七転八倒 ~彩音の日常&育児日記~
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1996年5月19日、午前2時。 おお、これがウワサの陣痛か?最初はそんな感じだった。 妊婦が読む雑誌に出てる陣痛とは、どうも違っていたから。 私の場合、頭に血が上ったような、貧血で倒れそうな感じ、だったのだ。 陣痛の間隔が長い時は、比較的落ち着いていたし、間隔が縮まって 病院に行く時も、比較的余裕はあった。 明け方の病院の廊下を、ペタペタとペンギン歩きで歩いた。
陣痛がひどくなってきたのは、午前7時を回る頃からだったろうか。 おいおい、どーなっちゃうんだよ?!って感じの、腰から下どーにかしてくれ状態。(爆) 午前8時くらいにおしるし(出血)が。 いよいよだー。だんだん気分が悪くなってきて、吐いた。 また吐いた!ここでもまた吐くのかよー?!と思った。(笑)
子宮口が開いてくるまでしばらくかかると言われていたのだが、あれよあれよと いう間に開いたようで、 私はこう看護婦さんに言ったのを覚えている。 「もう出そうなんですけど?!」 「ええ?まだですよ?」 そう言われながらも確認すると、 「本当だ、分娩室に行ってください」 でしょ?でしょ?言ったとおりでしょ?(笑)
その日は分娩ラッシュだったこともあったが、経産婦(出産経験者)を先に出産させるため、 こう言ってはなんだけど、私は後回しにされた。
「もう出ますー!」 「もう少しガマンしてください~!力んじゃダメよー?」 そう言われても、出ようとする子供の力はけっこうすごい。 分娩台の上で、ひたすらガマンの私。
私は初産の割には、陣痛の時間が短かった。 たぶん出産するまでの時間も、かなり短かったと思う。 力んでから出るまでの時間、長いようには思えなかった。 あっという間に産まれた気がする。
しかし、子供が出てくる前から、取り上げてくれる先生が 「小児科の先生呼んで!」 と看護婦さんに大声で伝えていた様子から、子供に何か起こってることだけは わかっていた。
そして出産。子供は泣かなかった。呼吸していなかったのだ。 仮死。 小児科の先生も駆けつけ、蘇生させようと必死。 私の出産第一声「あの、子供は?!」 「大丈夫、先生が処置してくださってますからね」と看護婦さん。
出産して感動のあまり涙が出る、なんてことは私にとってドラマの絵空事でしか なかった。 「どうしよう・・・たいへんなことをしてしまった」 そんなことばかり考えながら、2時間もの間分娩台の上で寝ていた。 その時間の方が、出産の時間よりもずっとずっと長かった。
「ごめんね、ちゃんと産んであげられなくてごめんね」 そんな言葉しか頭に浮かばなかった。
だからいまだに、赤ちゃんの出産シーンを見ると苦しくなる。 人様の赤ちゃんが泣いているのを聞くのがつらくなるのだ。
虚無感を抱えたまま、私は出産を終えたのだった。
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