七転八倒 〜彩音の日常&育児日記〜
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2006年07月22日(土) |
発作のような涙(「TOKIO日和?」よりつづく) |
以下の文、一部「TOKIO日和?」とダブっています。ご了承ください。
「大人になったら学校で習ったことなんて何の役にも立たなくなっちゃう。それよりもあの時頑張ったなとか 楽しかったなとかいう思い出が大切」
「マイ☆ボス・・・」で、もたいまさこ演じる先生が↑こんなようなことを言ってた。
そうだね・・・。学校生活が楽しかったっていう思い出。
頑張るマッキーの姿を見てたら、涙が止まらなくなってしまった。 逃げないこと、頑張ること、それが昔の私だったのに、病んでからの私はずっと逃げっぱなし。 今夜の飲み会も、具合が悪くなって結局逃げ出してしまった・・・そう思って自分を責めた。
私が大人になってから残ったのは、今の自分からはもう手が届かないくらいの「疑うことを知らない自分」と 「頑張れば何でもできるって頑張ってた自分」。 今の私は、苦しくなったら逃げることしかできない。そんな自分が悔しい、情けない。
今夜は特学のクラスの飲み会だった。行く前からちょっと動悸が激しくなり、調子悪いかもと思っていたのだが、 飲み会の場所へ着いたらまだ誰も来ていなくて、隣と仕切られただけの席にひとりで座った。 隣の若い子たち(バカっぽく大騒ぎしてる)の声に、どんどん具合が悪くなっていった。 私の次に担任の先生が着いた時、私はテーブルにつっぷしていた。 やっとぽつぽつと集まり出して、私の周りではみんなぺちゃくちゃおしゃべり。私はとても話に入れる状態じゃない。 話に入れない。申し訳ないけど、みんなの話し声がうるさくて聴いているだけでつらい。 みんながだいたいそろって飲み物をオーダーする頃には、もう涙が止まらなくて、耳をふさぎながら 顔が上げられない状態になっていた。 どうして涙が出てくるのかわからない。何に泣いているのかももうわからない。発作状態。 みんなにこんな姿を見せてしまう自分が情けなくて、悔しくて、迷惑をかけてるという気持ちもあったけど、 もうそれだけじゃなく説明のできない涙。 帰るしかなかった。あれ以上あの場にはいられなかった。今まで何度も飲み会に出ているのに、初めてだった、 あんな状態になったのは。
原因として考えられるのは、今日の飲み会と明日のライヴのことを息子に話していなくて、 夕方買い物に一緒に行った息子に、「(きょうもあしたもいないなんて)さみしいよー」と 悲しそうな顔をされたこと・・・。 胸が痛くてたまらなかった。私のワガママのせいかと責めた。飲み会とライヴのどちらにも参加しようと思った私の。 前回、飲み会よりもポルノライヴを優先させて、「そっちを取るのね」と言われたことが怖くて、 わざわざ別の日にしたがために。 どうにかして明日のライヴ、息子も連れて行けるよう、チケットがないかと問い合わせたりもしてた、夕方。 でも前日だもん、当然あるはずもなかった。 飲み会に出かける前、吐き気がして動悸が激しくなって苦しかった。
ホント、大人げないと言われてしまうと思う。私にとって気持ちが安らぐ場所は決まっているのだ。 飲み会なんかよりもライヴ。遊びを優先するのかと責められてもしかたない。 飲み会で涙を流したら「なんだ?」って思われるだろうけど、ライヴで悲しみや悔しさや喜びの涙を流したって、 たぶん誰も何も言わない。そういう人は他にもいるはずだから。 私にとって音楽はそれほどの癒しなのだ。
私が帰る時、昨日お祭りで話を聞いてくれたママ友達が送ってきてくれた。 彼女に呆れられてるんじゃないかと思った自分が恥ずかしかった。 途中で、転任していった先生に会うことができた。先生も私を駅まで送ってくれた。 先生に渡そうと思っていた四つ葉のクローバー(飲み会に行く途中で探して見つけた)も、渡すことができてよかった。
気持ちと涙が少し落ち着いてから帰宅した。 息子は「もうおわったの?」と少しびっくりしていたようだが、母が帰ってきたことでワガママになって、 また旦那に叱られていた。その様子を見て、また胸が痛む。 「早くごはんを食べてね。お母さんもたーぼーがお父さんに叱られてるのを見るのはつらいから」 またも情けないけど泣きながら、息子に言った。
こもり部屋は、家族といるとこの家の中ではやっぱりいちばん自分に戻れる場所だから、 自然に涙が出てしまう。 息子がやってきて言った。「どうしたの?」 「お母さんもなんで涙が出るのかわかんない」と答えた。 息子は頭をくっつけてきて「(なでなで)してよー?」と甘えた。こうすることで自分も母も落ち着くと 知っているから。 「たーぼーね、すうじは9と4と2がすきなの」 「ふつう日本人は9も4も2も嫌いな人が多いんだけどね」 9=苦 4、2=死に とかね。息子がなぜこの数字が好きになったのかわからない。 こういうことはありえないと言う人もいるだろうけど、やっぱり息子は父(実の父)の生まれかわりじゃないかと ふと思った。 父が死んだのが1986年、私が20歳の時、息子が産まれたのが1996年、私が30歳の時、 ちょうど10年後だ。 息子は私を守ってくれるために産まれてきてくれたような気がしてならない。
私が早く帰ってきたから安心したのか、息子は今おとなしくふとんに入った。 私も、長瀬のドラマを見て泣いたけど、エンタを見て笑ったりもできた。やっと落ち着いた。 明日は・・・息子も「いってらっしゃい」と送り出してくれるかな。 私も、精一杯ポルノの音楽を楽しんでこよう。明日こそは。
まとまりのない文章でごめんなさい。m(_ _)m
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