思いで、
いつもいつも運動会を見ていた私。
その息子が、今日も一生懸命走っていた。一緒に走る子の足並みはだいたい揃って選ばれてるんだけど、
今日は6人で走って3位の子とほとんど差がないくらいの4位だった。
旦那はカメラマンになって別の場所にいたので、私はひとりで息子がゴールしたところを見た。
携帯のカメラはまだ使いこなせず(^_^;)、ただ見ただけだったけど。
私はひとりでぽろっと涙を流していた。この子は歩けないんじゃないかと思った2歳の頃、走るなんてことは
遠い遠い世界のできごとだった。その息子が走っている、それだけで涙が出た。

6年生の組体操も、特学の子供たちには高度な技術を要求される。2年後あれをやるのか・・・と心配にもなった。
でもみんなサポートを受けたりして頑張っていた。その姿を見てまたうるっときた。
全体的に体力がなくなってる最近の子供たちだから、特学普通学級の差なく、みんなそれぞれ頑張らないと
成立しないもの。息子もなんとか6年生の頃にはこなしてくれるだろう、今はそう思っている。
「覚悟しておいた方がいい」と言ってくれた卒業生のお母さんもいらしたけど、私はそれを頭に置きすぎると、
めちゃくちゃ不安になるから。なるようになる、くらいに思っておかないとね。
大丈夫、なんとかなる、そう思っておくことにしよう。

後でまた一緒になって、おともだちと話していたことだが、昔、私たちが子供の頃の運動会といえば、
一大イベントだったよね。子供たちは前の晩から興奮して、親は席取りで朝早めに学校に行って、
シートやござを広げていた。お昼は親子、ジジババも加わって、みんなでお弁当食べたよね。
核家族になり、子供の数も減り、子供は教室でお弁当、親は別行動、学校のやり方がそうなったからだけど、
運動会のお昼休みの校庭は、年々閑散としていくような気がする。

昔と同じようにできる社会ではないのかもしれない。でもやっぱり思った。
親の応援も、昔の方が熱かったような気がする。私たち親世代は、ほとんどが30代〜40代中心だと思うけど、
自分たちの頃は、たぶん親はもっと厳しい代わりに、そういう行事にも一生懸命になってくれていた気がする。

それに、昨今よく言われることだが、子供が全体的にひ弱になった。走るのが遅い。当時の私がこの中にいたとしたら、
ビリばっかりだった私でも3位くらいに入れてる気がした。
リレーに出るような子は、昔は本当に速かったが、最近の子には持久力が足りないのか、全体に遅い。
組体操なども、私たちの頃はもっとびしっとしていた気がする。先生の掛け声も元気で、
子供たちも競技が終われば、きびきび走って退場した。それが全体にダラダラしている。時代の違いなのか?

自分が高学年の時、応援団をやったせいもあるけど、もっともっとデカイフリで、デカイ声出して応援したよ。
人前でそんなのやるの大嫌いだった私だけど、選ばれたからにはやった。休み時間に各学年の各教室を回って、
応援団がリーダーシップを取って、あおるように応援の練習を一緒にした。
今日、それも思い出した。あの人前でやるのがダメだった子供の頃の私が、大声出して「オーッ!!」とか
ポンポン持ってやっていた。
今思えば、あれはいい経験だったんだなと思った。今なら思えるんだけどね。(^_^;)

運動会の競技数は、たぶん昔の方が多かったと思う。なのに終わる時間が今とさほど違わないのは、
子供たちの動きが機敏でないのと、ダンドリ(最近この字をよく入力してたから変換が・・・(^_^;))、いや段取りが悪いせいか?

そうだよね、昔の子供の遊びと今じゃ違うから。運動会が大イベントという意識は薄いのかもしれない。
それは親にも言えるかも。
おともだちとも話してたけど、楽しい競技がたくさんあったよね。親子競技とか。障害物競走、借り物競走、
保護者によるパン食い競走など。
核家族で親のどちらかが見にこれないとか多くなったせいかもしれないけど、そういう競技がないのも、イマドキなのか。

昭和を回顧してもしかたがないが、なんだか温かかったよね。
自分の子供たち以外の競技も、みんなで座って見てたよね。
そういうのがない。自分の子供の競技が終わったら、外に出て行く親も多い。
私は、鬱がひどくなければ、どちらかというと盛り上がりたいタイプだから。
でもイマドキそれをやると、逆に目立ってしまうという現実。

大玉送りも、なんだか去年よりヘタだった気が・・・。(^_^;)
そりゃメンバーが違うからね、玉の運び方一つ取っても違うだろう。
でもねぇ・・・ヘタだった。(^_^;)うちらの頃と、大玉の材質が違うし。(^_^;)
イマドキはゴムボールのでかいのみたいなやつ。うちらの時代は、竹かなんかのボール型の土台に紙をベタベタ貼って色を塗るってやつ。
あれの方がやたらハネないし、逆に運びやすいんじゃ?(^_^;)

確かにヘロヘロな私にはデカいイベントで、夕飯が終わった後ゴロ寝してしまったくらいだけど、
でも運動会自体が、もっと楽しい競技とかであふれるものであってほしい。親にとっても子供にとっても。
そして連日一生懸命練習した成果を発表し、みんなのあたたかい拍手をもらって、頑張ってよかったと子供たちが
思えるような場であってほしい。

とにかくヘロヘロだったので、今日ももうすでにこんな時間だけど、寝ます。
また明日も私は起きないかも・・・。(^_^;)


最後に、今日一緒にいてくれたおともだち、本当にありがとう!!m(_ _)m


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