七転八倒 ~彩音の日常&育児日記~
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2003年09月17日(水) オォ、ノーッ!

1996年5月19日、午前2時。
おお、これがウワサの陣痛か?最初はそんな感じだった。
妊婦が読む雑誌に出てる陣痛とは、どうも違っていたから。
私の場合、頭に血が上ったような、貧血で倒れそうな感じ、だったのだ。
陣痛の間隔が長い時は、比較的落ち着いていたし、間隔が縮まって
病院に行く時も、比較的余裕はあった。
明け方の病院の廊下を、ペタペタとペンギン歩きで歩いた。

陣痛がひどくなってきたのは、午前7時を回る頃からだったろうか。
おいおい、どーなっちゃうんだよ?!って感じの、腰から下どーにかしてくれ状態。(爆)
午前8時くらいにおしるし(出血)が。
いよいよだー。だんだん気分が悪くなってきて、吐いた。
また吐いた!ここでもまた吐くのかよー?!と思った。(笑)

子宮口が開いてくるまでしばらくかかると言われていたのだが、あれよあれよと
いう間に開いたようで、
私はこう看護婦さんに言ったのを覚えている。
「もう出そうなんですけど?!」
「ええ?まだですよ?」
そう言われながらも確認すると、
「本当だ、分娩室に行ってください」
でしょ?でしょ?言ったとおりでしょ?(笑)

その日は分娩ラッシュだったこともあったが、経産婦(出産経験者)を先に出産させるため、
こう言ってはなんだけど、私は後回しにされた。

「もう出ますー!」
「もう少しガマンしてください~!力んじゃダメよー?」
そう言われても、出ようとする子供の力はけっこうすごい。
分娩台の上で、ひたすらガマンの私。

私は初産の割には、陣痛の時間が短かった。
たぶん出産するまでの時間も、かなり短かったと思う。
力んでから出るまでの時間、長いようには思えなかった。
あっという間に産まれた気がする。

しかし、子供が出てくる前から、取り上げてくれる先生が
「小児科の先生呼んで!」
と看護婦さんに大声で伝えていた様子から、子供に何か起こってることだけは
わかっていた。

そして出産。子供は泣かなかった。呼吸していなかったのだ。
仮死。
小児科の先生も駆けつけ、蘇生させようと必死。
私の出産第一声「あの、子供は?!」
「大丈夫、先生が処置してくださってますからね」と看護婦さん。

出産して感動のあまり涙が出る、なんてことは私にとってドラマの絵空事でしか
なかった。
「どうしよう・・・たいへんなことをしてしまった」
そんなことばかり考えながら、2時間もの間分娩台の上で寝ていた。
その時間の方が、出産の時間よりもずっとずっと長かった。

「ごめんね、ちゃんと産んであげられなくてごめんね」
そんな言葉しか頭に浮かばなかった。

だからいまだに、赤ちゃんの出産シーンを見ると苦しくなる。
人様の赤ちゃんが泣いているのを聞くのがつらくなるのだ。

虚無感を抱えたまま、私は出産を終えたのだった。


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